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【戦時中極秘計画】首都機能移転計画の跡が長野県でひっそり公開されている件

前回のチェルノブイリの記事がめちゃくちゃバズって、noteのトップに載せていただりして、気を良くしたのでまた記事を書いてみることにします。

前回の「チェルノブイリ原発が観光地になっていた件」をまだお読みで無い方は下記からどうぞ。こちらもおすすめです。
https://note.mu/aomegane/n/n12263f471f17

はじめに

第二次世界大戦中に、日本国が首都機能を移転させる計画を遂行していたことはご存知でしょうか?ご存知の通り、第二次世界大戦の末期には日本は非常に苦しい戦局に立たたされ、沖縄で地上戦が行われたり、東京大空襲があったり、広島・長崎に原子爆弾が投下されたりしました。それぞれの史実に対する解釈や是非はこのnoteでは言及しませんが、日本国民だけではなく世界中で尊い人命が失われた数年間でした。

そんな中、日本国は首都機能(皇居・大本営・省庁など)を東京から長野に移転させる計画を遂行していました。東京は海岸から近いこともあり、防衛機能が弱いとの判断です。で、なぜ長野なのか。Wikipediaによると下記のような理由からだそうです。

1. 本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。
2. 固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
3. 山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
4. 長野県は労働力が豊か。
5. 長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
6. 信州は神州に通じ、品格もある。

で、まるで防空壕のように長野県の山の中を掘りまくって、そこに日本国の中枢機能を移転させる計画でした。その穴をほる計画は8割方完了したところで終戦を迎えます。

現在は、松代象山地下壕としてその壕が公開されています。

松代象山地下壕への行き方

松代象山地下壕は、東京から約3時間くらいです。住所は長野市松代町松代1446-6ですが、公式サイト( https://www.city.nagano.nagano.jp/site/kanko-nagano/22100.html )にあるように象山記念館でカーナビを検索するのが良いでしょう。

私は、途中で善光寺に寄りたかったので上記の青のルートではない道で行きました。善光寺もそれはそれで深い観光スポットだったので別途記事にしてきたいと思います。松代象山地下壕は、公式サイトによると公共交通機関でも行けるようですが、徒歩20分と書かれていたので自動車で行かれることをおすすめします。

松代象山地下壕の様子

入り口はこのような壕になっており、ヘルメットの貸し出しがあります。ちなみに、無料で入れます。その代わり、メンテナンスも最低限であり、「誰でも安全に見学できます」という感じでは無いです。

はじめの方こそ下記のような感じでメンテナンスがされていますが、奥に進んでいけば行くほど、当時のままの状況が残っています。

日本国の中枢機能を移転させるのに入り口狭いよ!と思いましたが、こういうところからも当時の切羽詰まった様子が感じ取られます。そういえばシン・ゴジラという映画では、首都圏がゴジラによって壊滅されたあと、巨災対をはじめとする首都機能が立川に移転します。フィクションなので立川の建物などはとても綺麗なのですが、現実はこうなのかと思わず対比してしまいました。

どんどん中に進んで行きます。中は結構暗いです。最低限の補強とあかりだけがあります。横幅は数メートル程度あり、小型の重機なんかも入ったんじゃないかなと思います。

ちなみに、この工事は非常に過酷な工事で(首都移転プロジェクトなので工期も余裕なかったでしょう)、日本人だけではなく朝鮮半島出身者の方も従事されたと言われています。詳しくは、公式パンフレット( https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/313298.pdf )に詳しいです。

奥に進んでいくと、当時の岩肌のまま残されている箇所がいくつもあります。※立ち入り禁止です。フェンスの網目から撮影しています。

2枚目の写真の横線は、トロッコの枕木跡です。そのほか岩に削岩用のロッドが刺さったままだったり、本当に1945年そのままで残されている箇所がいくつもあります。

何を考え、何を学ぶのか

この場所は無料ということもあり、ガイドさんもおらず、丁寧な案内板があるわけでもありません。博物館のような整備された場所ではなく、自分の目や耳で感じ取って学び取る場です。

やはり、本土決戦というシナリオを本当に具体的に想定していたというのはひしひしと伝わります。何がそこまで日本国を突き動かしていたのか。そこまでの覚悟がありながら、ポツダム宣言を受け入れた理由などを改めて考えさせられました。沖縄・広島・長崎・真珠湾をはじめ、第二次世界大戦の代表的な場所には訪れたことがあるのですが、その時見たもの、感じたことなどが思い出されました。

戦争のように幾重にも複雑な事象が重なり合って起こった出来事は、二元論的にどちらが悪いなどを決めることが難しいと思っています。だからこそ、伝聞に頼らずに自分の目で見て、起こったことの重大さや悲惨さを噛み締め、自分の人生に刻むのが大切なんだと思います。

また、職業柄「移転」と聞くとシステム移行の話を思い出します。独自のメインフレームからSAPに会計システムを移行したり、ミラティブ(現職です)がDeNAから独立するときにDeNAのインフラから自社のインフラに移行したり。

今回の松代象山地下壕は、ITでいうと移行先のサーバー構築が8割終わったくらいでプロジェクトが終了した形です。そのあとにアプリケーション移行だったり、データ移行だったりより繊細な工程が待っています。おそらく松代象山地下壕も、省庁の引越コストや付随する施設の建築(病院など)など試算はしたんだろうなぁ。みたいなちょっぴり職業病も出たりしました。

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