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過去との遭遇・3・秘密の約束

図書室で遭遇した彼は、不意につぶやくような声を発した。

「それ…。」

初めて聞いた彼の声、いや、初めてわたしに向けられた彼の声は穏やかで、なんとなく緊張した。
でも、緊張している自分が恥ずかしくて、なんともないようなフリをする。

「なあに?」

ぶっきらぼうに聞こえなかっただろうか。
声がうまくでないような気持ちになる。

「ぼくが今読んでいる本の続編なんだ。」

本の背表紙に指を伸ばしながら、彼はそう答えた。
細くて長い指に目を奪われる。

「これ、続編なの?」

我に返って、彼に尋ねる。

「うん。」

「じゃあ、先にどれを読めばいいの?」

近くの本に目を走らせていると、

「…もう読み終わるところだから、貸そうか?」

思ってもいなかった言葉をかけられて、まばたきをくり返した。

「…いいの?」

あの本が気になったのはほんとのこと。
だけど、彼がどんな本を読んでいるのかも、気になっていた。
それに、わたしは彼と話をしてみたいと思っていたんだ。

「いいよ。」

彼ははにかんだように笑った。
その笑顔は、道端で見かけた彼のお母さんにとてもよく似ていた。

彼のお母さんは、わたしの母よりも年が下らしい。
だから、それほどよく知っているわけではないと母が話しているのを聞いた。

彼のお母さんは、とてもキレイで勉強もよくできて、家の手伝いもたくさんしていたから、あちこちの家から「嫁に来ないか」と誘われていたらしい。

でも、彼のお母さんは全ての誘いを断って、遠くの街の人と結婚をしたらしい。

自分の息子のことを否定されたように思った、この地域の人たちは彼のお母さんのことをよく思っていないらしい。
「うちに嫁にくればよかったのに」
「ほら、出戻った。失敗すると思ってた。」
「身分をわきまえないからだ」
近所の人と母がそう話しているのを聞いた。

…離婚は「失敗」なのだろうか?
離婚は「恥」なのだろうか?
身分の違いってなんなんだろう。

子どもながらにそう思った記憶は、今でも消えない。

同級生たちは、地元で地元の相手と結婚をしている子が多い。
結婚式の案内は、数えるのが面倒なほど届いたし、結婚式にも参加した。

実家に帰ったら、きっとまたしつこく聞かれるのだろう。

「結婚はしないのか」
「相手はいないのか」
「相手がいないなら、探してもらうんだから早くいえ」

自分で思い出したのに、思い切り不快な気持ちになって、大きくため息を吐きだす。

温かいコーヒーが飲みたくなったけれど、車内販売はまだ来ない。

通路を眺めながら、視界の端で隣の人の姿を盗み見る。
色素の薄いところも、彼に似ている。

そしてまた、わたしの意識は過去に引き戻される。

彼から借りた本を家で開くと、バカみたいにドキドキした。
彼の持ち物が、わたしの手の中にあるなんて、不思議だったんだ。

本を読み進めていても、彼もこの本を読んでいたことばかりが浮かんで、ストーリーが頭に入らない。

わたしはわたしのすきな本を人に紹介するのが嫌いだ。
わたしの頭の中をのぞかれているような、わたしの好みをさらけだしているような気持ちになって、はずかしいのと不快な気持ちになるから。

わたしが本をよく読んでいることは、友だちには話さない。

知っているのは彼だけなんだっていう気持ちが、さらにドキドキしてしまった。
秘密を共有しているようで、くすぐったい気持ちになる。

一生懸命本を読み進めたのは、また彼と話したいと思ったから。
夏休みに入る前に、続きを借りたいと思ったから。
…彼と話しをするきっかけが欲しかったから。

終業式のあと、図書室へ向かった。

みんなはもう帰ったあとで、先生には本を借りたいからといって鍵を借りた。
彼が来るかどうかはわからない。
約束なんてしていないし、彼はわたしに興味なんてないだろう。

だけど。
スーっと静かに引き戸が動いて、彼は図書室に現れた。

「本、読んじゃったの。
続きはいつ読める?」

一生懸命、平静をよそおわないといられないくらい緊張しながら、彼にそう問いかけた。

「もう少しで読み終わるよ。」

「夏休みが終わるまで待ったら、気になって仕方ないの。」

「…それなら、」

無茶苦茶を言っているのはわかってた。
でも、口実が欲しかった。

彼の提案で、明後日本を受け取る約束をした。

学校じゃ、誰かに見られる。
公園だってだめ。

だから、橋を渡った川の向こうの神社で待ち合わせをすることにした。

誰にも見つかりたくなかったのは、わたしだけじゃない。
きっと彼も同じだった。

新幹線が、大きな川を渡って走る。
流れる景色を眺めながら、記憶はどんどん過去に戻っていく。

同窓会に彼は出席するのだろうか。

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