幸せの青い鳥🐔


皆さんにとって『幸せ』って何ですか?


私にとっての『幸せ』は愛している人と結婚して子供を産んで育てていつか成人して私達の元から巣立っていって子供達が結婚して孫が出来て曾孫も出来て玄孫も出来てそれを見るのが私の『幸せ』な事なのかなと今では思います。

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それまではずっと『幸せ』を探していました。

何か『大きな幸せ』が私の探している『幸せ』だと思っていました。

何でそんな事を言うのかと言うと私の人生を振り返ると殆どが『幸せ』とは言えないからです。

私は1985年3月12日に新潟県佐渡市で生まれました。その後は千葉、埼玉と転々と引っ越して3歳で両親が離婚から始まります。

始めは母が引き取るって話になり、両親の親同士で話し合いになり『シングルマザーで子供を二人も育てていくには大変な事だ』と反対され、私は父方の祖父母に引き取られ3歳から12歳まで秋田県雄勝郡羽後町と言う所で育ちました。

近くには駅はなく、手段はバスで七曲がり峠を越え、やっと色々栄えている所に出て一時間半位で『湯沢』という駅に着きます。

私が秋田に居たとき迄はバスが通っていたのですが、過疎化が進み羽後町迄のバスがなくなり峠の先から出るバスに変わりました。

3歳で引き取られた私は自分が『不幸』だと思ったことは無かったです。

それは秋田の祖父母は『育ての親』であり私に『愛情』を注いで『大切』に育ててくれたからです。

祖父からは自然の遊びを教わり、祖母からは山菜を採る楽しさやお手伝いしてお金を貰う有り難さや畑仕事の楽しさ等を教わりました。寂しがりの私は3歳の頃から祖父や祖母に付いていって三輪車で追いかけて三輪車だと30分以上はかかる畑まで毎日のように行ってました。

周りの人からは『朝日が出ると共に起きて早起きな子供だ』と言われる位3時か4時には起きて畑にただ祖父母の後を付いていくそんな子供でした。

そして自転車に乗るまでも中々大変で補助輪が取れたのが偶々友達の家に遊びに行った帰りに一つ取れてしまいしょうがなく補助輪を外すことになり小学校2年生位でやっと乗れました。その後は新しい自転車を買って貰うと慣れなくて擦り傷が絶えず『馬油』のお世話になっていました。

小学校2年生の時に元気に遊んでいたら『麻疹』にかかり担当の先生に病院まで連れて行ってもらい初めて病院に行って家に車は無かったのでそれ以来病気は無かったのですが草を触ったら肌に湿疹が出来てお薬を貰いに行ったり歯医者に行く程度で後は家で治しました。

車が無いという『不便』さはありましたが、田舎の中でしか味わえない自然の大切さ、その地域でしか味わえない『ゆきとぴあ七曲がり』、その地域でしか食べることが出来ない『七曲がりうどん』等楽しい事がいっぱいあったのです。

そして私には同級生の友達は上辺だけの付き合いしかなかったのですが周りの大人の人達が大好きで『部落長』になってチラシを配るときに一つ一つの家にお邪魔になる度に『お茶をご馳走』して貰ってたのでいつの間にか日が暮れる位のんびりしてました。

なので秋田で育って『いじめ』は有ったもののそこまで酷いものではなく私にとって『幸せな9年間』が過ごせました。

田舎から小学校卒業とともに上京して父に引き取られ半年で蒸発、食べ物に困り果てて生活に苦しくなりガス、水道は止められて学校では田舎以上にいじめが酷くその時から『毎日が苦痛』『自殺したい』と思うようになり夢遊病にもなりました。

それから姉と母に引き取られ引っ越して県営住宅に住むようになり、夜中のピンポンダッシュ、家には悪質な落書き、母と中々埋まらない大きな溝が出来て家での引きこもり、手話でやっと溝が埋まったと思ったら捨てられて独り暮らし、母方の祖母の死から生活が荒れて気付いたら複数な方々との交際、初めての妊娠、中絶、自分を責めるようになり鬱病、鬱病の薬によるパニック障害や過呼吸や幻聴、付き合っている人からストーカー行為に遭い母の家に避難。

前の夫と婚活パーティーで出会って付き合いプロポーズは断り続け27歳の1月16日にアイスバーンで足下を取られ転倒して後頭部を強打して夜中に急変。付き合っていたので助けを求め、脳外科で精密検査しても異常がなく原因不明のまま寝たきりになりそのまま同棲、結婚。その後すぐ脅されカードを作らなくてはいけなくなり借金まみれとDVにより鬱病をまた発症。4年間我慢して秋田の祖父の死をきっかけに家を出て自分の人生を取り戻す事を決意。

家出の初日に渋谷の土曜朝活で『人生を変えたい』と宣言して号泣。二日間姉の家に行き漫画喫茶とゲストハウスを転々とする日々を送り前の夫から脅迫メール電話40件で精神的に追い詰められながらシェアハウスに住むようになる。

DVの相談に区役所や警察に行き、弁護士さんとDVの相談員さんと共に離婚を進めて居る間に秋田の祖母が胆嚢癌で入院、生活が苦しい中、カズさんに久しぶりに出会い付き合ってすぐ同棲。祖母の死や離婚の最中にとても心の支えになってもらい離婚調停で離婚が成立してカズさんと結婚しすぐに妊娠し出産して『今の幸せ』があります。

色々『幸せ』じゃない時は多かっただけで全てが『不幸』だった事でも無く大なり小なり『幸せ』と感じていた時はあったんだなと思いました。

それに気付いたのがかなり遅かったので自分の中で常に『幸せ』を探し求めていて、

今思うと『生きている』だけでも『幸せ』なこと。『いっぱい美味しいものが食べられる』だけでも『幸せ』なこと。『好きなときに眠れる』だけでも『幸せ』なこと。

なんだなぁって思いました。

『この世の中に生まれたこと』

『一時食べ物に困ってたけど毎日御飯が食べられること』

『いつでも寝たいときに眠れる事』

『辛いことは沢山有ったけど生きている事』

『後頭部を強打して寝たきりになってたけど回復して今は普通に暮らせること』

『人生を変えて毎日が幸せと喜びと楽しみに溢れていて生きている楽しさを感じられること』

全てが『大きな幸せ』ではなくても『小さな幸せ』を集めていくとそれが『大きな幸せ』に繋がっていくのかなと思います。

今は『コロナ』で色々『大変』な事だけど、そんな『大きな変化』があるときだからこそ尚更『生きている事の大切さ』だったり『家族の大切さ』だったり身近な『小さな幸せ』に気付く事があると思います。

そして私はこんな『世の中』だからこそ『楽しいことを発信』したいと思っています。

今までは自分の人生を変えたいと頑張っていたけどこれからは色々な人達に『咲顔』や『幸せ』や『ありのままの自分』になれるようなお手伝いをしていきたいと思っています。

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