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映画「天気の子」の感想

新海誠監督の話題作「天気の子」を見てきました。

恐らく旧盆前までが見頃ではないかと思います。つまり今が旬です。ちょっとでも興味があるなら映画館へ行くべきです。本記事は決定的なネタバレを防ぐべく抽象的に感想を語っていきたいと思います。

前作から言えることですが、明確な敵や、対立構造はないものの社会的な決まりやしきたりと個人の意志の対立みたいなものがテーマになっています。

アニメ映画としてよく比較対象になるジブリ作品には、非現実的な世界感の上であくまで登場人物との対立関係の中でストーリーが展開されるパターンが多いと思うのですが、新海作品には現実の都市をしっかりとモチーフにして細密に描写しながらその中でSFを混ぜ込んでくるカタチをとっているのでより親近感や臨場感や共感をもたせるアプローチになっていると思いました。「平成狸合戦ぽんぽこ」「耳を澄ませば」など現実に実在する場所を舞台にした作品もあるところではありますが、やはり少しテイストが違うのです。

環境や時代に流されず。自分の意志をしっかり持ち行動を起こすことで、世界は大きく変わるというメッセージがあると思います。

現代都市東京の中で、汚い場所と美しい場所、とりたてて美しいわけでもないがなぜか惹きつけられる場所などを使ってあらゆる都市空間を表していました。

<写真:埼玉県さいたま市氷川女體神社の祇園磐船龍神祭>

今回は天気を題材にあげていますが、当然天気の話になります。東京、埼玉、神奈川(の一部)の元である武蔵国。その武蔵国にあった龍神伝説を匂わせる展開で、全く乖離しているような2つの時代の同じ場所が結び付けられています。

600年以上の時間を感じさせるしきたり、風習、伝統の構築と東京という現代都市の構築を紐付けていると私は感じました。

東京という都市が汚い場所もあれば美しい場所もあるように、その風習、しきたりの中には良いところと悪いところが混在しているのです。それを続けるか否かを大学生にも満たないような少年少女に託しているのです。

大人たちは社会規則を守ってしっかり生きているようでその風習やしきたりに振り回され飲み込まれて生きている。その風習を守らんがごとく少年少女たちの前にいくどと立ちはだかります。その風習や大人たちに対していかなる決断を下すのかが見どころといえるでしょう。

そしてその下した決断に対して大人たちはどういった反応をみせたのかそこまでがしっかり描かれています。ここが実に素晴らしいと思います。

この映画は現実の東京を細密にモチーフとしているのにもかかわらず、結構危ないシーンがでてきます。少年少女を中心としてアニメタッチで描かれる映画としてはコンプライアンス的にまずい感を少し感じるほどです。

こういったことは計算済みであえて描写しているのだろうと感じます。最初は乾杯でビールを渡されたりする主人公の青年が「未成年だから」とあえてCCレモンを選んだりとコンプライアンス的なところでしっかりしているように描いていたのですが。そのうち、線路の上を走ったり、原付きを二人乗りしたり、ラブホに泊まったり、というなかなかな描写がでてきます。「お酒は未成年だから」は伏線なのです。

JRの山手線の線路の上を走っているシーンについては、クレジットではJR東日本が刻まれていたところを見ると、よく許可したなという感じです。

個人的には拳銃の意味が気になっています。2度拳銃によって銃弾が放たれるシーンがでてくるのですが、なかなか生々しいシーンとして描かれています。拳銃所持が違法な日本という国が舞台でありながら、わざわざ拳銃を持たせてそこから銃弾を打たせるシーンを2度もつくる意味があまりにも不自然です。拳銃でもなくてもいいところをあえて拳銃にしている感じなのです。

さしずめ決意や正義の拳銃的な意味合いのシーンなのでしょうが、発砲してしまうのはあまりにもやりすぎのように見えました。雷もそんな描写として現れたりもしています。

少年少女が偶然得た”力”。それは社会や大人すら切り裂きぶち壊し殺傷する力を持ったものなのです。それをわざわざ使わせるシーンを描くことはどういった意図であるのか気になるところです。

社会的構造に好ましくない個人的な欲や意志、望みをこれからの社会がどう受け止めていくのかという問題提起を表しているのかもしれません。

”隠す”をやめて”ぶっ放す”。そこにはいろんな問題があるし、不都合な現実が待っているかもしれないけれど。”ぶっ放す”からこそ見えてくる景色もあるはず。そんなところなのでしょうか。

今話題のNHKから国民を守る党の「NHKをぶっ壊す!」も過激なメッセージですが。あえてNHKを通した政見放送もとい政党として発表する斬新さや話題性となったわけです。そして1議席を獲得するに至り「NHK受信料支払いの強制はおかしい」という隠れた民意の存在を浮かび上がらせたわけですが、こういった現社会体制を崩す過激なメッセージのような意味を持つのだろうと思います。

ところでなぜ「天気の”子”」なのでしょうか?「天気少女」でも「絶対晴れる少女」でいいところを”子”であいまいにするのか。”天気”とは何を例えたもので、”子”は何を指しているのでしょうか。タイトルの付け方にも少し疑問が浮かびました。

また本作品はオカルト描写はもとより、リーゼントの刑事が登場するというところがSF感を最高に高めている作品であることを念を押したいと思います。ぜひリーゼント刑事を見に映画館に足を運んで欲しいと私は思いました。




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