車窓からラブホテルを数えた頃のこと

幼少の頃のことだが、思い返してみればあの時、親は相当気まずかっただろうな、と強烈に覚えていることがある。私は高速道路を利用して旅行に出るようなとき、暇つぶしに妹といつもラブホテルを数えていた。

私と妹は無邪気で何もわかっていない。だから、単純に疑問だった。
ホテルが多すぎる地区と、ホテルが全然ない地区があるのは何故なのだろうか。
そして、ホテルが多すぎる地区はいくら何でもホテルが多すぎる気がするが、そんなに宿泊する人がいるということは遊園地か何かあるのか。

両親がどんな回答をしていたのかおぼろげにしか覚えていないが、確か母の対処は、「本当にホテルたくさんあるねえ、人がたくさん泊まるのかなあ」、と我々に合わせて知能指数を児童のレベルまで下げてとぼけること、父の対処は運転が忙しいフリをして我々を完全に無視することだった。

思い返せば子供心に車内が微妙な空気になっていることを悟っていた気がしなくもないが、ラブホテル数えは車に乗ってしまうと何もやることがなくなる我々にとって最高の娯楽の一つだったのだ。

まずは数のランダム性。基本的にはホテル、と分かる建物はそれほど車窓から見えない。せいぜい東横インだの何だのといったビジネスホテルを数えているのだが、ホテル街に差し掛かるとそれが一気に増える。

ホテル街突入とともに小学生の私と未就学児の妹、
少女二人でテンション爆上げであった。

お姉ちゃん、こっちにもあるよ、あ、あっちにもある、と二人で瞳を輝かせ、きゃあきゃあと騒ぎ、ちょっとしたフィーバータイムであった。
たくさんあるねえホテル!と無邪気に笑っていた頃のことを妹は覚えているだろうか。

さらに注目すべきは、形のランダム性である。
ラブホテルは普通の四角い塔型のものもあるのだが、お城みたいな形のもの、やたらと巨大なハートマークが壁面に書かれているものなど、笑ってしまうようなデザインのものが沢山ある。

そういうのを見るとまた、少女達はテンションが上がるのだ。
お父さん、お母さん、見てあれ!お城みたい!!!と絶叫、母は困惑、父は硬直、そんな中で私が無邪気に発した、「お城泊まりたい!今度あそこ泊まろうよ!」という言葉。

母はそれに、「そうねえ、機会があったらね」とデートを断るときのような返しをしてきた気がする。何もわかっていなかったとは言え、親にラブホテルに泊まりたいという旨の発言をしていたことは思い返すと禁忌過ぎて笑ってしまう。

何の機会もなかったため、未だ城に泊まったことはないのだが、楽しく入って、出てきた後振り返ったところにやっすいピンク色のお城があったりして滑稽な気分にならずロマンチックな関係を保てるものなのだろうか。そのあたりは利用している人にぜひ聞いてみたいところである。

何も知らない故の性的な発言となると思い出すのが、一度年末に親戚で食事をしていたときに、クイズ番組で、「○○年にオランダで発明された、この製品はなんでしょう?」と工場での製作過程を紹介しながら出題されたものに対して、大学生だった叔父が平然と「コンドームじゃないかなあ」と言ったときのことである。

コンドームが何か私はまったく知らなかったのだが、その叔父の発言でなんとなく食卓が「空絵ちゃんたちが来てるのにその発言は…」的な空気になったのを察し、あとで妹と共に母に「コンドームって何?」と聞きまくり、めちゃくちゃ困らせてしまった。

母はなんと答えたのだったか。たしか、「袋」と言われた覚えがある。
「袋」…。母の苦悩も察されるというものである。
この時の叔父のデリカシーのなさにも今更ながら驚いている。

我が家は何となく性に潔癖な家庭だったこともあり、こういう子供の突飛な発言や、ドラマ、バラエティの類を見ていてセクシーな場面や下ネタが挟まるとなんとなく親がそわそわしていた。チャンネルを変えたり、テレビを消したりすると露骨で、逆に「今の場面は性的だった」ということを確認する感じになるので誰もそういうことはせず、ただめちゃくちゃ気まずくなるのだ。

余談だが、うちだけの特殊な“家族でテレビを見ていてセクシーな画面になったときあるある”として、父の語尾が変わるというものがある。
これはいかにも意味不明なのだが、父はドラマなどを見ていてちょっとアレな場面に差し掛かると、「どうじゃ最近」「なんじゃこれは」などと、唐突に語尾に「じゃ」を付け、サザエさんの波平さんと化してしまうのである。

照れ隠しなのだろうか。照れを隠すと波平さんになるのはありふれた現象なのかちょっと気になる。
しかし、私に初めて性的ななにかを教えたのも、父のその照れだったように思う。
たしか四歳くらいの頃、母と幼い妹が外出している間、私と父はラーメン屋にラーメンを食べに行った。本が好きな私がそのお店の棚から適当に一冊取り出して開いたのが、たまたまヘアヌードの写真集だった。

私は何も分からず、この女の人は裸で外にいるなあ、と思ったのを、父が大照れで取り上げた。人の裸が何となく「いけないもの」なのだと気づいたのはこの時だ。
私はそれほど性的に奔放な人間ではないが、この“気づき”がもっと遅くやってきていれば、もう少し純だったかもな、と時々思う。

最後に闇の深いことを書いてしまった。
以上である。

前回書いたもの→本に刻まれた記憶、「遠野物語」のこと

#エッセイ #コラム #昔の話

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青木空絵

エッセイたち (2018/10)

2018年10月2日から31日までに書いたエッセイをまとめました。
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