見出し画像

南伊、女一人旅のこと part.2

ローマに着いたら朝だった。
この後は国内線で乗り継いでナポリに行くことになる。
もはや日本人など少しも見当たらない。行き違う中にはアジア系の顔立ちすら稀にしかなく、さあ、いよいよ“外国人”になってしまったぞ、と苦笑いした。

窓際の席に腰掛けて乗るべき便を待っているとにわかに日差しが強くなってきて、私はローマの夜明けに立ち会っている、と不思議な感覚で窓の外を見つめた。
ナポリ行きの便はいつの間にか予定とは違うゲートから発つことになっていて、朝日に見惚れていた私は遅れかけてあせり、パスポートを落とした(拾ってもらえて本当によかった)。

ナポリ国際空港からは歩いてホテルに向かう予定だった。
しかし、駅周辺をテクテク歩いているうちどうも無理そうだと悟る。
目印になりそうな建物もなければ、どちらに何があるのかもさっぱり不明で、それでいて私には「ここはどこですか?」という問い掛けを試す勇気が少しもなかったのである。

どうすりゃいいのだ、と歩いていたらバスターミナルっぽいものが見えてきて、私が目的地としているナポリの中央駅を示す単語がそこに書かれていた。正直バスも怖かったが、路頭に迷ったまま夕方を迎えることの方が怖かったので乗車する。幸いにもなんとなく運転手の言っていることは分かり、無事中央駅に到着することができた。

しかし、バスの中から見るナポリの街に私はなんとなく衝撃を受けていた。
率直に言って、そこは想像と全く違ったのである。

イタリアのイメージ、ヨーロッパのイメージというと、私は白っぽい建物、赤い屋根、緑の草花、みたいな感じをずっと想像していた。実際、私が愛読しているイタリア文学者、須賀敦子さんのエッセイにも驚くほどにたくさんの草花が出てきていたのである。

しかし、ナポリの町並みはそういう綺麗な、いわゆるヨーロッパとはかけ離れたものに見えた。数年前、一ヶ月ほどインドに滞在したことがあるが、道が舗装されている以外はほぼインドである。雑多で薄暗く、古びたカラフルな個人商店めいたものが大量に並んでいる。

私の勝手に想像していた、日差しの明るい、キラキラしたヨーロッパはそこにはなかった。
ただただ、いかにも治安の悪そうな、薄汚れた町並み(と私には見えた)を見るにつけ、さて、北より温暖だからと南イタリアに来たが、これは大変なことになったぞ、と焦った。
しかしその焦りを伝える術を、そのときの私はもたなかったのだった。

“Stagione Centrale”、中央駅です、とアナウンスがあり、どんなに治安が悪かろうと私はここで降りるしかないのだった。買ったばかりのワインレッドのスーツケース(ちゃんと日本から輸送され、ナポリで受け取れたときは大変感動した)をがらがらと動かし、スリが多いからと警戒してリュックサックを前に抱える。

ナポリは道が石畳でできているから、前に進むだけでも大変でひいひい言ったし、私のようなアジア人、白人、黒人とあらゆる人種がひしめくナポリの通りの、果たして何割がガイドブックやインターネットで予習して警戒している「ちょっと危ない人」たちに属しているんだか分かったものではない。

ただただ怖かった。はやく行かなければ、と見渡したら、幸いにもホテルは下車した地点から見える位置にあり、あそこに荷物を置いてちょっとゆっくりしてから観光や買い物をしよう、と心算したまではよかった。

問題はそのホテルが車道を挟み、向こう側の通りにあることだった。
日本の感覚では信じられないことだが、ナポリには駅前にすらも横断歩道と呼べるような歩行者のための設備は一切なく、びゅんびゅんと全速力で車が行き交い続けている。

どうすりゃいいんだ、と見渡すと、現地の人は普通に走行している車と車の合間を縫って横断している。日本でやったら動画で撮影されてTwitterで炎上してしまう。郷に入れば郷に従うべきと思ったが、もちろん人生で初めてやることだったし、ただでさえ鈍い上に重たいスーツケースを引いているのだから大変である。

もしかしたらどこかに、と探した横断歩道はしかし、やはり存在していなかったので、ある程度の散策の後に覚悟を決めて、現地のおじさんのすぐ後ろをついて渡った。わたり終えたときは本当にほっとした。ホテルにたどり着き、カードキーをもらって入室すると、それほど広くはないが天井が高い部屋なので開放的な気分になった。

荷物を一通り片付けたが、先ほどのような横断を繰り返すと思うとなんだか外出も億劫で、家族に到着の連絡をしたあと、すぐにベッドに横たわって読書を始めた。
日本との時差は8時間、いつもならば寝ている時間だがナポリは真昼間である。

読み始めたばかりの小説が思ったよりも難解で進みが遅いのでちょっと気がそれて、そうだ、土地の空気を感じるために窓を開けてみようか、と二重窓を勢いよく開いた。
風が強い時期で、外の喧騒と一緒に日本ほどではないが十分に肌寒い2月のナポリの風が部屋に吹き込んでくる。

しかし、そのことよりも私が驚かされたのは、かの有名なヴェスヴィオス火山がその窓からはっきりと見える位置に大きな山を二つ、堂々と示していることだった。
「ナポリを見て死ね」という言葉がある。誰もが生涯に一度は訪れるべき、ナポリの風光明媚さを表すイタリアのことわざだそうだが、これは確かに、と思わされた。

山になどこれまで興味はなかった。富士山のことすら、有名な山だがあまりにテンプレート化されすぎていてちょっと、と軽視している捻くれた私が、ヴェスヴィオス火山には唸ってしまった。その雄大な立ち姿を見るだけで、何か守られているような気持ちになるのである。

私は日本からいくつかの悩みをもって旅に来ていた。
どうにも立ち行かない恋のことや、進みの悪い仕事のこと、果たしてこれから自分はどうなっていくのか、という漠然とした不安。しかし、そういう細々としたことに頭が行きそうになるたび、なんとなく、なんでヴェスヴィオス火山の見える部屋でそんなことを考えねばならないのだろう、という気になった。

人間一度は大きなもの、それもいつまでもずっと変わらずそこに聳えていてくれるようなものに縋るべきなのかもしれない。少なくともこの旅の間ずっと、ヴェスヴィオス火山は私を守り、助けてくれたのだった。


前回書いたもの→南伊、女一人旅のこと part.1

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

サポートしていただいたものは書籍の購入にあてる予定です…! (本屋に行くと一度に7000円使うヤバい人間のため)

3

青木空絵

アオキソラエです。思い出をまとめた2000字くらいのエッセイを半年ほど毎日投稿していましたが、2019年以降は不定期更新に切り替わっています。旅行に行ったら旅行記を書き、生活で辛いことがあったらエッセイを書き、という形でやっていく予定です。よろしくお願いいたします。

エッセイたち(2019年)

2019年に書いたエッセイをまとめていきます。(更新中)
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。