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セーブしたくない今日へ

眠れない夜がつづいている。わけもわからないまま空が青くなる朝を何度も迎えているうちに、いつのまにか冷房のいらない季節になった。どうりで、猫が毛布にはいりたがるわけだ。このアカウントの最後の更新は、6月。この3ヶ月、がらんどうに思える。それを言えば、年を明けてからだってそう。時間は確かにずんずんと進んでいるのに、ぽつんと暗いところに立ち尽くしているような、そんな日々だ。

ひさびさに、きもちが落ちに落ちまくっている。原因もよくわからない。休めばいいなんて承知の上。むしろ、休みすぎているくらい。からだを休めるには十分な時間をとっている。

しっかし、心が休まってないのだ。不調の無限ループをぐるぐるぐるぐる巡っていて、なかなか抜け出せなくて。

そういえば、休むことを精一杯やっていた時期わたしは休みのプロであった。そして今、言い方がすごくおかしいけど、休むことに関して1年のブランクがある。人間、1年もあれば体得したことなんぞすっかり忘れてしまう。

あの時、じぶんの限界を知った。限界を知ってるからこその葛藤がある。やりたいことを成し遂げるための時間と、じぶんの限界がどう考えても見合わないっていう葛藤。だから無理してでもやらなきゃ…やらなきゃ…と奮い立たせている。でもじぶんの限界はとうにオーバーしていて、見て見ぬふりして、じわじわとパンクしたまま、走りつづける。やりたいことやるためには走りつづけないとダメなんだと、ある意味これは、強迫観念みたいなものかもしれない。この繰り返しが生活のクセになって、どうにも抜け出せない。心身を犠牲にしてまでやるべきことはないと、頭ではわかっていても。

つまり内心、焦っているのか。人と比べているのかわたしは。一番したくないことを、頭からとっぱらって心の奥底で。そこは無意識の世界。深層心理。ただ、わかったところでどうするわけにもいかないし、この話に落ちもない。わたしは今日も眠れない。眠れなくちゃダメなんだろうか。お行儀よく朝はやってきて、人々は健やかに生きていくのか。

セーブボタンが押せない。

最後までありがとうございました。 〈ねむれない夜を越え、何度もむかえた青い朝〉 そんな忘れぬ朝のため、文章を書き続けています。わたしのために並べたことばが、誰かの、ちょっとした救いや、安らぎになればうれしい。 なんでもない日々の生活を、どうか愛せますように。 aoiasa