春の香りと埃と掃除(1)

今から30年ほど前私の実家は父の仕事も順調で、裕福なわけでは無かったけれど私たちは穏やかに過ごしていた。

その頃の我が家は

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いつも空気が新鮮で、とても居心地が良かった。

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私と弟がまだ幼いころはよく専業主婦だった母が掃除をした後開け放った縁側でゆっくりお茶を飲んだりお昼寝した。
埃がキラキラと宙を舞い外へ流れていく。
よどんだ空気がゆっくりと入れ替わる。
良く晴れた春の日は庭の草木が花をつける。
それは植え育てた花ではなく、名も知らぬ草むらの小さな花。
私はそれが好きだった。
もちろん祖母の植えたスイセンやつつじで季節の移ろいを感じたりもしたけれど、それは祖母の住む隠居の周囲であり、同じ敷地内とは言え私にとっては「よその家」であった。
私と母と弟の眼前に広がるほどよく荒れた庭に咲く、ちいさなちいさな花たちは、間違いなく春を私たちに知らせてくれていた。

澄んだ空気と軽やかな春の香りが部屋中に満ち、太陽の恵みが日の差さないはずの居間にまで届くのを確かに感じるあの時間。
それが母の努力の賜物であったということを、母の病気が悪化するごとに身をもって知ることとなる。

今私の住む家はあのころ住んでいた一軒家ではなく、郊外のアパートの一室である。
私は努めて掃除をする。
決して潔癖症というわけではない。
しなくて済むなら掃除はしないだろう。
面倒なことを進んでするような性格ではないからだ。

掃除機をかけるだけでよい。
落ちた衣類を拾い床を片付け、寝室から順番に掃除機をかける。
そうすると気持ちが乗ってきて気が付くと全部屋に掃除機をかけ終わる。
全部屋、といってもたった3部屋ではあるが。
そして線香に火を点け、部屋中の窓を開ける。

この家の周りには植え込みも春を感じる花々も無い。
けれど掃除の後に窓を開けると、不思議と春の香りが部屋に満ちるのだ。
あれは花の香ではなかったのかもしれない。
母の…

これは自己満足。
私は家族の帰る家を掃除している。
甲斐甲斐しく世話をやく家庭的な主婦であると。

あの埃とタバコと湿気の籠った不浄な空気を、私は決して忘れないから。
母が居なくなってからのあの空気を、私は二度と作ってはならない。
子供の頃の至らなかった私の、これは懺悔なのかもしれない。

掃除の喜びは、自分と家族のくつろぐ顔を見ることで始めて味わうことができるということを、教えてくれたのは今の夫。
彼のために私は今日も掃除機をかける。

まぁ一週間ぶりの掃除だけど許してね。

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