パン工場で待ち伏せされた日のこと

一度、とある施設でボランティアをしていたことがある。
そこは障がいのある人が集まって作業をしている、「作業所」と呼ばれる施設の一つで、朝十時過ぎからみなでパンを作り、なんとなく休憩したあと他の場所、たとえば市役所や学校など提携している場所にそれを売りに行くのだった。

たったの一週間だったのだが、印象的なことが多く、覚えている。
実用的なところでいえば、アンパンにあんこを詰める方法を学んだ。靴下のようにひっくり返したパンにあんこを詰めて元の形に戻すような感じだったのだが、空洞のあるパンに注入するものだと思っていたので驚いた。

あと、一緒に体験学習に来ていた大学生のお兄さんと好きなバンドが被り、実習の休憩時間に盛り上がった覚えもある。いかにも優しげな柔らかい雰囲気の人で、外見からはなんともいえない“ボランティア”感が漂っていたのだが、実際は就活の時に履歴書に書けたらいいなと思っただけらしく、なんとなくテキトーだった。

とはいえ、真剣に取り組むには暇すぎた。
障がいといっても幅があり、できること、できないことは人によって違うものの、誰も絶対にできないような難しいことを日常のルーティンに入れるわけにはいかないので、基本、我々のような人間が取り組めることはかなりあっさり習得できるものなのだった。

だからだろう、小さなラウンジのようなところで働いている人とただお話するだけの時間が、一日に何時間もとられていたことを覚えている。

一度、市役所へパンの販売に行ったときに、いつも売り子をしている方が、なんというか排泄物の名前を連呼し始めてしまい、職員の方に手を引かれて送迎車の方へ消えていったことがあった。
普段はおとなしく、淡々と販売を行い、お釣りなども淀みなく渡している方なので私がちょっとびっくりしていると、もう一人の職員さんが、「そういう日があるのよね」と言った。

私も朝からなんとなく気分が沈んで仕方がない日、妙に猥褻な気分の日などがあるが、その延長線上にある現象なのだと思う。なんとなく排泄物に関心があり、それが口から出てしまう日があるようなのだ。

休憩時間にパチスロの話を始め、一向に終わらない人もいた。
件の大学生ボランティアのお兄さんが、端の方でボーっとしているのを気遣って声をかけたのだったが、人に話しかけられるや否や、先ほどまでのぼんやりした雰囲気が吹き飛んでしまい、どこどこのお店の台は勝てるけど、あそこのお店はだめだ、俺はスロットで勝ったことがある、しかし負けたこともある、などとまくし立て始めた。

聞いていて面白かったのは、その話が非常に細かい点まで記憶されていることで、たとえば私ならば「32460円分勝った」としたら(こんな不規則な額勝つものか分からないが)、「3万円買った」と大まかに濁してしまうところをその人はきっちり、「あそこの台では5回目に32460円、隣の台で2980円負け」、など覚えているのだった。

聞いているお兄さんは次第に“助けてくれ”という顔になっていったが、私はその数値の正確さとしゃべりのスピードが面白くてついつい聞き入ってしまった。好きなものについてまくしたてるように語る人がすきなのだが、その極致だった。毎日聞けといわれると確かに厳しいが、時々ならばぜひ聞かせてもらいたいと思う。

そんな日々の最後にしかし、私は大きな裏切りというか、ショックを受けることになる。
プログラム最終日の前日、私は一人の男性から妙な絡まれ方をする。
その人はやおら私の隣に座り、そっと手を握ってきたのである。

その施設には小中学生くらいの子もおり、そういう子が手を握ってくるのはなんだかかわいらしくて好きだったのだが、その男性は外見からして三十台くらいなのに握ってくる。ここで違和感を感じられればよかったのだが、朝の満員電車ならばともかく、ここは障がいのある人の集まる施設で、何か世間の常識が全て通じる場所ではないだろうなと思ってしまった。

「三十台なのに知らない女子大生の手を握るのはおかしいですよ!」
というのが通用しない気がしてしまったのである。それに、手を握るだけならば特に害もない。なんとなく握らせておいて、そのまま他の人と話すなどしていた。

すると彼は私にこう言ってきた。
「青木さん、水着着てほしい」

夏休みだからかなあ、と思った。ここでも私はまだ、世間の常識が通らない空間にいるつもりであって、彼は純粋に私に水着を着てほしいだけで、性欲の類ではないだろうと勝手に思っていたのだ。

しかし残念ながら性欲の類であった。
その後彼の話は私のボディラインについての卑猥な指摘に及び、彼自身がそれにどれだけときめくか、いやらしい気持ちになるか、などの暴露になってしまったのである。とりあえず手は振りほどき、スタッフの方に相談しに行った。

結局、私はその日、彼らと話すことを一度やめ、奥の事務所で誰にもできそうな書類仕事を任されることになった。妙にショックだった。純粋に手を握ってくれたのかと思っていたのが性欲だったこともきつかったし、人間関係の最初の段階では一応誰もが隠しておくだろう性欲をむき出しで暮らしている彼の生き辛さや親御さんの腐心などにも考えが及んだ。

だいぶ落ち着いてきた頃、ボランティアの終了時刻が近づいて私は荷物をまとめた。
駅まで一緒に行きましょう、と大学生のお兄さんが気を使って声をかけてくれ、二人で歩いて帰ろうとしたときだった。出口のほうに目をやったお兄さんはちょっと怪訝な顔をし、私にそちらを見るよう促した。

「さっきの人じゃないっすか?」

そうだった。先ほど私に猥褻な発言をした彼が、施設の手前で施設の人に叱られ、頭を下げながらも私のほうを見ている。あとから施設の人に聞いたら、私と帰ろうと思って待ち伏せていたのだという。正直ぞっとした。

もちろんそれきり彼には会っていないが、時々思い出す。
友達の軽い下ネタも制するように生きてきた私にはちょっと刺激が強い体験だった。

昨日書いたもの→車窓からラブホテルを数えた頃のこと

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青木空絵

アオキソラエです。思い出をまとめた2000字くらいのエッセイを半年ほど毎日投稿していましたが、2019年以降は不定期更新に切り替わっています。旅行に行ったら旅行記を書き、生活で辛いことがあったらエッセイを書き、という形でやっていく予定です。よろしくお願いいたします。

エッセイたち (2018/10)

2018年10月2日から31日までに書いたエッセイをまとめました。
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