ダイオウは必要な存在だったかもしれない。

ひさしぶりに、けものフレンズについて書くことにした。けものフレンズ3のメインストーリーにおいてジャパリパークを危機に陥れていたダイオウセルリアン(以下、ダイオウ)を「倒してはいけない」と、セーバルが警告していた理由について考えていて、もっともらしい答えがひとつ見つかったからである。

さきに断っておくけれど、その「答え」は、たぶん、けものフレンズ3のシナリオが想定しているものとは異なっている。「ジャパリパークで起きる出来事はたいてい現実の動物園で起きていることのメタファーである」というけものフレンズ2的な世界観(獣医師である私がけものフレンズについて考えるときの足掛かりにしている考え方でもある)に則って考えたものだから、よりファンタジー色が強く、自然観というよりは死生観について語ることの多い3で提出されるはずの答えとはおそらくずれているはずだ。それでも、セルリアンというものの意味について考えるヒントになるのではないかと思ったので、忘れないうちに書き留めておくことにした。興味があれば読んでいってほしい。

さて、ダイオウが「倒してはいけないもの」とされた理由を考えるには、まず、動物園の存在意義のひとつ、「域外保全」について押さえておく必要がある。

希少な野生動物種を保護しようとするときには、ふたつの方法論がある。ひとつは、生息地の環境を安定化し、人為的な撹乱を抑えることで、生息地内で自然に個体数が増えていくことを期待する「域内保全」。もうひとつが、生息地から別の場所へ動物を移し、生息地の環境が回復するまでそこで維持・管理する「域外保全」である。動物園は、この「域外保全」を担う場として期待されている。

ジャパリパークも、動物園である以上は同じ役割が期待されているはずである。というよりは、地球上のあらゆる気候・環境がわずかな群島のなかに網羅されているというほかに類を見ない環境の島が、数多の動物種を域外保全する場として最適だったからこそ、そこに動物園が建設されることになったのだと思われる。そうでなければ、せっかく現れた壮大な生態学の実験場に、人の手を加えようとするわけがない。

しかし、「域外保全」は、動物種を保全する方法としてはどちらかといえば邪道というか、緊急避難的な選択肢であるとされている。そもそも、「保全」の対象というのは個々の生物種ではなく生態系の全体であり、特定の動物種を動物園に避難させなければならないほど環境が損なわれてしまった時点で、その「保全」は失敗しているといえるからだ。いくつかの動物種を飼育下に避難させたところで、もとの生態系が回復しなければ彼らを野生に戻すことはできない。ならばはじめから、その生態系を壊さないようにすることに心血を注ぐべきだとされている。域外保全に頼るやり方は、本末転倒ともいうべきものだ。生息地が失われ、動物だけが動物園で生きていても意味はないのだ。

そのような観点からすると、ジャパリパークは危険な施設ともいえる。サンドスターの作用によって環境は完璧に保たれているから、そこに動物を放っておくだけで完璧な域外保全ができる。そんな場所の存在は、環境保全と開発による利益追求が対立する場では、間違いなく後者を利することになる。希少な野生動植物はジャパリパークに避難させておけ、あとで別の場所に戻せばよかろう、ここには空港を、ショッピングモールを、ディズニーランドを誘致すると、私が途上国の為政者ならそう考えて、保全を訴える論者を突っぱねるだろう。そして結局、隔離された動物たちは自然に戻されることなく、ジャパリパークで暮らし続けていくことになるだろう。

ダイオウは、そのような流れに対する抑止力としてはたらく可能性を秘めている。なにしろ、ダイオウは地上の輝きを奪い尽くすことで、ジャパリパークを、本来の溶岩に覆われた火山島に還してしまうのだから。そんな場所ではほとんどの動物は生きていくことができないから、ダイオウに襲われたジャパリパークは域外保全の場としての価値を失う。ダイオウの存在がある限り、人類は、パークでの域外保全に頼り切るわけにはいかないことになる。逃げ道がなくなれば、否応なく、保全と開発のバランスをとるための議論を行わざるを得なくなる。人類の愚かさを勘定に入れれば、ジャパリパークには、ダイオウの存在がむしろ必要なのだ。だから、作中で「ダイオウを倒してはいけない」と述べられることには筋が通っているな、と私は考えるのである。

ただ、この結論には留保がひとつついている。

もしダイオウが、セルリウムの結晶としてでなく、将来の女王と同じように「取り込んだものの完璧なコピー」を作り出す能力を獲得したとしたら、それはジャパリパークそのものと同じように、開発側に都合良く使われかねないだろう。その場合は倒したほうがよいというか、倒しても倒さなくても同じ、ということになってしまうのかもしれない。

いずれにせよ、ジャパリパークそれ自体を否定するような結論になってしまって心苦しいところはあるのだけれど、セルリアンたちが宣うような「保存」のあり方が持つ危険性は、「種の保存」という概念自体にも適用されうるものだと私は考えている。何度も書いていることではあるけれども、けものフレンズという作品への好悪とは別に、ジャパリパークという施設自体は是々非々で議論したほうがいいところだぞと思うのである。

※この結論、ダイオウが、サンドスターにも人為にも由来しない自然物の輝きを奪えるのかどうかでもひっくり返るかもしれません。ダイオウが島外へバラリアンを伸ばしていても海底ケーブルしかコピーできていなかったことから、完全な自然物の輝きは奪えないと判断していますが。

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