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令和最初の日の皇居の様子〜象徴としての私とは〜

令和は音もなく始まった。

赤坂のマクドナルドから平成最期の時を過ごした。雨で濡れていたので少し寒かった。

時計が0時を指す。令和のはじまりだ。

しかし誰も声を上げることもなくら淡々としている。

家に帰ってテレビをつけるとアニメかラップバトルなど深夜系の番組しかやっていなかった。

令和最初の日はあいにくの空模様だ。昼頃には日差しも顔をみせたがそれもつかの間また雨が降り出した。

せっかくなので皇居に足を運んでみた。

人気のないオフィス街とは対照的に多くの人が詰めかけていた。

15時頃だったのでたいした式典などはなさそうだった。

公用車や許可車両が皇居の門へ入っていくのだけで人だかりができていた。

それにしても、こんな雨の中特に見るものもないのにこれだけの人が集まるのは不思議なものだ。

この光景を見ることでやっと令和元年最初の日を感じることができた。

この日、東御苑に始めて入った。

塀の内へと内へと入っていく

すると、特に何もないだだっ広い広場がそこにはあった。

何重にもかけて堀が掘られ厳重に警備されているこの場所。

地下鉄も避けて走るこの場所は間違いなくこの国でも特別な場所である。

しかし驚くほどに何もない。

色とりどりの花が咲き乱れというわけでもない。

この場所を核にしてこの国は回っているのだ。

場内からは日本一の経済の要所である丸の内の高層オフィス街が見えている。

二の丸あたりは庭園風に整備さていた。しかしそれはささやかなもので後楽園ほどではない。

ところによっては草木が生い茂り雑草も生えているような場所もある。

慎ましくも美しいこのささやかな空白の土地。これが日本という国の本質なのだろう。

「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。」

そんな上皇さまの退位礼正殿の儀の言葉が蘇った。

「象徴としての私」とは何だったのだろうか。

それは単に「国民の象徴」としての私、天皇としての私に留まらないものなのではないか。

天を天と定めるから地も地としてあるように、

特に何もしていないつもりでも私たちは、この国の脈々と受け継がれてきた魂を絶やさぬよう協力してきたということなのだろう。

もし、おかしな社会や国になっているならそれは私たちの行いの結果であるとも思う。

それを日々、私たちは上皇さまや天皇陛下に押し付けて背負わせてしまっているのだ。

平成の時代に戦争が起きなかったのはまぎれもない上皇さまのおかげであり、また私たちのおかげでもあるのだろう。

もし令和を良い時代としたいのなら私たちの行いそれぞれがやはり大事と言えると思う。

ここには特に何もないけれど、私たちが暮らす堀の外は様々な人間模様や社会が入り混じって複雑な様相をみせる。

でもその社会の核には何もない慎ましい空白の世界がある。

ここをこの国の極みとしている国だからこそ、この国は素晴らしいのだと思う。

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