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地図を凝視しながら道を間違えること

先輩は私の少し前を歩きながら、地図アプリを凝視していた。
背中から生真面目さがにじみ出ている。
中肉中背、顔立ちはいわゆる塩顔で、印象に残るタイプの人ではない。

だからこそだろう、私は先輩に「今度飲みに行こうよ」と言われてから、
2年も経ってからようやく「飲みに行きましょう」とLINEを送ったのだった。

先輩に印象がないからこそ、「飲みに行こうよ」と言われたことを2年も忘れ切っていたのだし、先輩のことを正直どうでもよく思っていたからこそ、そのありふれた台詞が単なる社交辞令だとわかっていても「飲みに行きましょう」などと平気で書けたのだった。

先輩は地図アプリを見すぎて通行人にぶつかりかけながらも、とにかくまっすぐ歩いた。
けれども、駅からおおよそ10分も歩いたころだろうか。にわかに立ち止まり、私のほうを向いて照れくさそうに「道間違えちゃった。逆だったわ」といったのだった。

「逆だったんですか」
つい呆れ声になってしまった。あんなに熱心に地図を見ていたのに、逆方向に10分も歩いてしまうなんて、理屈も何も分かったものではない。

ごめんごめん、と言いながら歩きなおし、ようやくたどり着いたのはレモンサワーが有名な都心のバーだった。
新鮮なレモンの香りがよく、それを胸に吸い込みながら私はひどいことを考えていた。
なんでこんな素敵なお店にこんな人と来てしまったのだろうか。

私には悪い癖がある。
どうしても人を軽んじてしまうのである。
「大切な人」と「どうでもいい人」の区別をきっぱりつけすぎている。

趣味の合う人、仕事のできる人、私にある程度冷たい人などが前者に入り、
黙っていても私を好いてくれる人や私の持っている物差しでは高い評価がどうやってもつかない人が後者になる。

前者は時々後者になってしまって、そうすると二度と前者に戻ってこない。

先輩は圧倒的に後者だった。
めちゃくちゃどうでもいいのである。
彼は誰からも軽くみられるタイプの人間だった。

ちょっとくらいひどいことを言われても、自分が話題になっているというだけでちょっとうれしそうにしてしまう滑稽さ、ギャグのセンスがちょっとずれていて、その場の誰も気に留めていないことで一人だけ爆笑していたり、その笑い方が調子はずれな高音だったりして、それが彼を、人から遠ざけるとまではいかなくても、誰とも”かなり親密”というところには至らなくさせるのだった。

そんな彼を飲みに誘ったのは、私が自分に自信を失っていたからだと思う。
ひどい人間なのだ、私は。
自分が一定よりも劣っていると感じると、すぐ自分よりも劣っている人(ある特定の物差しでの話であり、もちろん完全に全てが私より劣っている人などいない)を探して、
この人よりはマシだと心を落ち着かせてしまう。

「先輩は今、何のお仕事をされてるんでしたっけ」

そう尋ねた時も、何かしら私の求めている回答が返ってくるだろうと思ってしまっていた。
就職活動中で、一応内定はあるものの全くいきたくない会社で、でもそこしか受かっていないのだからそこにしか行けないと悩んでいた私は、

「いや…実は今、無職なんだよねえ」

そう、自分よりも2歳も上の、ろくな特徴のない人間が答えるのを聞いて、心底安堵していたのだった。

人間関係がうまくいかなくてやめてしまったという。小さな会社で女性が多く、馴染めなかった。そう語る彼の口調は平板すぎて何も伝わってこなかった。人によっては、同じエピソードでもっと、閉塞感や辛さを伝える語りができただろう。
そうすれば彼はより人に共感され、尊重される人間たり得たかもしれない。

「転職先を決める前にやめちゃったんですね」
そう私が言うと、
「いやまあ、だってさ、どうにかなる気がしない?世の中さあ、仕事なんていくらでもあるじゃん、すぐ見つかると思うんだよね」と笑う。

前の仕事をやめてから半年たっていると聞いている。
私ならば焦ってしまうが、この人は焦っていない。
焦りを隠しているというわけでもなさそうだ。
どうしてこんなに落ち着いていられるんだろう。

私はなんとなく、さっき道を間違えたときのことを思い出した。

あの時も先輩は熱心に地図アプリを覗き込んでいて、それでいて道を間違えたと気づくのに10分もかかった。どう見ても正しくない方向を正しいと信じ込んでいつまでも歩き、取り返しがつかないほど大きく目的地から逸れてしまってからようやく、「道間違えちゃった」と言い出した。

先輩が軽んじられるのはもしかしたら、そういう鈍さのせいなのかもしれなかった。勘のいい人たちが一瞬で理解することを、遠回りに遠回りを重ねてようやく理解するような。

けれども、と私は今、これを書きながら考えている。
人生に確たる目的地はないのである。

格言めいた言葉になってしまうが、先輩のその、間違えた道を正しいと信じ込んで歩き続けるような、自分の間違いに気づかず、一定のペースで進んでいくようなその生活の先には、私のように「正しい」と「正しくない」をきっぱり分けている人間には届かないような、詩的で楽観的なゴールが待っているのかもしれない。

長々と先輩のことをだいぶ悪く書いたようだけど、私は実際のところ彼が嫌いではないのだと思う。
間違った目的地を目指してスタスタ歩く彼を疑わずに着いていったのは私なのだ。

誰かが熱心に何かをしていると、それだけでその行動を正しく思ってしまうような、その人の向いている方向や進む速度を気にしなくなってしまうような、そんな人の好いところが私にも少しは存在していて、それが私に彼を、「誰からも軽んじられる人間だ」などといいつつ、一晩くらい酒を酌み交わしてもいいかなという気にさせるのだろう。

私は彼の実直さを、時に愚直だとバカにしながらも信頼しているらしい。
いつかまた飲みに行った時には、もう少し素直な後輩でいられたらと思う。
けれども誘われてから2年かかったくらいだから、今度はいつになるか分かったものではない。

前回書いたもの→南伊、女一人旅のこと part.5(終)

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青木空絵

アオキソラエです。思い出をまとめた2000字くらいのエッセイを半年ほど毎日投稿していましたが、2019年以降は不定期更新に切り替わっています。旅行に行ったら旅行記を書き、生活で辛いことがあったらエッセイを書き、という形でやっていく予定です。よろしくお願いいたします。

エッセイたち(2019年)

2019年に書いたエッセイをまとめていきます。(更新中)
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