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3部構成

何度も計算したけれど、やっぱり8年で。

学園ものの漫画を読んでいたときふと自分の高校時代を思い返した。
そして時の速さにドン引きした。

僕は2016年度入学だから、ちょうど8年。

ちなみに「君の名は。」が公開された年だそう。

16歳の僕は坊主頭ででかいリュックを背負って始発で登校していた。
憧れで入った野球部は練習と規則がキツすぎて早々に辞めたくなったし、授業中はずーっと寝ていた。

大人はよく「振り返るとあっという間だった」と言うけれど、当時の僕からしたら練習がキツすぎて「絶対嘘」なんて思っていた。放課後が近づくと必ず胃が痛くなった。

結局甲子園には行けなかったし、そもそもベンチ入りメンバーにも選ばれず3年間必死に振ったバットが最後の夏はメガホンにすり替わり、決勝戦はNHK中継された。スタンドで死んだ顔でメガホンを振る僕を祖母がガラケーに収めて、送ってくれた。

「全てを捧げた」と言っても過言ではない高校野球生活。どんなに嫌な思いでも時間が経つほど美化されていくもので、そうはなるまいと必死に文章で生々しい記憶をこうして保管しているのである。

ちょっとくらい見返りがあってもいいじゃないか、そう何度も思った。

全て注ぎ込んだのだから。
ずっとグラウンドにいたし、坊主頭だったし、規則はきちんと守っていたし、制服もきちんと着ていた(着崩すのがダサい風潮になっていた時期でもあったかもしれない)。

手に届かなかったからこそ、甘美なものに見える、と言うのもあるのだろう。

放課後のグダグダした時間や、アルバイト、夏休みのイベント、文化祭。

もし自分が高校野球をやっていなかったら。考える。

きっと「何か1つのことに全てを捧げる高校生活がよかったかも」と思っていただろう。隣の芝生は青い。

そんなこんなで気づけば大学を卒業して、「大人」になったわけだけれども。

自分の割に、というと卑屈だけど、自分の割によくやっているかなとは思う。

「やるじゃん、俺」

大学の、後半になってからだろうか。
そう感じることが多くなった。自分の考えが変わったのか、自分が成長したのか知らないけれど。少なくとも納税はしているし、一人暮らしもできているし、個人で働けているので「あお史」的には最盛期と言えるかもしれない。

久しぶりに文章を書いた。

なんか、続けることが目的になっていることとか、「もっと読まれたい」「綺麗に描きたい」が強くなりすぎて何も書けなくなってしまっていた。

どんなに気をつけていても、一瞬でも目を離すと「絶対」が僕を縛る。

それはいいことでもあり悪いことでもあり、こと、僕に対しては後者の面が強く働く。

「絶対書くと決めたから」書けない現実とのギャップに苦しみ、生活全体が沈む。そもそも仕事でもなんでもない。それに過去の投稿にたくさん、すでに、たくさん嬉しい言葉をもらっているから本当はそれで充分なはずなのだ。

もっと、もっと、もっと、と。

でもそんなのキリがないので意識的にやめるようにしている。

もし欲しくなったら過去にもらったものを見返す。
もし書けるようになったらまた書く。

それだけである。

今回、3部構成である。

おしまい!!!!!!!


生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。