考えること、語ること

 僕って普段いろいろなこと考えるんです。今思い出せって言われても思い出せないんですけど。道歩いてても常に考え事。ただ一つ言えることは、楽しいことじゃなくて、そんなん考えてもなんもおもんないやんってことばかり考えてるんですよね。それをnoteに書きなぐって整理しようとするんですけど、そのときにはもうすでに頭の中を通り過ぎてて何も書くことが出てこないという・・・w

 note書いてるときも何回も書き直してるんですよ。しかも話題も全く違うという。書いては消して書いては消して・・・。もうすでに2回くらい全消去してるかな。しかも1000文字くらい書いたやつ。もったいねえw

 でもただ言えることは、一つのことに対して何回も何回も考え直すんです。大したことでもないことでも何度も何度も考え直すんです。でもそれって結構大事なんじゃないかなって思うんですよね。何度も何度も考え直してこれでもかってくらい考えたときに出てくる言葉って重みが違うなって、人と話してて思うんです。逆に、この人何も考えてないなってのはすぐに気づくんですけど・・・。

 でも一人で考えてるだけでもダメなんですよね。誰かと話すってことも大事だと思うんです。普段彼女と話してる内容もそんな感じで、普通のカレカノならいちゃこらちゃっちゃだと思うんですけど、僕が彼女と話してる内容ってほぼほぼそういうことってないんですよね。いつも誰かのこと語ってたり、普通のカレカノからしたらおもんないことばかり話してるんです。居酒屋とか外食したときもデートしてるときも。まぁ、僕らはそれが楽しいんですけど。ただ難点は、酒飲みながら語りすぎてトイレに行くタイミングが難しいってことですかねw

 お互い自分の考えをアウトプットしてそこで練り直すって感じですかね。でもそうしないと何も成長しないと思うんです。何も成長しないというか、何も進まないというか。自分の考えを述べて、それを認めてもらいたいとかじゃないんですよね。その考えをもっと発展させたいというか、成長させたいというか。だから、賛同されてもちっとも面白くないんですよね。かと言って否定されたいっていうマゾじゃないんですけど、一言で言うなら、賛同と尊重の違いですかね。

 賛同することってそこで停滞しちゃうような気がするんです。「それな」で終わるとホンマにそこまでっていうような気がするんですよね。

 「それな」ではなくて「自分は~」

 違うと思ったらそれを言うとか。ただ、自分は間違っていないと思うのはそれは間違いなんですよね。僕もその場で「違う」って思って「違う」って言っても、本当にそうなのかって考えるんですよね。自分は本当に間違ったことを言っていないのかって、自問自答しまくるんですよ。

 なんかここまで長ったらしく書き連ねて訳わかんなくなってきたけど、結局何が言いたいかって、「自分の中で考えて、それをアウトプットして、そして相手の意見を聞いて、また考える」ってことって大事だなってことですかね。

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