あの夜と、あの夜よりも前の夜と、あの夜の続き

2015年、「軽いうつ」だった頃に書いた小説です。もう時効だろうということで公開します。原稿用紙96枚。縦書きpdfファイル

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あの夜と、あの夜よりも前の夜と、あの夜の続き

 九月二十二日。徹夜明け、昼前に新宿の文房具屋に行き、万年筆と原稿用紙百枚を買った。医師の診断によれば「軽いうつ」で、もうまったく気力を失い、何十時間も眠り続ける日々の中で、万年筆を持って原稿用紙に向かってみることはできる気がしてきたのだった。帰宅して眠った。その夜、僕は書き始めた。

 語り始めてみよう。

 あの夜を終わらせないために。

 あの夜はもう、あの、という言葉でしか指示することのできない遠くにある。けれどもそれは決して手の届かない距離ではなく、あの夜を終わらせないことが、どうにかして可能なのではないかと、もちろん現実的には既にあの夜は終わっているのだけど、何か特別なやり方によって、僕はあの夜を終わらせずにいられるのではないかと、そう思わせもする、そんな距離なのだ。

 語り始めてみよう。あの夜を終わらせないために。

 八月十日のことだ。

 もう君に話してしまっても構わないと思った。向かいに座って眠そうな目をしながら串かつを頬張る君はとても美しかったし、店を出て見上げた月もまた、とても綺麗だったのだ、と。

 あの夜を終わらせたくなくて、けれどもあの夜は既に終わっている。ふと口をつく「あの」という言葉が、あの夜の遠さを指し示している。それなのに僕は、僕には、終わらせたくないあの夜があって、こうして語り始めることによって、語り続けることによって、あの夜を守ることができると、あの夜の闇を、風――台風が通り過ぎたとかかすめたとかした八月十日の夜、荻窪には冷たい風が吹いていて、それが雲を押し流し、僕の見上げた月を切り刻んだ――を、月や街灯、居酒屋の匂いや声――最終電車の過ぎた駅前の、雨上がりの町のコンクリートに反射してきらめく光のようにひそやかに弾んだり揺らめいたりする男女の話し声――を、あれらを、語り続けることによって、終わらせないことができるのではないかと、どこかで期待している。

 八月十日。台風が通り過ぎたとか、かすめたとか、そういうある夏の夜。サークルの友人と遊ぶから浅草に来いという君の誘いを断って、かねてからの約束どおり新宿で、SNSで知り合った人たちと酒を飲み、心労もあってひどく酔っ払い、二次会に向かう途中で君に会いたい、今君に会えば何もかもうまくいく、というような気分になって、すいませんここでと告げて彼らから離れて、歩きながら君に電話をかけてしまった。君はその時には既に中央線に乗り込んでいて、電話には出ずにLINEで、今から飲もうと言う僕に「正気か?」と返事をよこした。僕は正気ではないことを告げ、奢るからと続けて送り、心配する君に僕は奨学金があるからと返した。君の乗った電車は既に新宿を過ぎていたから、僕は君より三十分遅れた電車で荻窪駅に向かった。僕は荻窪をほとんど全く知らないから、君の指示通りに改札を出たつもりだったけれど、違う出口から出てしまっていて、十分は君に駅のまわりをぐるぐるさせた。その間、動かないで分かりやすそうな場所にいるべきだろうと僕は何とか通りとかいう商店街の入口で君を待ち、LINEの通話は普通の通話よりも音の質が悪くて、厚いフィルターのようなもの、距離、を感じて嫌いなのだけれど、君はキャリアの通話料金を嫌ってそればかり使う、その通話越しに君が僕の不手際に笑ったり、「Kさんどこー」とおそらく小走りに揺れる声で呟いたりするのを聞きながら、また迷惑をかけてしまっている、と僕は考え、これまでに好きになった女の子たちにかけた迷惑を思い出して、帰りたくなっていた。

 アスファルトは濡れて街灯の明かりを反射していた。

 静まり返った商店街の入口で君を待っていた十五分の間に一度小雨が降って止んだ。冷たい風が真夏の服装で濡れている僕から体温を奪った。

 やがて暗闇の向こうから君が手を大きく振って走ってきた。ごめんねと僕は言い、わたしすぐ帰りますよ、終電で帰ってよ、と君は言った。

 深夜の荻窪駅前は暗く静まりかえっていて、飲める場所などないのではないかなどと話しながら駅のまわりを半周し、案外すぐ近くにまだ開いている串かつ屋を見つけ入った。

 僕はソースにつけるべきキャベツをそのままかじって顔をしかめ、二度づけ禁止ですよ、と言って君は笑った。

 僕は卒業論文のつらさの話をし、君は企業へのインターンがつらかったという話をした。それから君の家族の話(君は父親のことを大変に尊敬している、それが母親を心配させるほどだ、というような話だった)をし、互いの将来への不安を語り合い、これまでにも何度も繰り返してきた共通の友人たちについての批評、互いの趣味や専門についての批評をあたかも語り合うべきことであるかのように語り合い、けれども僕はやはり正気ではなくて、君がおもしろいかのように話し、興味を抱いているかのように質問を投げかけてくれているのを知りながら、君の髪や眉毛や目や口元や歯並びを見つめていた。君が僕の視線に気づいても、僕はじっと君を見つめ続けた。君の瞳も何度かそれを受け止めて、君は頷いたり微笑んだりしてくれたけれども、やがて視線は君が逸らした。僕は時間のことを忘れているかのような態度を貫いた。君は何度か僕に終電の時刻を尋ね、僕が適当にはぐらかすと、眠いと呟きながら時計を見、もう何時だよ、もう何時だよ、と、何度か僕に時刻を告げた。僕はその意図にも気付かないふりをした。

 これまでにも何度も繰り返してきた、君の昔の恋人の話もした。君がその昔の恋人と実際に交際していた頃から、僕は君と彼の話を聞くのが好きで、何度も何度もその話をするものだから、僕は想像の中で見たこともない彼の姿をかなり細かく組み上げていたし、君と彼だけの過ごした時間について、おそらく君と彼の次くらいに細かく語ってみせることができた。しかし、本当に、君と君の昔の恋人の話が好きだったわけではない――いや、好きだったけれども、何度も何度も聞きたくなるほどに好きだったわけではない。

 やがて一本の電車が荻窪駅に停まり出ていく音を二人で静かに聴いた。それから、あれ終電だったんじゃない、と君は微笑んだままで言った。タクシーで帰るから、と僕は答えた。奨学金で? と君が言い、僕は酒を口に含んだ。君は責めるようにも心配しているようにも言わなかったけれど、それが余計に君の不信を僕に伝えた。テーブルの上には奨学金で支払われる串かつが並んでいた。最初は二本ずつ頼んだけれど、恋心を仄めかした僕を君がそっと拒絶してから僕はもうまったく食欲を失って、ただ酒を少しずつ途切れることなく飲み続けるだけになり、君が串かつを口に運ぶのを、僕はじっと見つめていた。君はそれでも微笑み続け、ほとんど話を途切れさせなかった。君は酒を二杯飲んだ。

 やがて君は本当に眠くなり、約束通り串かつと三杯の酒は奨学金で支払われ、君は自転車のほろ酔い運転で家に帰り、しかし僕はタクシーでは帰らなかった。(君の名誉のために書いておけば、君はしつこく千円札を僕に渡そうとした。)

 原稿用紙に万年筆で文章を書くことは、肉体的にも頭脳的にもリハビリめいて感じられる。進みは遅い。漢字が書けない、間違いなく高校生だった頃よりも書けない。その上、パソコンやスマートフォンで書けば漢字に変換するであろう言葉をひらがなで書くことが耐えられなくて、いちいち電子辞書を開く。文体も何か自分のものではないような気がする。容易に消したり付け足したりできないこと、B4の原稿用紙一枚に四百字しか「表示」されないこと。

 君に向けて書くつもりなどなかったのに、気づけば僕は「君」と呼びかけている。それでもやはり僕はこれを君に向けて書いているつもりはない。届けばいいとは思う。ただし、海に漂う小瓶のように。

 あの夜。八月十日の夜は月の綺麗な夜だった。それは台風が過ぎたとか、かすめたとかしたために特別に綺麗な月だったのかもしれない。店を出て、駅の近くの駐輪場に向かいながら、その月を切り裂いて流れる雲を見上げ、風が強いねと君に話しかけた。君はそうですねと答えたけれど、君は月のことも雲のことも見ていなかったから、僕の感じた風の強さと君の感じた風の強さは種類の違うものだったはずだ。正気ではない僕には、そのずれがとても美しく、可能性に満ちたことであるように感じられて、それを伝えたくて僕は君の背中を見送りながら携帯を取り出し、君の携帯に電話をかけた。君が電話に気づかずに、自転車を漕ぎ続けるのを見送った。そして君の姿の見えなくなる頃にはもう、電話をしたところで伝えられることは何もない、伝えられるべきものは何もないということに気づいていた。

 それから僕は死とか罪とかいう言葉にとりつかれて、駅前のタクシーの並んだ横をふらついているとドアを開いたのが一台あって、僕はその開かれたドアをどうにか素通りしなければならなかった。そのドアはもちろん強い引力をもって僕を吸い込もうとした。僕を染みやひび割れの一つ一つのすっかり馴染んだ古いアパートの一室のベッドにまで運び、いつもどおりの時刻に目覚まし時計をセットさせ思考をシャットダウンさせようとする、甘く強い引力だった。しかし死や罪といった言葉がそれに抗わせた。死や罪は湿った都市の光の下を座らず歩き続け思考し続けることを強いるものだった。僕は歩き続けなければならなかった。

 帰り道に携帯を取り出して僕からの着信があったことに気づいた君は「どうした?」と僕にLINEを送った。僕は返事をしなかった。

 自転車に乗ってしまう前に、この何とかという通りをまっすぐ行けばどこかに着く、と君は何やら教えてくれたけれど、僕は頷いただけで理解はしていなかった。案内標識は度々あったけれど確かめなかった。確かめることによって歩みを止めたり、引き返すことになったり、行き着く場所が決定されたりしてしまうことを恐れてのことだった。僕の意識にとりついた死とか罪とかいう言葉が、それを恐れさせた。道は歩き続けるための場所でなければならなかった。あるいは単に、案内標識などのために首を上げ目を細めるような気力がなかったということかもしれない。

 ひどく疲れていた。頭は重く、瞳は乾き、冷や汗は乾かない。冷たい風が体温を奪っていく。大通りの上に停滞する埃や塵や化学物質を含んだ湿った空気を吸い込みながら僕は、動くつもりのない身体をどうにか動かし続けた。

 あの夜。僕は歩き始めた。そしてまだ歩き続けている。

 そう書いておこう。あの夜を終わらせないために。

 九月二三日。

 書くために……机の上を片付ける。それ以上のことを望まない。

 デモを見に六本木まで行った。そのデモのことはツイッターでたまたま知り、この国の問題というものがどういうものなのか、見ておこうと思ったのだった。外国人たちが写真を撮っていた。警察と、デモについてまわって抗議する人々の向こうに彼らはいた。彼らの顔に張り付いた笑顔や手の振り方を見て僕は皇族を連想した。やがて柵や警察に邪魔されて、回り道をする中で彼らを見失い、警察に声をかけられて、帰るところだと答えて実際にそのまま帰った。

 カウンターの人々の中にいて、僕は一言も声を発することができなかった。ただ歩いて、帰っただけだった。

 時代に流されて生きる、ということについて考えることがある。流される、という言葉にはマイナスのニュアンスがある。しかし、時代に流されて生きるということは、今この状態よりもずっと、素敵なことのように、思えることがある。流されて、と言わなくてもいい。時代とともに、でもいい。そちらの方が正確かもしれない。しかし何にせよ僕にはそれもできないようだ。

 帰りに本屋で辞書を買った。机の上に紙の辞書を置いておく必要があった。

 数十年前の文筆に思いを馳せる。原稿用紙に万年筆でスムーズに書けていたような人々と僕とでは、おそらく決定的に、何かが違ってしまっているだろう、といったことを考える。

 なぜ僕は原稿用紙と万年筆でものを書こうという気持ちになったのだろうか? 僕の読んできたものの多くが原稿用紙に万年筆なりペンなりペンシルなりによって書かれたという知識が無意識に働いたのかもしれない。数十年前の文筆。彼らが原稿用紙に万年筆で書いていたことと、僕がこうして原稿用紙に万年筆で書いていることとの間には、大きな、性質上の隔たりがある。これが何か、意味を持ったりすることが、あるだろうか? 単に逃避かもしれない。スムーズに思ったとおりに書けるであろうパソコンですら書くことができないことからの逃避。しかし、事実として、パソコンでは書き出すことができなかったのに、原稿用紙に向かって万年筆を持ってみれば、とりあえず書き出してみることができている。書き出すことができれば、自ずと、言葉を一定の方向に導く何かが駆動するように感じられる。「僕」が歩き、何かを選択し、誰かに出会い始める、感じがする。

 原稿用紙に万年筆で書くことは、リハビリめいて感じられる。リハビリ。本来の意味でのリハビリなどしたことがない。そもそもリハビリという言葉が何という単語を略したものなのかさえ知らない。リハビリテーション? habitと関係があるのだろうか。調べようとは思わない。ただ、「リ」はやはりreだろう。原稿用紙に万年筆で書くこと。リハビリなどしたことがないし、その語源も知らぬのに、これをリハビリめいていると感じるのは、おもしろい。僕は、原稿用紙に万年筆で書くことで、何かを、再び――取り戻そうとしている。取り戻されようとしていると、僕はそう感じているのだ。

 きっと実際には何も取り戻されたりはしない。もちろん新たなものを得ることもないだろうと、理性の部分ではわかっている。それでも。

 もしパソコンで書いていたら、右に書いたようなつまらない文章はデリートしてしまうだろう。もちろん既に消した言葉も文もある。既に数枚を丸めて捨てた。けれどもそれらはやはり、パソコンで書いて消すのとは、何かが違う。何かが……。 

 九月二六日。

 院試に落ちたらどうにも進路がなくなるので、そうしたら一つ小説でも書こうと考えていたのだが、院試には落ちていた。

 小説を書くのだと、なぜか昔から思っていた。初めて書いたのは小学の四、五年のときで、ゴミのような推理小説だった。次に書いたのはSFで、これはアイデア自体は今でもおもしろかったと思っているのだが、やはりそのノートも残っていない。覚えていないが、どこかの時点できちんとゴミに出したのだ。

 中学生のときにも書いていた。高校生のときにも。けれどもその期間にまともに完結した長編は一本だけだった。去年書いた小説は新人賞の一次だけ通った。読み返せば、それもできの悪い、まともに書かれてさえいない小説だった。

 学生のうちに新人賞を取る、と高校生の頃友人に話したらしい。そのようなことを言ったことを僕自身は完全に忘れていたのだが、何ヶ月か前に当の友人にそう言っていたと教えられて何となく思い出し、それ以来度々、自分はかつてそんなことを言ったのだということを考え、笑う。まともに、普通に書くことさえできないのに、僕には抜きん出た文才があって、少なくとも大学の四年間もあればデビューにふさわしい傑作が書けるに違いないと、高校生の頃の僕は思っていた。成長期にある者の驕り。何だかんだ言って僕は、時が過ぎれば大抵のことは良くなっていくのだと、少し前まで、そういう信仰を無意識に持っていた。それは丁度成長に重なる。しかしそもそも現実には成長さえ良さとは無縁の何かであるし、ここから先は、大抵のものが失われていく。

 そういえば、彼女は僕の去年書いた小説を数ヶ月かけてようやく読んでくれた。エロくて良い、と彼女は感想を言った。あの小説のヒロインにはモデルがいた。あの小説にはモデルである女性だけに向けられた仕掛けがあった。それを話すと気持ち悪いと言って彼女は笑ったが、そうすると、あの小説を僕は、あの女性に読ませようと思って書いたのだろうか? 絶対に違う。僕は先日こう書いている。

 君に向けて書くつもりなどなかったのに、気づけば僕は「君」と呼びかけている。それでもやはり僕はこれを君に向けて書いているつもりはない。届けばいいとは思う。ただし、海に漂う小瓶のように。

 海に漂う小瓶のように――ゴミのような比喩だけれども、僕にはこれを消すことができない。海に漂う小瓶のように――去年書いた小説は、届いていない。あの夜についての文章も、届くことはないだろう。海は広いのだ。それでも。

 十月四日。

 奇妙な夢を見た。

 目覚めた時、身体は感覚がなく、動きようもないように思え、一分ほどまどろんでからようやく身体を起こした。僕を目覚めさせたのは寒さだった。開け放たれた窓から侵入した秋の外気に、身体中をしばられてしまって、それからようやく目を覚ましたのだ。電源タップの通電していることを示すオレンジの明かりや、テレビの電源の切れていることを示す赤や、時刻を示すデジタル時計の緑が、闇に浮かんでいるのを、身体をしばられたままでしばらく見つめた。その夜は雨まで降っていた。雨の音、水滴の落ちる音を、しばらく聴いた。それは夢の中でも聞こえていた、と僕は思い出した。

 窓をしめて机に向かった。時刻を確かめる気はしなかった。目覚めるべき時刻でないことはわかっていた。

 昨晩は江古田でサークルの人間とモサリーニのライブを観に行ったのだった。なかなか楽しかった。Decarisimoが良かった。彼女はお嬢さまといった感じのしっかりとした赤いワンピースを着ていた。演奏するの? と僕らは彼女を茶化した。

 あの夜を終わらせないために。

 あの夜。僕は歩き続けていた。iPodは〈天使のミロンガ〉を再生した。天使のミロンガ。天使の踊るための音楽。愚かな人間たちのために地上に舞い降り、凶弾に倒れる美しき天使。天使は明けない夜に舞い降りる。何者の意志にもよらず、必然として、それは舞い降りる。

 夢。午前零時。時計の針はもうそれ以上進まない。もちろん戻りもしない。その明けない夜の中心、薄汚れた建造物、意味の取れない落書きや猥雑な広告に覆われた建造物、崩れ落ちた塔の残骸のように散らばって、しかし奇妙な秩序を保って立ち並ぶ建造物、それらの間を縫う路地、ひび割れて雑草の根を伸ばし、緑や黄色の何かが粘ついてこびりついたアスファルトの上。天使は光に包まれそこに降り立つ。地上に降り立った天使の姿は地上の光に汚された夜空に暈を纏って浮かぶ白い月を連想させる。天使は一人の男を、冷たい汗と湿気に濡れて風に体温を奪われている一人の男、語るべき言葉と語りかけるべき人を失った一人の男を、憐れむようでも、受け入れるようでも拒絶するようでもなく、ただ見つめる。

 ヤギ、と天使は呟く。

 ヤギはおそらく山羊ではなかった。それどころか、僕にはヤギと聞こえただけで、違った音の言葉だったかもしれないし、言葉でさえなかったかもしれない。しかし天使の発したその声は僕に白く豊かな体毛を持ち湾曲した歪に巨大な一対の角を持った一匹の獣を想起させた。天使と向かいあった男は、どこか言葉じみた、規則的で不吉なリズムと音程を持った呻き声のような声を一小節ほど発した。彼のその声はいかなる意味にも結びつかず、そのことが彼を息苦しくさせた。彼はそのきまりの悪さをごまかそうとして、天使の体を無理に引き寄せ、抱いた。彼の腕の中で天使はにわかに女じみ、しかしどこか中性的な芯を残して抱かれていたが、やがてそれも女の肉体の存在感に覆われていき、そのとき天使の衣ははじめからそうであったかのように暗い赤色で、そして天使は光を失い、生身の体で、明けない夜の巨大な都市の中心に、無理に抱き寄せられ不安定な姿勢のままで立たなければならなかった。

 あの夜。僕は歩き続ける。ヴァイオリンが哀切なメロディを奏でる。やがてバンドネオンがそれを引き継いでいる。クレッシェンドするバンドネオン、ピアノのアウフタクトの強さに対して、ヴァイオリンは淡い、空気を含んだようなフラジオレットを鳴らす。そうして〈天使のミロンガ〉は終わりに向かっていく。僕はこの曲を演奏している君の姿を思い出そうとする。君は黒いドレスを着ている。けれども、それ以上のディテールを描く余裕はない。黒いドレスを着た君は僕の荒い歩行に合わせて上下に揺れ動き、街灯や店の暴力的な光に突き動かされ霧散する。僕は歩き続ける。再び小雨が降り始める。

 つかの間の無音。〈天使のミロンガ〉が終わり、そして、次の曲が再生される。〈Sin Retorno〉――それは彼女のお気に入りの曲だった。

 夢。僕は彼女を抱き締めている。彼は僕だった。僕は僕と彼女を見つめている。小雨が二人を優しく包み込んでいる。湿った空気は二人の境界を溶かし、それが二人にはたまらなく心地よくて、二人は互いを更に強く求め、抱き締めた。

 見つめているのは僕だけではなかった。それをあらゆる種類の人間が見つめていた。白人や黒人や黄色人種、丸い顔の者や細長い目をした者、髪の縮れた者や金色の者、そういった無数の性質を持つ人々の、数学的に存在し得るあらゆる組み合わせの性交によって生まれ落ちた人々が、それぞれの言語を話しながら、それぞれの表情と身振りで、抱き合う二人を見つめ、睨み、あるいは視界の端に捉えている。ある者は慈悲深い笑みをたたえ、ある者は嘲り笑い、ある者は口元だけで笑い、ある者は目だけで笑って、ある者は涙を流して微笑み、ある者は自嘲気味に笑った。そうして彼らはそれぞれの言語を話す者たちの間で批評の言葉を交換していた。彼らは僕らを取り囲み、言葉は時に僕らの頭上を越えて飛び交い、言葉は僕と君のほんの僅かな隙間に入り込み熱となって、むず痒さとなり、そうして僕らは少しずつ引き剥がされていく。やがて僕の思考は他者の言葉の奔流に飲まれて、君の体温が、君の声が、君の瞳が、ノイズの向こうに消えてしまって、光景はやがて綻び剥がれ落ちていき、僕はイヤフォンを引っ張り丸めてポケットにねじ込んだ。〈Sin Retorno〉は終わりまで聴かれなかった。夜は小雨のノイズに満ちていた。

〈Sin Retorno〉を聴いた。Without Return――どういう意味なのだろう。ググってみても情報はない。曲として「繰り返し」がないということはなさそうである。君に聞けばもしかしたらわかるのかもしれないけれど。

 あの夜よりも前の夜。その夜彼女は、誕生日プレゼントを用意して、彼の部屋へと向かっていた。

 その頃の彼女の悩みの中心は彼であり、それはつい先日まで続いていて、今はどうか知らない。僕はここしばらく家に引きこもっていてサークルにも出ておらず、彼女にも会っていないのだ。もちろん連絡も取っていない。会ってしまえば何でも話せるのに、電話をかけることも、メールを送ることも、ためらわれた。

 彼女は悩んでいた。それは彼との問題であり、突き詰めれば愛の問題であった。友人や先輩に自嘲気味に話してみることはできても、家族には絶対に言えないし、僕のように小説に書いてみたりツイッターに投稿してみたりすることもできない。自分にはどうしても納得して乗り越えられない切実な問題であっても、客観的に見てそれが取るに足らない、人類の歴史のどこかで既に解決されているとみなされた問題であることがわかっているから、家族ほど近くなく、潜在的な読者や匿名の友人たち程遠くない友人や先輩にしか話してみることができないのだ。彼らは真剣にアドバイスをくれたり、笑って馬鹿馬鹿しいと言ったり、難しい本や怪しげな本や怪しげなネット記事を紹介してくれたり、様々に反応したけれど、それらは最も心地良い距離からであった。

   ・・・

 しかし、客観的に見て、愛とは思考するに値する、最も普遍的で深遠なテーマでもあるはずなのだ、と私は思っている。私にはわからない。愛について。愛は常にテーマだ。それなのに、「そんなことは知らないよ」「それについては全部わかってるよ」というような感じで人は笑う。私は愛について思考し続けた偉大な知性をいくつも知っている。それらはいつまでたっても読まれ続けている。けれども誰も私の問いにまともには答えない。私の悩みは、愛についての問題の中で最もその中心に近いものの一つであるはずなのに。

 私は愛について思考し続けた偉大な知性をいくつも知っている。けれども彼らの書物は、どうしてもどこか愛の中心から外れたところしか見せない覗き穴であるように私には思える。そこから見えるもの、彼らが見たと言って記すものは愛の隣にあるものでしかないように私には思える。もっと言ってしまえば誰一人、本当には愛について思考することができていないのではないか、という気さえする。愛は言葉を超えたものだ、と小説家を目指す先輩が言っていた。愛について書かれた書物があったとして、その言葉にはされていない部分が愛だ。彼はおそらくそれを酒の勢いで適当に語ったのだろうけど、彼の言ったことは私にはすごくわかった。わかりながら、でも私は、そのようには考えられない、と思った。結局私は言葉によってしか思考できない。思考する、ということそれ自体についても、言葉によってしか思考できない。偉大な知性たちの一パーセントにも足りない言葉によって私は思考してしまう。先輩のように、言葉にならないものとして、言葉の外側にあるそれを納得してしまうことが私にはできない。言葉の外側にあるという、愛と呼ばれるそれを、先輩はどうして納得していられるんですか。たぶん彼は答えない。ごめん、適当にしゃべってるんだ、酔ってるからと彼は言う。

 愛というものは結局性欲なのではないか? それが私の問いだ。それ以上でもそれ以下でもない。愛は性欲である。言葉通りだ。

 この命題の素朴さを、愚かさを、私はわかっている。そんな問いの答えは既に出ていると、あなたは言うかもしれない。そんな悩みは既に誰かによって悩み抜かれ、悩み終えられ、図書館に収められていると、そうあなたは言うだろう。けれども、私は悩み抜き悩み終えた誰かではない。これは人類の問題であると同時に私だけの問題なのだ。人類? 私は一人だ。そういうことだ。偉大な知性たちの見た愛は、私の愛ではないのだ。ああ、そういうことなのだろう。私は私で、愛というものについて思考しなければならないのだ。書かれたものはその隣のものでしかない。

   ・・・

 混乱した語り。

 彼女は思考の過程にある。ここに書かれているものは過程だ。普通、文章は構成されるものだろう。では、それは思考の結果である、と言えるだろう。

 けれども、この文章は思考の過程で書かれている。この文章に書かれているものは思考の過程だ。この文章は思考の過程だ。だから、そこで語られていることは、矛盾を孕んでいる(孕という字の孕んでいる感じはすごい)。

 さらに言えば、この混乱、この思考の過程は、彼女の混乱、思考の過程ではなくて、僕の混乱であり、思考の過程なのだから、ややこしい。いや、やはり、彼女の混乱、彼女の思考の過程でもあり得るか? 彼女の思うことは彼女の思うことでしかない。無論彼女はある生身の肉体を持った女性を指し示す三人称代名詞などではなく、指示対象を持たない記号、と言うこともできるようなものなのではないだろうかと思う。しかし何にせよ、その彼女の思うことは、彼女の思うことでしかないだろう。

   ・・・

 もし私が敬虔なクリスチャンで、結婚するまでは絶対にセックスできないとしたら、それでも君は私と付き合い続ける?

 君は真っ直ぐに答えなかった。それが君のコミュニケーション能力の低さゆえの迂曲なのか、それとも、戦略的に選ばれたあいまいな言い回しだったのか、私には判別できなくて、それで私は恋や愛のことが完全にわからなくなってしまった。その頃私はあらゆるコミュニティに対して難しさを感じていて、そんな暗い世界の中で君が私を、私の魂、私そのもののようなものを、肯定して、欲望してくれていることを唯一つの支えにしていたのに、その最後の火が少し油断して瞬きをした間に消えてしまったような、そんな気持ちになって、君が振り向かないのを良いことに、こっそり道を逸れて、小走りで駅に向かい、早歩きで家に帰って、親と顔を合わせてしまうと余計に惨めな思いをすることになるような気がして、ぐるぐると鳴って空っぽであると訴える胃袋にうんざりさせられながら、着替えもせず化粧も落とさずベッドに入った。そういう夜があった。

 また別の日。絶対にセックスはさせないって言ったらどうする、とメールを送ったとき、襲っちゃうかもしれないと君は送って返してきた。私はおかしくて笑った。誰かに対して攻撃的になる君を、想像することができなかったから。けれども、また別の日、冷たい風に体を小さくしながら日暮れの公園のベンチに二人座っているときにふと、まじめな顔をして私に襲いかかる君が、君に襲われて抵抗もできない私が、とてもリアルに想像されてしまって、脳裏のその光景はひどくグロテスクで、惨めでかわいそうで、想像の中の私が無表情なのがとても恐ろしくて、泣いたとき君はアミノ酸の話をしていた。適当に相づちを打ちながら地面を見つめていた私が突然泣き出しても、君はアミノ酸の種類がどうのこうのという話をおもしろくもなさそうにし続けた。君は私が泣いていることに気づいていた、かもしれない。

 私たちの初めてのデートは君の通う大学のキャンパスで、君は私に山羊を見せたのだった。実習の道具である山羊は平和に佇み、山羊の前に並んで立つ二人を平和な気持ちにさせた。君は大学での学びについてぽつぽつと話した。君は時々おもしろいことを話して私を笑わせた。私たちはキャンパスを並んで歩いて、建築やすれ違う人々について噛み合いきらない会話をして、時々君が本当にそうだと私にも思えることを言うのが私はとても嬉しかった。その瞬間を思えば君といるすべての時間が幸福だった。そういう日々もあった。そういう風に思い出すことのできる日々もあった。

 いつから、私と君の間にはセックスがあった。気づいたときにはそれはもう堂々と私と君の間に場所を得て、私たちが互いに向き合うとき、否応なく、私たちは間にあるそれを注視し、それについて思考し、意見しなければならなくなっていた。私たちはそして、まるで違うものを見ているかのように、それについて同じ思いを持つことができない。同じ言葉で語ることができない。私の言葉が君に通じないことが私には理解できないし、たぶん君も、自分の言葉が私に通じていないことに驚いている。

 言葉。愛は言葉を超えたものだ、と小説家になりたい先輩が言っていた。愛について書かれた書物があったとして、その言葉にはされていない部分が愛だ。

 言葉は私ではない。きっと、そういうことなのだろう。書かれたものは私の隣のものであって、私によって語られるものは、永遠に私ではない。だから、君の聞いている言葉は、私ではない。そして私の聞く君の言葉も、君ではない。そういうこと、ではないだろうか。私たちは、私たちの言葉から、永遠にズレている。だから、言葉を超えて納得しなければならない。先輩の言っていたのは、そういうことだったのだ、たぶん――どうだろうか? わかりかけた気がして、でも、やっぱりわからない。私がこういうことを言えば、きっと先輩は「なるほど。おもしろい考え方だね」とでも言って、誰かとお酒を飲んだときに適当に話したりするだろう。ツイッターで呟くかもしれない。小説に書くかもしれない。その小説の言葉にはされていない部分に愛があり、私や先輩がいる。でもなぜ先輩は、それでも言葉で書こうとするのだろう? 先輩が小説を書く理由を私は聞いたことがなかった。先輩が小説を書いているということがあまりに自然のことに感じられて、疑問に思ったことがなかった。先輩は、なぜ小説を書くのだろう。そもそも、なぜ人類は小説を書くのだろう? 問題は膨らんでいく。

 やがて私は君の家に着く。

 私は君に、誕生日プレゼントを用意している。

  

 原稿用紙に万年筆で書く、この遅さ。

 取り返しのつかなさ。

 

自由

下に敷いてカップ麺を食べることもできる。

 カップ麺を食べて思い出したが、僕がカップヌードルのシーフード味を好んで食べるようになったのは、中学生の頃、友人に一口だけ食べさせてもらったのがカップヌードルのシーフード味だったからだ。

 中学生の頃、陸上部の仲間やバスケ部の友人と夜明け前に隣町までの往復を走った。走り終えて入ったコンビニで、友人はカップ麺を買ったが、僕は持ち合わせがなかった。しつこく頼んでようやく、タコの一切れと麺の数本を食べさせてくれた。それが美味かったのと、もっと食べたい、食わせてくれてもいいのにという思いが、その残余が、今でも僕にシーフード味ばかりを買わせるのだ。

 最近は昔のことばかり思い出す。

 白血病で死んだ女の子がいた。小学の低学年だった頃、彼女は同級生で、僕のことを好いてくれていたようだった。少し奇妙な言動をとる子で、彼女を嫌い子供の残酷さで嫌悪感を率直に表明する同級生が多かった。僕も彼女を疎ましく思っていた。それでも彼女は僕のことを好いてくれていたようだった。彼女はチャンスがあれば僕を抱きしめてくれたし、頬にキスまでしてくれた。

 いつの間にか彼女は学校からいなくなっていて、ある日、白血病で入院しているという話をされ、手紙を書かされたり鶴を折らされたりした。彼女は体調の良いときに何度かニット帽をかぶって学校に来ることがあったが、皆が気まずそうにしていた。彼女にしてみたって、相当に気まずく、気の進まない訪問だったのではないだろうか? 子供ながらに僕たちは病気の少女をいたわるクラスメートの役割をぎこちなくもこなし、彼女は彼女で病気の少女の役割をぎこちなくもこなしていた。僕を好いてくれていた頃の、自由奔放だった彼女が、病気の少女の役割をこなしていることが、僕にはわかって――僕にはそのように感じられて、胸にちくちくと刺さるものがあり、僕は彼女を直視できなかった。

 ある日、同級生たちが教室に集められ、涙を流す先生が、彼女の死を知らせた。移植手術を受けたという話を前に聞いていた。そのうちに戻ってくるのだろうと僕も同級生たちも思っていたのだった。「天にのぼった」とかなんとか、忘れてしまったけれども妙に婉曲的な言い方をして、先生が何を言わんとしているのか、しばらく本当にわからなかった。それは僕の嫌いな先生だった。

 僕は別に悲しくなかった。よく覚えていない。ほっとする気持ちさえあった、などとおさまりの良い言葉を想像で書いてしまうことは避けたいけれども、少なくとも、悲しくなかったことは確かだ。それでも、思い出す、時々。悲しくはなかったことまで含めて、時々、思い出す。

 そういえば、村上春樹の『風の歌を聴け』にこんな一節がある。

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。

 あの夜、やがて僕は歩き疲れて、歩き続けられなくなって、二十四時間営業のファストフード店に入る。しかしそこで朝まで時間を潰せるとは思えないし、また朝を迎えたところで再び我が家に向かって歩みを進められるとも思えない。そこは終わらない夜を静かに受け入れるための場所だ。

 頬を撫でるとひげが伸びている。ふと目の前の窓ガラスに目をやると、そこには締りのない、嘘のように表情のない、人間そっくりのアンドロイドのような顔が映っている。僕が苦笑いをしてみせても、窓ガラスに映るそれは少しも動かず、薄暗い嫌な顔で僕を見つめ続ける。ガラスの向こうで僕は僕を蔑んでいる。僕は蔑み返してみせる。フライドポテトをかじろうとして口を開いた窓ガラスの僕は、僕の知らない言葉を話し始めそうで、怖くなって僕は視線をそらす。

 君は僕に何を訊きたいんだ? 彼は僕に問いかける。君は何を訊きたい? 僕は仕方なく彼の方に目をやる。彼は窓の外を、あるいはそこに映る自分自身を、あるいは空気を見つめながら、ハンバーガーにかじりつく。味の露骨さに顔をしかめる。

 このような質問の仕方は不適切であったかもしれない。というのも、君が僕に訊きたいことを僕は知っているんだ。しかし、会話というものがしばしば、このように答えのわかりきった、答えに価値のない疑問形によって始められることを、僕たちは知っている。

 罪を償うことは可能だろうか。

 わからない、と男は答える。罪を償うことは可能か? この問いに答えるためにはまず罪という言葉を問わなければならない。償うという言葉を、可能だという言葉を問わなければならない。君はこうした問いを無視して進むことはできないだろう。君はこのような問い方しかできないだろう。

 それは、絶望的なことのように感じられる。

 けれども、と彼は言う。考えてみることはできる。僕たちは考え始めてみることができる。いつでも語り始めることができるように、考え始めてみることができる。ときに君は――時計について何を知っている?

 回り続ける。

 そう、それは真だ。時計の針は止まらない。付け加えるならば、時計は時計回りに回り続ける。時計回りというくらいだからね。不可逆にしてとどまることを知らぬ時というものを、目に見える形で表現したものが時計だ。時が不可逆であることを僕たちは知っている。時を止めることができないことを僕たちは知っている。そしてこの知識は、君の、その――疑問の答えを考える上で、非常に重要な前提をなすことになる。つまり――時計の針の動き方は、人間の知覚するあらゆるものの条件だ。

 論理のどこかに飛躍があるのではないか?

 そうかもしれない。そもそも僕は論理的に何かを考えてまとめて言葉にするということが苦手だ。

 時計は時そのものではない。時の性質の何割かを時計は表現しているかもしれないけれども、このような思考の仕方では、時計の性質が時にも当てはまると考えてしまいかねないのではないか。

 なるほど。時計を時そのもののように捉えることは、時について語られたことを時そのもののように捉えてしまうことと、確かに、違わないかもしれない。

 ずれている。

 時計は常にある程度、時そのものとはずれているし、外的条件によって混乱させられることもある。しかしそれでも、時計が人間の条件であることは揺るがないだろう。人間は本当には時の流れなるものには従属していない。人間の知覚もまた常に、そのもの、とでも呼ぶべきものからはずれているし、外的な条件――僕たちの内部も含めてそう呼ぶのだけど――外的な条件によって、混乱させられることは、言うまでもないことだ。

 わからない。

 僕たちは時計から降りることなどできない。初めから乗っていないか、落ちるかだ。生まれることのない者と、消え去って忘れ去られた死者だけが、時計の外にいる。ところで、と言って彼はある一点を指し示す。

 僕はふと、窓ガラスに映る掛時計に気づく。無個性な丸い時計は、零時を指している。僕は時計から目を離せない。針は進まない。進みようもないように見える。

「壊れてるんですよ」

 掃除をしていた若い男が愛想よく言う。

 あれを止めたのは君だ。彼が僕に言う。彼は微笑んでいる。嫌な笑い方だ、と僕は思う。人を不快にさせる、嫌な笑い方だ。

 僕があれを止めた?

 そうだ、と答える窓に映る彼は既に僕への興味を失いつつあった。彼は食べ終えたハンバーガーの包みをぐしゃぐしゃに丸め、ナプキンで口を拭い、細かい文字を見るように目を細め、僕を見た。

 君は時計を止めてしまった。君はあるいはそれを望んでいたのかもしれないが、しかし合理的ではないし、また倫理的でもなかったと言わざるを得ないだろう。君はこのような形で時計を止めるべきではなかった。しかし――あれを見れば、納得するしかない。つまり――時計は、過去の一点を指し得る。どういうことだろうか?

 時計は過去の一点を指し示しなどしない。

 僕は出発の準備をする。準備と言っても心構えくらいのものだ。最後にもう一度、窓ガラスに映る自分と向き合う。

 君は僕だ。だから僕は君がこれからすることを知っている。君はこれから、時計の針の止まった夜を歩く――しかし時間はそれほど残されていない。時計というものは止まったままでいられるものではないし、君も時計のねじを回さずにはいられないから。僕はもう君を送り出さなくてはならない。しかし最後に一つ。罪を償う、と君は言ったけれど、君は君の犯した罪を本当には知らない。知ろうともしていない。知れ、と言うのではない。それを知るには、この夜は短すぎる。

 僕はバッグを持ち、席を立ち、最後にもう一度窓ガラスに目をやった。彼の視線はまっすぐ僕の目と向き合い、僕の顔の表面を撫で、そして離れた。

 僕は月を探してみた。僕は歩き、ビルの隙間を見つけると覗きこんだ。歩け。それは温さと湿度と薄められた夜の闇に倒れこんでコンクリートに沈んでしまいたくなる僕を揺さぶり起こす声であった。歩き続ける。この夜を終わらせるな、と声は言う。

 あの夜、僕はそれから、日が昇るまで歩き続けた。

(嘘。)

 混乱。

 僕は書いているのか? 語っているのか?

 書き手たる僕は書いている。

 語り手たる僕は語っている。

 けれども僕は僕でしかない。

 生身の肉体を持ったKでしかない。

 

 生身の肉体を持ったK。

 しかし、生身の肉体しか持たないわけではない。

 孤独は僕に僕との対話を迫る。それは自身を知るなどという行為から最もかけ離れた行為である。僕にとって僕は永遠に遠い他者だ。孤独の中で、僕は僕との永遠の距離を知るだけだ。

 最近は昔のことばかり思い出す。

 映画を観に行ったことがあった。僕と彼女はあの日、池袋駅で待ち合わせて、チケットを買ったあと上映までの時間にサンシャインシティのトイザらスをひやかした。何か奇妙なキャラクターのぬいぐるみを手にとって笑ったり、ベビーカーの置いてあるあたりに迷い込んで恥ずかしそうにしたり(正確には、ベビーカーの置いてあるあたりで彼女が少し早口になりながら突然引き返したのだった。後になって、恥ずかしさ故だったのだと気づいた。今思えば、それは無論、そのような場所で僕といることの恥ずかしさ、あるいは嫌な感じ、だったはずだ)、体験機でゲームをしたりしたあと、観た映画を思い出せない。二人分のポップコーンを買って、映画の終わったあとに残ったそれを持ちだして、近くの喫茶店でこっそり食べながら語り合った映画の感想を覚えていない。しかし上映中、彼女が泣いたことは覚えている。彼女の瞳にスクリーンのひかりが複雑に反射してきらめいていたことを覚えている。

 歩き続けている。

 ファストフード店を出る前から、自分と世界が切り離されたような感覚を抱いていた。

 ネオンや看板は意味をなさない記号の列として僕の目に映った。それは僕の知らない言語である場合もあっただろうし、僕の知らない固有名詞である場合もあっただろうし、僕の知らない、知っている者にはすぐにそれだとわかる商標であった場合もあっただろう。ただ僕にはそれらは何ものも指し示さなかった。

 僕は不思議と急いでいた。時にはすれ違う人もいた。男の時もあり、女の場合もあった。皆一様に、若すぎることはなく老いてもいなかった。そして誰もが疲れきった顔をしていた。そしてまた誰もが帰ろうとしているようだった。彼らは僕にほんの僅かな興味も示そうとせず、幽霊のように過ぎ去っていく――幽霊のように?

 彼らもまた皆急いでいるようだったが、それは消極的な急ぎ方だった。早く帰り着きたいのでなく、ただ早くその場を行き去りたいのだ。そういった感情は僕にも馴染みのあるものだった(馴染みのあるその感情を投影しているだけのことかもしれない)。しかし今の僕には、行き去りたいと思う程、この場所に属しているという感覚がない。この場所に存在することに耐え難さを感じるほどに、僕はこの場所に存在していない。僕はこの場所から浮き出て漂っている。

 しかし、何か、僕を引きずる、あるいは追い立てる、何かがある。漂う僕はその何かによって、方向づけられ、急かされている。

 路地の向こうには高い塔が乱立している。その頂点で鼓動のように赤い光が点滅している。

 最近なんかおもしろいことあった?

 最近。何もないよ。おもしろいこともつまらないこともない。

 私、Kさんみたいな人、男として好きになれないです。彼女の言葉に僕は笑う。

 どういう人間?

 こういう人間。

 笑って話を聞く僕と、笑って聞けない僕がいる。

 君は僕の何を知ってるんだ。

 私はあなたがあなたについて知っている全部を知っている。

 他人の知っていることの一つも人は知り得ないだろう。知る、というのはそういうものだよ。

 私はあなたのそういうところが嫌い。

 下を向いたまま彼女は言う。

 あなたは本当はそう思っていないでしょ。

 道は下り坂になる。少しずつすれ違う人の数が増えていく。駅に近づいているのだ。

 ピンクのパーカーを着た少女が前から歩いてくる。彼女はフードをかぶって、下を向いて歩いていて、その顔は見えない。両手をポケットにつっこみ、前を見ようとしないまま、まっすぐ僕に向かって歩いてくる。

 それに、私はあなただから。

 どういう意味?

 私はあなただから、あなたの知っているすべてを知っている。そしてあなたのそういうところが嫌い、あなたみたいな人間が嫌い。

 君の言う私は君であって、僕じゃない。

 あなたの言う僕はあなた自身でも、あなたはあなた自身じゃない。

 わからないな。

 本当はわかってる。

 ピンクのパーカーを着た少女は僕の靴を視界に捉え、顔を上げないまま小さく舌打ちをし、横に大きく避ける。僕らはすれ違う。

 好きな女の子がいたんだ。

 どんな人?

 すごく良い子だった。とても美人だった。

 それで?

 消えてしまった。

 嘘。

 疑いようもなく彼女は消えてしまった。僕は彼女に触れようとしたんだ。触れたかった。だから彼女は消えてしまった。僕のせいで。

 嘘。

 君にとっての本当と、僕にとっての本当は違うんだよ。

 嘘ね。あなたは本当はわかっている。消えたのはあなたの方だって。

 僕が。

「あ、山羊」

 昔のこと?

 何かの縁日だったのだろう。商店街にはいつもより活気があり、屋台が出ていて、店の前に立って客を呼び込み、煙草を吸いながら焼きそばをかき混ぜ、甘い声で子供を誘い込む人々が、僕にはいちいち物珍しく感じられて、彼らをちらちらと見上げながら歩いた。提灯の火が揺れていた。風鈴の音がした。僕は人の波に逆らって進んでいた。何度も人を避け、避けきれずよろけ、謝られ、舌打ちされた。

 彼女が指さしたのは小さな白い毛の多い動物だった。それは簡易に組まれた檻に入れられ、縄を首にまかれ、その縄の先は年寄りの手に握られていた。売り物か見世物なのだろうが、値札も空かんも置いてなかった。ただそれはそこにいてただじっと人の流れを見つめていた。見つめていなかったかもしれない。

「羊だよ、あれは」

「なんで?」

「山羊というのは、もう少し大きい動物だよ」

「小さな山羊だっているでしょ」

「そういう問題じゃなくて、あれは羊なんだよ」

「誰が決めたの」

「日本人はみんなあれを羊と呼ぶ」

「あれは山羊よ。私、日本人じゃないもの」

 僕は白い動物を見つめている。小さく、白く、しかし薄汚れて、細切れにされて焼かれる何も知らない動物。山羊、とそれを呼ぶ声が聞こえる。

 山羊を見に行った、と彼女は言った。あの日、彼女の操作するノートパソコンをみんなが覗き込むのを、僕は少し離れて見つめていた。ノートパソコンを操作する彼女の指先の、少し不器用に塗られたピンク色のマニキュアと、彼女の瞳に映って揺らめく光の波を見つめていた。やがてノートパソコンはピアソラの音楽を鳴らし始めた。彼女がキーを何度か叩くと、その音量が大きくなり、聞こえる? と彼女は僕に尋ねた。不意をつかれた僕の視線と彼女の視線が交わった。彼女はすぐに視線を逸らし、画面に見入った。ピアソラ――〈Sin Retorno〉。それは彼女のお気に入りの曲だった。

「あ、山羊」

 僕は白い小さな動物を見つめる。その、僕と白い小さな動物の間に、そっと差し込まれる薄い、決して透明ではない膜があった。顔を上げるとピントの合わない世界で街灯や飲食店の看板や店内の明かりや窓から漏れる明かりが揺らめいていた。

 十月二七日。

 真夜中に目を覚ます。薄明るい暗闇の中でぼんやりと浮かび上がるデジタル時計は零時零分零秒から時を刻み始めた。

 病院に行ったとき、軽いうつだと告げた医者が、生活習慣を戻せば良いと言っていた。それはきっと的確な指示なのだろうけど、どうやら僕は治癒を拒んでいる。逃げている。

 逃れられぬものから逃げることの無意味。

 

 昔のこと。

 女はカラオケボックスの入口のそばに手足を投げ出して坐りこんでいた。緑色に染められた髪が被り物のように見えた。客引きの男がその女のすぐ側にいて、しかし女には背を向けて、笑顔を崩さず、道行く人に声をかけていた。彼女を通り過ぎようとする時、彼女の伸ばした足が僕のスニーカーに触れた。連れていってよ、と女の口は動いた。

 女は個室に入るなり、モニターの下の機器で番号を入力し、流れだしたポップソングを枯れた声で歌い、間奏のところで乱暴にマイクを置いた。モニターの中では相変わらず往年のアイドルが笑顔で声もなく歌い続け、僕や、歌うのをやめてしまった彼女に視線を向け続けた。やがて曲が終わってしまうと、彼女はコントローラーを操作して再び同じ曲を入れた。今度は彼女はマイクを持とうともせず、ただ画面の中で歌い踊る少女を見つめていた。わたしもこんなふうになりたかった、と女は言った。曲の一番が終わって間奏が始まる。そうですか、と僕が言うと、嘘だよと言って乾いた声で笑った。

 死のうって思ったことある? 僕は答えかね、モニターの中の少女を見つめる。あるでしょ、と女は続ける。ていうかさ、君の目は、死のうとしてる人間の目だよ。そう言って彼女は笑う。ふと彼女の目がどんなだったか気になって、何気なく彼女に目をやったが彼女は俯いていて、緑色の前髪が目元を隠している。

 思ったことはあります。誰だってあるんじゃないですか?

 そうだね、と女は言った。生きてるんだから、死のうと思うことだってあるよね。ねえ、それって、死のうと思う時って、ただ生きているだけの時なのかもしれない。今思ったんだけどさ、生きてるってことしか残ってない時に、死のうって思うんじゃないかなって、気がしない?

 僕はそれについて考えようと思ったが、彼女はぶつぶつと呟き続け、僕はそれに耳を傾けた。けれども彼女の呟いている言葉はもう何一つ聞き取れなかった。

 ドアが強くノックされ、二人が黙って離れて座っているだけの薄暗い部屋に入ってきた従業員は、笑顔を張り付かせたままグラスを二つテーブルの上に置き、部屋を出て行くまでずっと同じ笑顔だった。しばらく僕はそのグラスを見つめ、ゆっくりとグラスの表面を滑り落ちる水滴を見つめ、店員のグラスを置く手の緊張を思い続けた。

 やがて女がグラスを持ち上げるのを僕の目は追った。彼女はそれを額につけ、溜息をついた。グラスに女の右目が浮いていた。

 僕の目は、どんな目なんですか? グラス越しに、女が瞬きをし、僕の目を見るのを見た。

 どんな目でもないよ。ねえ、目なんて、ただの球体じゃない。これに何か感情がこもるなんて、信じられる?

 何時間か、女は眠っているようだった。僕は眠ることもできず、ぼんやりと女を見つめたり、目を閉じたりしながら、ぼんやりと何かを考えてみたり、思い出してみたりしていた。そして女が目を開いたとき、僕は女を見つめていた。女は女を見つめる僕をちらと見て、伝票を取って、何も言わずに部屋を出た。僕はそれを追った。

 僕らは駅まで歩いた。女が何かを言ったような気がして、気づけば女の姿は消えていた。

 僕はロータリーで立ちつくした。

 人。よつん這いになって男に背中をさすられながら口をおさえる女。笑顔で何かを待つ女。男に頭を撫でられて曖昧な笑顔を浮かべる女。それを曖昧な笑顔を浮かべて見つめる女たち。茶色がかった髪。金髪。

 闇。このロータリーには鼠がいて、学生たちの吐瀉物を食べて生きているのだと、いつか君が話していたことを思い出して、あたりの暗闇に目をこらしても動くものはない――いや、何もかもが、うごめいている。何もかも――いや、それらは融けて混ざり合い、一つの闇としてうごめいている。

 光。赤や青、白の光。

 音。都市のあらゆるガラクタを押し流し、巨大な質量と光の列が高架を走り、去る。脳が揺さぶられ、揺れ続ける。

 人。彼らはそれぞれ酔っぱらい、叫び、笑っている。様々なところでそれぞれの彼らが声をやりとりしている。しかし横断歩道を渡る群れを構成する多くは無声で無表情の人々で、抱き合いながら奇形の動物のように進む若い男女を、大きな声で言葉にならないことを叫びふらつき歩く男とそれを支える男を、駅の方へと押し流していく彼らは幽霊のように何にも妨げられず、無表情のままで声もなくどこかに消えていく。その何人かは電車に吸い込まれ東京を回るだろう。その無声で無表情の群れに、僕は僕の姿を見つける。 

 同じ道を何度も歩くように、同じような毎日を、今日は抜け出せるような気がしたり、そのような日々から喜びを見出せるような気がしたり、そうして同じ毎日を繰り返す、時計の針のように、環状線のように、いくら眠って乗り過ごしても、やがて僕は同じ駅にたどり着く。

 僕は高架をくぐり抜ける。

 僕はやがて早歩きになる。

 逃げようとしているのか?

 無駄だ。僕は僕自身に追われているのだ。

 すこし昔のこと。

 冬の終わりの頃。法学部四年の女子学生が、早稲田駅で、地下鉄にひかれ、死んだ。就活がうまくいかなかったのだと、どこかで聞いた(ツイッターだったか?)。(本当だろうか。今思えば、そうした噂こそが、就活に対する不安を投影した都市伝説のようなものだったのかもしれない。)

 そのとき僕は、僕だったかもしれないと思った。

 早稲田駅で、何かに背中を押されて、地下鉄にひかれ、死んでいたのは、僕だったかもしれないと、そう思った。

 あのとき、地下鉄にひかれて死んでいたのは、僕だったかもしれない。

 僕は就活はしなかった。

 冬が近づいてきている。

 一〇月二八日。

 池袋のサンシャインシティに独り出かけていった。目的はなかった。しかし、何かがあると思って、出かけていったのだった。結果として何もなかった。僕はトイザらスにたどり着けなかった。

 零時から始めることはできる。けれども、零から始めることはできない。絶対に。

 世界は止まらない回転で成り立っている。銀河、太陽系、地球。時計、山手線、原発、遺伝子、血。回転は止まらず、そこから降りることもできない。

 語り続けるために、僕は君を必要としている。なぜだろう? 僕は僕独りで語り続けることができない。孤独はまさに書くための条件であると『私小説』の登場人物が語っていた。それは英語で書かれていた。「Loneliness is the very condition to write.(たぶん正確な引用ではない)」――書くためには独りでなければならない。けれども僕は、独りでは語り続けることができない。僕は君に語りかけなければならなかった。いつの間にか僕は君という言葉を使い始めていた。さらには君に、私として語らせなければならなかった。

   ・・・

 私は月を探してみた。月はちょっと見上げて少し方向を変えればすぐに見つかったが、切った爪のように細長くちっぽけに見えて、もう何夜か後には新月だろう。星もよく見えた。星をたどっているうちに、再び彼のアパートの方を向いた。私はようやく階段をのぼり、音を立てないように歩いて彼の部屋の前まで来て、そこでまた立ち止まり、もう見えない月に思いをはせた。あれは上弦の月だろうか下弦の月だろうか。どっちがどっちだったか。どっち、というようなものだっただろうか。見た目ですぐにわかるもの、だっただろうか。どちらが欠けていく月で、どちらが満ちていく月だったか。何一つ思い出せない。知ったことさえないのかもしれない。もしかしたらあれはこれから満ちていく月だったかもしれないとは、しかし思えない。確かにあれは欠けていく月だった。違うよと言われても、信じられない。

 ドアは相変わらず無機質だ。その向こうには暖かな部屋があるだろうに、そんな期待を持たせまいと、ドアは冷たく重々しく無機質でいる。鞄から合鍵を探してまたためらう。結局チャイムを鳴らす。ため息をついて、もう一度鳴らして、それから堅いドアを何度か叩いてみて、やっと君はドアを開け、合鍵はどうしたの、とたずねる風でもなく呟きながら、私を招き入れる。慣れた体や室内の温度に溶かされてつい微笑んでしまう。忘れたの、と私は応える。寒いねと言いながら君は奥の部屋に行ってしまう。

 こたつの上には漫画本が散らばっていて、その上に包みを置く。プレゼント、と言うと、おお、と低い声を出してこたつに入った君はそれを手に取り、几帳面に包みを開く。マフラーをほどいてコートを脱ぐと、やはり少し寒さは感じられて、いそいそとこたつに入ると君の足に足が触れて、つい離してしまって君の表情をうかがったけれども、君は包装を丁寧にはがし続けていた。

「おめでとう」

「うん。ありがとう」

 コートを脱ぐと部屋は少し寒かった。

 包みを脇に置いてマフラーを手にとった君はそれを伸ばして眺めて、ちょっと女の子っぽいね、と言った。似合うと思うよ、と私は応えた。そうかね、と君は言って、首に軽くかけてみせて小さく笑い、こたつの上の漫画本の上に置いた。

 冷蔵庫に大量の卵が入っていて、聞けば大学で貰ってきたのだという。消費期限とかどうなってるの、と聞けば君は鶏の生殖機能の話を始める。鶏の体内で日々生産される卵に思いをはせながら、大量の卵を割り、混ぜる。オムレツにして戻ってきてもこたつの上にはやはり漫画が積まれ、マフラーが置かれていて、全部ぶちまけてしまいたくなるのをなんとかこらえて、漫画を押しやって皿を置く。何でこんなに出してるの? 何を? 漫画。読んでるから。全部?

オムレツを口に運び、同じくオムレツを口に運ぶ君を見ながら、オムレツをぶちまけていたらどうなっていただろうかと想像する。

 シャワーを浴びたあと、もう一度風呂場に戻って、流れ切っていないシャンプーの泡や髪の毛を流した。そういうものを、一つも残したくなかった――いくらかはやはり、残していってしまうことになるのだろう。それらは私をこの部屋へ引き寄せる引力になるだろう。私は、抗えるだろうか――鏡に映る私は奇妙な表情をしている。ばか、と動かしたはずの口は、鏡の中で動かない。奇妙な表情――怒っているようにも、微笑んでいるようにも、泣き出しそうにも見えて、歪だ。歳をとった、と私は思う。少し前まで、私はまだ、少女ではなかったか? 少し前まで、生まれて、小学生になって、中学生になって、高校生になった、その延長に私はいたのではなかったか? 私は歪に成長している。たいしてきれいでもない、愛嬌もない、化粧をすれば荒れる肌、過剰に膨らんでいるように見え、それでいて貧相な体、大きなほくろ、知らぬ間にできていて消えないあざ、話もつまらないし、適切に相づちを打つこともできないし、――

   ・・・

 彼の他に、自分を必要としてくれる人、いない気がするんですよと、早く別れなよと言う僕に、君はそんなことを言った。いつか、ニュースクールで二人で飲んだときのことだ。そしてそれは彼も同じなのだと、君は続けた。私以外の人と付き合えないと思う。かわいそうだから付き合ってあげているのかと、もどかしく思って、あるいは苛々して、そう僕が尋ねると、少し悩んで、そうなんですかね、と言った君はつらそうだった。

 僕らは途中まで同じ電車に乗って帰った。

 二人で並んで座って電車に乗っていたとき、僕の適当な話を、君がほとんど聞いていないことには気づいていて、それでも僕は適当に話し続けていた。やがて僕は君の視線が、ドア付近の嘔吐物に向けられていることに気づいた。僕の位置からはそれは立って揺られている乗客やその荷物の影にあって普通には見えない位置にあったのだが、君の位置からはよく見えたのだった。僕は君を促して次の駅で降り、次の電車に乗り直した。

 一人になって歩きながら僕は、何かが決定的にずれてしまっている、と心の中で繰り返した。

   ・・・

 歯を磨いて、歯ブラシを捨てた。 

 私がこたつの上にあったエヴァンゲリオンを読んでいると、何か違う漫画を読んでいたはずの君が私を見つめていて、やがてエヴァ、観た? と尋ねた。観たことない、と私が言うと、観た方がいい、と君は言って、さっきまで食器の置かれていた場所にノートパソコンを開いた。

 それはアニメの二十何番目かの話だった。どこか気持ちの悪い映像だった。内容はよくわからなかった。話の筋を知らぬまま終盤を観せられたからだ。あまり興味もなかったけれど、何か見るべきところがあるのだろうと思って、観た。そして映像が終わって、どうだった、と君は私に尋ねた。そして私たちは最後の痴話喧嘩をすることになった。いや、それは痴話喧嘩と呼ぶべきものではなかったかもしれない。私たちは喧嘩を、していたのではない。それは純粋に、確認とすり合わせの作業であった。私たちはただ、解り合いたいと、思っていた。意味がわからない、特に興味があるわけではない、なぜ観せたのか、といったことを私は言った。感想を聞きたいだけだ、なぜ怒るのか、好きだから観せたのだ、といったことを君は言った。こう書いてしまえば、いくらかかみ合っているように見える私たちの言い合いは、しかし実際にはまったくすれ違っていた。書いてしまえばこれ以上の内容はなかったのだけれども、これだけのことを言うために私は涙ぐむ必要があったし、君は合わせて三十分は黙りこんで発言を吟味する必要があった。そして最後に、好きだから観せたんだろう、と君は言った。涙も乾いてきていた私は、そう、わかった、と言って、もう寝よう、と言った。

(僕は彼女と彼とのセックスをここで細かに描写することができない。断片的には聞いていることもあるものの、そのベースとなるところについては、想像で書いてしまうしかない。そして、彼女と彼のセックスについて想像で書いてしまうことについて、思うところが僕にはあるのである。)

(想像で書いてしまう? 僕は既に十分に想像で書いている。)

 私は寝返りをうって向こうを向いた君の後ろ髪を見つめていた。このまま眠ってしまいたい、眠ってしまえたらどんなに良いだろうか。それはまだ可能だ。このまま眠って、明日ゆっくり起きればいい。明日、私が目覚めるとき、君はまだ眠っているだろう。私は君を起こさない。起こしたことがない。起こしてほしい、と言われたことが何度かあったけれど、一度も起こさなかった。なぜだか眠っていてほしかった。君がようやく起きだして、講義に出席できないことがわかると少し不機嫌になった。それを見てにやにやと笑う私を見て、君は私がいじわるをしているのだと思っていた。私も私がどういう気持ちで君を起こしたくなかったのか、言葉にしてみようと思うとできないのだけれど、でも、いじわる、というほどの小さな悪意さえ、その気持ちには混じっていなかったと、なんとなくそう思う。君は眠っている。私はゆっくり、そっと、昨夜の片付けをする。君や私が慌てて起きだしてそれぞれの電車に乗ってそれぞれの出席すべき講義に出席してそれぞれの友人と顔を合わせるようなことよりも、ゆっくり、そっと片付けをすることが、私には、私たちにとって、より大切なことであるように感じられた、のだった。

 けれども明日ばかりは、片付けをすることができない。明日、目覚めた君は、昨夜が片付けられぬまま残されていることに気づく。君が見つけるのはあるいは、私の名残りかもしれない。それは、どのような形であれ、形などなくとも、必ず残されてしまっている。君はそれを、どのように片付ける?

 私は君の名前を呼んでいた。静かに、そっと、君の黒い髪の毛に向かって、何度も、繰り返し、君の名前を呼んだ。

 うん、とやがて君は声を出した。私はそれほど驚かなかった。眠っているはずの君がそのように返事をすることが、とても自然なことであるように感じられたのだった。

 もし違う子と付き合うことになったらさ。

 ……うん。

 ちゃんとプレゼントあげなきゃだめだよ。

 ……うん。

 誕生日とか、クリスマスとか、いろいろ。

 ……うん。

 格好も、きちんとしないと。

 ……うん。

 ちゃんとしたもの、食べなよ。

 ……うん。

 単位取らないとだめだよ。

 ……うん。

 ……あの山羊、元気かな。

 ……うん。

 ……ねえ、私、もう、帰るから。

 ……うん。

 ……もう、ここには、来ない。

 ……うん。

 ……鍵。

 泣いているような声を出したつもりはなかったけれど、君は、私の涙に、気づいただろうか。そういうことは、ありえただろうか。私はそういうことを、望んでいたのだろうか?

 鍵、ポストに。

 うん。

 私は急いで毛布から抜けだした。急いで抜けだしてしまったことを後悔して、振り返ったけれど君は向こうをむいたまま、少しも気づかぬようにしていた。急いで私物をバッグにつっこんだ。君は向こうをむいたまま、少しも気づかぬようにしていた。

 コートを羽織ってマフラーとバッグを手に部屋を出る。冷気に体が震える。ドアノブの冷たさに手がひるむ。ドアを開けると痛いほど冷たい夜だ。月を探す私の背後でドアが音を立ててしまる。バッグから鍵を探し出し、鍵を閉め、ポストに、入れる。思ったよりも大きな音がする。薄い壁越しに、去っていく私の足音を、君は――。

   ・・・ 

 なんで小説家になりたいんですか、と君に尋ねられたことがあった。ゴトーだったか、ノラクラだったか。どういうわけで二人で喫茶店に入ったのか。覚えていない。ただ、喫茶店で、そういう話をしたということだけを覚えている。なんで書くんですか。僕は答えられなかった。いや、適当に答えることしかできなかった。それは僕の答えではなく、かつて誰かが思考して出した答えを繋ぎあわせたものだった。そんな問いに意味はないとまで僕は言った。

 なぜ僕は書くのだろう。小説を書いているまさにそのとき、原稿用紙に万年筆の触れインクのにじみ出ているまさにそのときには、僕はその答えを知っている気がする。

 書きたいとか、書かなければならないとか、それはおそらく書くための言い訳にすぎない。

 好きだ、と君に電話で伝えたとき、君は「本気じゃないと思ってました」と言った。その何日か前に、君に公認会計士をしているという年上の彼氏ができたことを僕はその時には既に知っていた。君に電話をかけたのは、そのために酒を飲み過ぎて救急車に運ばれて病院で点滴を受けた帰り、夜明けの目白駅のベンチだった。

「誰でもいいんですよ、Kさんは。恋に恋してるんですよ」

「誰でもいいのに、君を選んだんだよ」ひどく喉が渇いていて、何度も吐いたせいもあって、何かを口にする度に喉が痛かった。誰でもいいのに、君を選んだんだよ。なるほど、と君は言った。少し世間話をしてから、たまに飲みに行きましょ、おごりで、と君が言って、電話は切られた。

 本気じゃないと思われていた。僕は本気じゃなかった? そうかもしれない、と思うこともある。しかし、あれが本気でなかったのなら、僕はこの先ずっと、本気になどなれない、とも思う。

 欲望、対象なき、あるいは対象の永遠にズレていく欲望。僕は君のことを本当には好きではなかったのだろう。苦しい、辛い、そう書くことも許されないと、僕は書く。

 ああ。君はあの夜、三十分、どこで、どんな表情で待ってくれていたのだろう。十五分も僕のために走り回ってくれた君に僕は、いつまで迷惑をかけ続けるのだろう。   

 僕は君に語りかけていた。君に語らせていた。このことは君にとって、きっと愉快なことではないだろう。それでも(それでも! それでも、それでもとは、実に、最も小説的な言葉ではないだろうか?)僕は、君に語りかけずにはいられなかったのだ。語らせずにはいられなかったのだ。あの夜を終わらせるために。

 一一月二日。

 あの夜を歩いていた僕は今、渋谷を歩いている。どういった経緯があったかはあまり覚えていない。本当は覚えているのだけど、記す必要はあるまい。僕は青山通りを渋谷駅に向かって歩いている。あの夜とはまったく違う道。けれども、やはりその夜も、あの夜の続きには違いなかった。

 公衆電話でなければならない、と僕は思った。

 携帯のアドレス帳を開き、君の名に触れる。何度か目にしたことのあるはずの、しかし初めて認識される数字の列。それは意味のない並びではない。この〇八〇以下の不規則な数字の並びが、君の携帯を震わし、その振動は君の鼓膜を震わせる。奇跡だ。紙の裏に数字を書き写し、携帯をバッグに放り込み、公衆電話を探す。話したいことが、聞きたいことが、君と電話が繋がればこんこんと溢れ出るに決まっている――。

 思っていたよりもすぐに公衆電話は見つかってしまった。

 使えるのは十円玉の四枚しかなかった。言い訳にしてはいけないと思った。

 何度も押し間違える。反応の鈍いボタンがある。僕は何度も、慎重に、ゆっくりと一つずつボタンを押していく。

 ――もしもし。

 僕は震える声で君の名を呼ぶことしかできなかった。はい、と彼女は答え、え、誰? と続けて言った。

 ――あの、この前あげた『ノルウェイの森』、読んだ?

 ――Kさんですか。すいません読んでないです。なんで公衆電話なんですか?

 ――読んでないか。デリダの「おくることば」は読んだことある?

 ――あるわけないじゃないですか。

 ――うん。僕も読んでない。でも、君にも、誰かに電話をかけたくなることがあるでしょ?

 ――それが公衆電話なの? 今どこいるんですか?

 ――どこだろ。情緒だよね。情緒というか、風情というか、人間の歴史が詰まってる気がするよ、公衆電話には。文学の匂いがする。

 ――はぁ……難しい感じで電話するんだね。

 ――『ノルウェイの森』、僕は大好きなんだけどね。最後に、公衆電話から電話をかけるんだ。

 ――え、ネタバレじゃないですか。

 ――いや、そんなたいしたことじゃないんだけどね。物語の最後に、公衆電話で女の子に電話をかけるんだよ。確か、別の女とセックスしたあとに。

 ――ひどい。

 ――うん、まあ、公衆電話なのは、当時は携帯なんてなかったからなんだけどね。

 ――それで?

 ――うん。それで、やり直したいとかなんとか言うんだけどさ、女の子は「今どこにいるの」とだけ答える。その後が最高なんだよ。そこだけでいいから、後で読んでよ。

 ――え、最初から読みたいです。読んどきます。てか久しぶりです。

 ――ああ、うん。久しぶり。……元気?

 ――うん。

 ――幸せ?

 ――ちょー幸せですよ。Kさんは?

 ――元気だよ。

 ――幸せ?

 ――まぁ。

 ――嘘だ。

 ――よくわかったね。

 ――それで、何か用ですか?

 ――用、というか……だから用ではないんだけど、どうしてもかけなきゃいけない時だったというか……。

 ――なにそれ。声が聞きたかっただけ、みたいな? ほんとに?

 ――うーん、そうかもしれない、けど、それだけじゃない気がする。うん、声を聞かなきゃいけない、というか……。

 ――はぁ。

 ブザー音が鳴る。

 ――大丈夫? また病気なの? 軽いうつ?

 ――いや、うん、そうかもしれないけど、なんというか――通話が切れる。まだだ。僕は電話ボックスを飛び出し、コンビニを探す。交差点まで走っていき、曲がった先に見つけて駆け込む。千円でガムを一つ買う。走りながら、水にしておけばよかったと後悔する。百円玉を入れて再びかけ直す。呼び出し音……君は出ない。出ないはずがない。もう一度番号を入れ直す。素早く、かつ慎重に。君の声を聞くために。君に聞いてもらうために――

 ――

 ・・・

 君に電話をかけた夜(実際には君は電話に出なかったけれど)、僕は渋谷で芝居を観たのだった。今はもうない青山円形劇場で、FUKAIPRODUCE羽衣という劇団の「よるべナイター」という芝居だった。君の電話番号はそのチケットの裏に書き写された。

 その芝居の中で歌われた歌に「長距離ランナーの短距離走みたいな、今夜」という一節のあったことを、ここまで書き終えて、思い出した。二番の歌詞は「短距離ランナーの長距離走みたいな、人生」だ(一番と二番は逆かもしれない)。

 いつか早稲田の喫茶店(ゴトーだったかノラクラだったか)で、本当は小説家になりたいのだというようなことを君に話した時、小説や絵画や楽曲を捧げられてみたいと君が言ったことを、ここまで書き終えて、思い出した。

 だから、この短い小説を、君に――僕が君にかけてきた迷惑のリストの末尾に、この短い小説を加えてほしい。(君の自転車の飲酒運転は、もう時効だろうか。そうでなかったら、余計に申し訳ない。)

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