「安室ちゃん、安室やめるってよ」 で思い返す、「90年代」。


私(1981年生まれ。ルーズソックス、厚底、ガングロ、アムラー世代、田舎育ち、長女)にとって、90年代は圧倒的に小室ファミリーとビジュアル系の時代。あの高音すぎるボイスと激しすぎるダンス、お化粧した男の人を「美しい!」と賛美する同級生女子の夢見るようなニキビの横顔なんかを、照れ臭く、ほろ苦くも懐かしく思い出すけど、夫(1974年生まれ。古着、イカ天バンド世代、東京生まれ、長男)にとっては、90年代といえば断然Nirvana_, STONE ROSES, Radiohead_、日本だとブランキージェットシティ、フリッパーズギターなんだそうで。

田舎のイモ姉ちゃんだった私にも、オリジナルラヴ、カヒミカリィ、ピチカートファイブ_ぐらいはラジオから聞こえてきていたし、小沢健二の「LIFE」はみんな持っていた。けれど私が、フリッパーズギターというバンドがあったということを知るのも、渋谷系だけじゃなくって、テレビの「外」にも音楽はあるんだっていうことに気づいたのも、すべては2001年に上京してからだった。

「へえ! これいいな」と気づいたときにはもう、90年代は終わっていたのである。

テレビから流れてくるヒットチャートが音楽のすべてだと思っていた、あの頃。思えば、音楽好きの同級生(1981年生まれ。男子、田舎育ち、兄2人)はNirvana、聴いてたよなぁと思い出す(彼はメガデスやメタリカ、ガンズアンドローゼズも同じように聴いてたみたいだったけど)。小室ファミリーを素通りしてきた人たちと、私のような小室ファミリー一択だった人の、その後の音楽遍歴はやっぱり違うものだろうと想像する。

田舎だから、兄や姉がいないから、というだけじゃなくて、自分のぼんやりのせいで、手を伸ばせば近くにあったはずなのに、そんなつもりもなく通り過ぎてきたものがいっぱいある。90年代のJpopは、私にとってそのうちの大きな穴の一つで、後々になって気づいても、もう後の祭りなのだった。

あの頃、今ぐらいインターネットが普及していて、youtubeもバンバン見ることができたら、こういう文化のタイムラグはなかったのかも。そう思う一方で、やっぱり私は渋谷系ではなく、小室ファミリーを愛聴したはずだ、とすぐに思い直す。あのときインターネットがあろうがなかろうが、私は多分、「イェイイェイイェイイェイェイ」と言われれば、「ウォゥウォウウォゥウォゥォウウォゥ」と反射的に口ずさむ私だっただろうな。そのぐらい、小室哲哉の曲って、圧倒的だった。

「小室ファミリー」とはもちろん小室哲哉に楽曲提供を受けたアーティストのことなのだが、なんとなくそこには、小室ファミリーの音楽を楽しく聞いていたリスナーも含むような響きがあって、「小室ファミリー」ときくと、ついドキッとしてしまう。それは紛れもなく私の青春時代の耳は小室哲哉によって育てられたからであり、それが育ての親(小室哲哉)の意図したとおりではなかったとしても、自分の望んだとおりでなかったとしても、私も小室ファミリーだったのだということかもしれず、ファミリー=家族にどことなく照れ臭く、居心地の悪いものが付きまとうのに似ているのかもしれない。

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