見出し画像

肩身が狭かった母校訪問のこと

これは、私がもし今後大成功して有名人になっても、母校でだけは講演会をしてやらないぞ、とそんな取らぬ狸の皮算用的怒りを爆発させるに至ったエピソードである。

言いたいことを総括すると、人を職業や肩書きで区別するのはそもそもよくないが、それを先生が生徒に対してやるのは最悪だということで、まあとにかく聞いてくれないか。

私は大学四年生のとき、就職活動に失敗し、年度の途中で大学院へ進学する方向に切り替えた。その進路に対しては満足していたが、試験結果が卒業にかなり近づいた時期に出る予定だったので、勉強をし、卒業論文を書くだけの宙ぶらりんの生活を数ヶ月続けていた。
そんなある日、久々に高校時代の友人、Kちゃんから連絡が来た。

「久しぶり、この間Aちゃんと会った時に空絵ちゃんの話になって、そういえば最近会っていないなと思ったから。今度、会わない?」

というわけで、AちゃんとKちゃんと三人で飲みに行くことになった。
高校時代ずっと仲良くしていた三人である。といっても、実際のところ仲がよかったのは私とAちゃん、およびKちゃんとAちゃんという二人ずつの組み合わせで、私とKちゃんはなんとなく、Aちゃんと仲がよい子だし、性格も穏やかで一緒にいて苦にならないし、ということで三人組のような体をとっているものだと私は勝手に思っていた。

だからKちゃんに誘われたときは正直驚いたし、嬉しかった。
ああ、Kちゃんの方ではちゃんと私を友と思ってくれており、高校卒業から四年経ったのに会ってくれるのか、と思ったのである。人との距離感をよく間違えてしまうので、こういうことはわりとよくある。

しかし、折角実現した三人での飲み会なのに、心の狭い私ときたらその時の言動一つでAちゃんのことがすっかり嫌になってしまい、もう当分は会わないことに決めてしまった。
それとは逆に印象が圧倒的に向上したのはKちゃんで、高校のころはただただ、何でもそつなくこなす優等生、という感じであったが、実はちょっと抜けているところ、机を見渡し、誰かの失言や失敗を素早くフォローする気配りなど、人間的な部分がようやく見え、また二人でも会いたいなあという気にさせられた。

そしてそれはKちゃんも同じだったらしく、今度お互いの最寄駅の真ん中くらいで会おう、と言って路線図を眺めてみたら、ちょうど真ん中に、待ち合わせてくださいと言わんばかりに渋谷駅があったものだから、じゃあ渋谷集合で、適当にレストランにでも入ろうねと約束した。

当日、大学院に無事合格した私はそのことを告げるとともに、これまで聞いていなかったKちゃんの就職先について、どういう分野の会社なの、と尋ねた。すると彼女はとある大企業の名を挙げ、そこに決まった、と笑った。

入社の難易度が高い大企業に入ったこともすごいのだが、その企業が彼女が高校時代からなりたがっていた職種を代表する会社だったことが私にはより素晴らしく思われた。
無事、夢を叶えたのである。これはそんなにありふれたことではない。

おめでとう、と言うと、じゃあ空絵ちゃんも院決まったことだし、と彼女は提案した。
「今度、高校に進路の報告に行かない?」
卒業以来行っていない母校を翌週訪ねることがこの日、決まった。

私たちの通っていた高校は駅から相当歩く上、その道のりのどこにも何もないところなので、意識してその駅で降りない限り、ふらりと立ち寄る機会などはない。
大学の最寄り駅がそこそこ栄えていた我々は、そうそうこの感じ、懐かしいねと笑いあい、二人で懐かしい校舎に入っていった。

各自、思い入れのある先生に挨拶をすることになったが、私は先生のことなど本当にどうでもよく、授業中も教科書に隠して文庫本を読んでいたりしたので(なのになぜ進路報告に行ったのか)、Kちゃんにとりあえず着いていき、ああ、この先生覚えているな、と思えば挨拶をした。

一通り挨拶を済ませると、彼女は、そうだ、谷沢先生にも挨拶をしようよ、と言ってきた。
谷沢先生というのは私たちの学年の主任で、ちょっとしたイベントや集まりの際にはいつも野太い、よく通る声で司会をしていた。なんだか一部の生徒からは嫌われていたが、私たちはそんなこともなく、先生の専門だった世界史をよく教えてもらっていたのだ。

谷沢先生は今、職員室には机を置いておらず、進路指導室の奥の小部屋で一人細々とした作業をしているらしい。何かやらかして校内で左遷されてるのかな、などと言いながら私はKちゃんと笑いあった。

進路指導室の奥にたしかに机はあって、小窓からちょっとだけ髪の薄くなった谷沢先生が見えた。特に真剣に作業をしている感じはなく、極めて淡々と、はい、この資料は終わり、では次、では次、とめくったりはんこを押したりしている。本当に左遷なのかもな、とちょっと思った。

私たちがノックをして入ると、彼は私たちのことを覚えており、懐かしそうに微笑んで大声で「どうしたんだ、今日は」と尋ねてきた。
ここから先が問題だった。進路報告で、と言ったあと、Kちゃんがその誰もが知る大企業の名を言ったら、谷沢先生は「すっげー!」とアホみたいな顔で叫び、お前はよく勉強ができたしな、がんばったんだな、と繰り返し、それにしてもあの会社か、いや実際すごいよ、と今度は会社を褒め始めた。

Kちゃんが、「あの、空絵ちゃんは○○大学の院に合格したんですよ」と言ってくれたのだが、先生は「ふーん、じゃああと何年か遊べるんだな」とあっさり答え、それにしてもあの会社か、Kはすごいなあ、と繰り返した。

大変肩身が狭かった。まず、私が大学院に進学するのは当然勉強するためで、遊ぶためではないのにそんな風に決め付けてくる人がいるのもショックだし、それを教育する立場の先生に言われたのもショックだった。

大企業に内定したKちゃんと、はっきり扱いの差をつけられたのも辛かった。久々に、就職活動に失敗した時の辛さが蘇り、やはり私のような、社会で自分に活躍できる場所を見つけられなかった奴はこうやって露骨に見下されてしまうこともあるんだなあ、と思った。肩を落として帰った。

Kちゃんはその後、入社後何年かは海外にいなければならないからと旅立っていった。
私は今年になってようやく会社が決まったが、谷沢先生に、というか母校に進路を報告することはないと思う。

あの時の先生の露骨な反応が忘れられない。高校生の時はあのオーバーリアクションが楽しかったのに、進路報告のときはそのせいで傷ついてしまった。高校時代から、先生はああいう見下しの種みたいなものを抱えていたのだろうか。

私やKちゃんはそれなりの偏差値の学校に行けたから褒められていたが、ほどほどの所に落ち着いた子たちにはああいう、冷たい対応をしていたのかもしれない。そういうところが嫌われていたのかもしれない。

などと考えるとほどほどに楽しかったはずの高校生活や母校のイメージまで悪くなってしまった。まとめるとそんな思い出である。

昨日書いたもの→爆発し続ける花のような人のこと

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

サポートしていただいたものは書籍の購入にあてる予定です…! (本屋に行くと一度に7000円使うヤバい人間のため)

7

青木空絵

アオキソラエです。思い出をまとめた2000字くらいのエッセイを半年ほど毎日投稿していましたが、2019年以降は不定期更新に切り替わっています。旅行に行ったら旅行記を書き、生活で辛いことがあったらエッセイを書き、という形でやっていく予定です。よろしくお願いいたします。

エッセイたち (2018/09)

2018年9月2日から30日までに書いたエッセイをまとめました。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。