激越__プロ野球県聞録_C_

【特別公開】『激越!! プロ野球県聞録』あとがき

 冒頭でも触れた通り、本作では過去における「実在の事件」を取り上げている。その社会的事件の意味を、一度きちんと文学の側から世に問うてみようとして……つまり日本文化が誇るプロ野球がそのとき経験した「あれはいったい何だったのか?」を考えてみたくて。いわゆる球界再編問題(〇四―〇五年)の発端となるスクープ記事が世に出て以降、ちょうど十年目に差しかかっていた本作雑誌発表当時、日本プロ野球は過去の「一リーグ化の危機」など忘れたように、日本シリーズへの切符を懸けてペナントレース後半戦を戦っていた(二〇一三年当時のプロ野球では……セはほぼ巨人が首位独走、パは七月までは「混パ」、その後楽天が「球団創設九年目にして初優勝・日本一」。たいして野球を知らないワタシでさえ驚く田中将大投手の開幕二十四連勝など)。
「忘れたように」とはいうものの、本当のところどうだったろうか。もしこの件のくわしい検証や意識調査でもしたら結果はどう出るか? それもたんに印象の問題なのかもしれないが……やはり人間、十年くらいではまだそう振り返るほどの過去でもないと、そこに油断(大敵!)の気持ちが生じもすれば、記憶を過信してしまいやすくもあって、そのとき世間ではそろそろ「十周年」の節目を迎えようとしていることに気づかずにいた恐れがある。
 しかしもう一度、声を大にして主張しよう。国民の「三人に一人」のプロ野球ファンも含めて、世間はどうしてみな忘れたような顔をしているのか……それはただ過去について合理化し、都合よく解釈した結果なのではあるまいか。あの頃は本当に、プロ野球が今後どうなるかわからない、一年先が見通せないというくらいの危機的状況だったからには。誰もがその渦中に身を置いていたではないか。
 それでもやっぱり忘れていた……忘れたことさえ忘れていた。忘れたことだけは覚えている(?)。喉元過ぎれば熱さを忘れるではないが、それはもしかしたら、極めて高度な脳の使い方をしている可能性もある。と、何はともあれ、「十年ひと昔」という十年前の出来事が仮にもっとも忘れられやすく、ちょうどそこに記憶の谷間というべきものがあったとして、一度底を打ったあと、再び社会的関心が高まる時期がやって来るかもしれない。
 十年目以降、プロ野球はどう動いたろうか……そして気づけばもう十五年目になっている。ここ最近五年間の歩みについては、いまだからこそまた振り返ることも可能なのであり……刊行スケジュールをこれだけ遅らせたのも、ひとえにこの「時期的な見極め」のため(関係各所に最大限に配慮し、時代の風を読みつつ何シーズンかを見送って、慎重の上にも慎重を期した結果……)であった。世間でも当然いろいろあったが、プロ野球界にはここ最近やたらと不祥事がつづいていた印象があるのだ。
 今シーズンはまず無事に、そろそろ全日程が終了しようとしている。だがこれからまた来シーズンに向けて、かつてのように球団親会社の顔ぶれが変わったりとか、まして再び球界に同様の危機が訪れたりしようものなら、こちらでうまく対処できるかどうか自信はない(万が一プロ野球人気にあやかれないような事態にでもなったとすると……)。来シーズンは大きな時代の変わり目を経験する、もうこれ以上は時期を見送るわけにはいかないのである。
 こうして機が熟すのを待つあいだ、一度全面的に手を加え、その結果優に倍以上の長さの長篇を電子書籍として世に送り出すことになった。結果的にこれが著者最長作品となったのも、何か嬉しい誤算ともいうべきものだった。――プロ野球と鉄道と新潟県とその他都道府県と、何とも書き甲斐たっぷりの魅力を備えたそれらへの、率直な感動と感謝の念とをここに記しておきたいと思う……次第であります。

 というわけで改めて、それぞれの関係者の皆様方に心より感謝(また一部陳謝)いたします! そしてこの場をお借りしてもう一言、
「最後になりましたが、今回の電子書籍化に際し、話を受けて下さった集英社デジタル事業部と担当(土浦出身)に深謝いたします。またこのたびの文芸デジタル新企画『すばる』から生まれた電子書籍――『すばる Digital Book』シリーズ――の発足へと向けた第一歩(となるかどうか未定、シリーズ化未定)を踏み出しかけた現場に、いまこうして立ち会えたことが何より嬉しいです!(感涙)」
プロ野球都道府県小説――
『激越!!プロ野球県聞録』
 さあもう一度いま、平成の野球史の一ページを振り返らなければ……平成が終わってしまうその前に……まだ思い出にはならない近くて遠い過去を振り返る、ということに、この小説の本当の狙いがあります。

                       平成三十年初秋――著者