貧しい生活は貧しい食事から始まる

食事が楽しいもの、という感覚は生活にある程度のゆとりがある証拠だと私は考えます(異論は認めます)

昨今の報道で孤食やフードバンクなど様々な問題、取り組みが行われていますが
そんなものは問題にすらなっていなかった15年前の平成の我が家では、個人事業主父の事業の盛衰に合わせて経済状況が悪化。
それに伴い家庭の団欒であったはずの食卓が様変わりしていきました。

今回は我が家の食事が貧しくなっていく様子を時系列で振り返ってみましょう。

母の手料理時代

私の母は料理や家事が得意なわけではなかったように思います。
それでも私たち姉弟のために様々なおかずを作ってくれました。

海育ちの母は魚料理を得意としましたが、弟は魚や野菜の好き嫌いが多かったので苦労したと思います。
特に私たちが好きだったのは、ホットプレートいっぱいに敷き詰められたジャンンボハンバーグです。
弟の苦手な野菜もたっぷり入ったハンバーグのタネをホットプレートで蒸し焼きにして、最後にケチャップととろけるチーズを体量にトッピングしたボリューム満点の一品。
見た目も派手で家族でホットプレートを囲み取り分けながら食べていました。
一時期は月一くらいで出てきていたので私たちはとても楽しみにしていた記憶があります。

父の仕事がうまくいっていた、ゆとりのある生活の一コマです。

母の病気で変わる食生活

私が小学校4年生の時に母が癌で余命宣告をうけました。
結局それから5年頑張ってくれたのですが、その大半が体調不良で料理など作れる状態ではありません。
となると必然的に父が台所にたつことになります。
ここで父がすごいのは、出来合いの食事を嫌い全て手作りしたことです。

初めて父が作った激烈しょっぱい味噌汁は思い出です。

私達のために頑張ってくれた父には感謝していますが、本当のことを言えば父はある程度出来合いの惣菜などに頼るべきでした。
味の濃い唐揚げや炭水化物でお腹を満たす食生活が嫌だったというよりは、惣菜でもいいから楽しみのある食卓を守った方が良かったかもしれません。

父は責任感が強く
プライドの高い
職人気質の
真面目な男でした。

出来合いの惣菜=身体にわるくおいしくない上にお母さんが病気で「こんなもの」しか食べさせてもらえないとご近所から不憫に思われたくない。男手ひとつで父と母の両方を完璧にやってみせる!

村社会の偏見と生きづらさ

まず前提として、私たちが生まれ育ったのは平成の世にあっても近代化の一切進まない超絶田舎です。
村八分、部落差別などがほんのり残った土壌でした(今は少し改善されたと聞きますがどうでしょうか)

周囲が農家や大工で生計を立てる中で、東京の大手ゼネコンでバブルを体験し、実家に出戻り個人の設計事務所を設立した「個人事業主」なんていうステータスが既に浮いています。
そして父は世渡りもちょっと下手だったので、稼ぎのいい頃の振る舞いをよく思わない層もいたと思います。
そんな立ち位置に居る父がプライドを捨てて周囲に助けを求められないのは必然でした。
しかし周囲の人間が無理でも役所などに…と思うところですが、田舎の「町役場」には大概顔見知りがいるものです。

*父は役場の公務員を嫌っていました。理由はこんな田舎で生まれて死ぬまで働く創造性のない人間だからと一刀両断。自分の価値観に合わないものを排除した結果、どんどん退路を断たれているとも知らず。


変わる団らんと栄養摂取

母が亡くなって以降、高校生になった私が家事を担当することになります。
高校進学と同時に父に言われた「高校は出してやるから家事手伝いとして就職も進学もせず家のことを頼む」という言葉は後々私に呪いのようにまとわりつくこととなります。

さぁ料理の知識も経験もない高校生がNHKのきょうの料理を参考に作った何かがおいしいかどうか。
たぶんおいしくなかったと思います。
基本醤油味の何か。
一番よく作ったのが生ワカメのお浸し
…なんのことはない、ワカメを塩抜きして大量に食卓に乗せ、ポン酢をかけて食べる。あとはごはんとみそ汁。
健康的かどうかは甚だ疑問ですがカサ増しには成功していました。

弟や父親、祖母の為に頑張って作って「やってる」
他の同級生がやってないような家事を担って「やってる」
少ない食費を工面して成長期の弟の胃袋を満たして「やってる」

私は満足していました。
自分の承認欲求を満たすために父親につっかかりよくケンカをしましたが、弟は至極従順に私の味方だったので頑張れました。

父の振舞に習い私も他者に弱音を吐かず「おかぁさん代わりに頑張るえらいお姉ちゃん」を演じた高校生活でした。
余談ですが私はこのころ生理痛がかなりひどく、よく膀胱炎になったり貧血や口内炎に悩んでいましたが食生活との因果関係は考えもしませんでした。

誰かとともに楽しむ食事と健康のバランス

そして時が流れて私は結婚し、主人に食事を作ることになります。
それまで付き合った人に食事を作ってもうまいうまいといわれていたので、自分はてっきり料理ができるのだと思っていました。
しかし主人からは味が濃い、おいしくないと不評。

そこで私は初めて勉強することに。

するとどうでしょう。
私が今まで作っていた料理は「食べられる」ものではあったけど、その大多数がケチャップや醤油、ポン酢など既製品の味だったのです。

そして主人は私に「こんなものが食べたい」と要望をくれました。
これも今まで経験がないことです。
私は張り切って作ります。主人の「おいしい」を聞くために。

食費の予算も2.5万と設定し、彼の好みに合うように、飽きないように、健康に暮らせるように…

試行錯誤すること3年、私は体調も安定し、主人は我が家の味をすっかり気に入ってくれました。

つまりなにが言いたいかというと

何かをやってやる、とか
義務感にかられた食卓には心と体の健康は伴わないということです。

たまにはお惣菜だけの食卓もよいでしょう。
それが家族の食べたいものなら。

すくなくとも私の実家のように父の焼酎が振りかけられる恐怖におびえる食卓はまともではないのでしょう。
あ、これは食卓の問題じゃなくてアルコール依存症の方でしたね。

大変な毎日ですが、家族の台所に立つ人が自分と家族の楽しい食卓を演出する魔術師となれることを切に願います。

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