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1億総クリエイター時代に求められる「価値」について思うこと

1億総クリエイター時代と言われて久しい

TikTokがブームになる以前から、見えている人には見えていた「1億総クリエイター時代」という言葉ですが、最近は特に総クリエイター化の速度が上がってきていると感じている。

noteにノウハウやブログを書いている人・TikTokでダンスを投稿している人・YouTubeになにかを投稿している人・小説家になろうで小説を綴っている人・pixivに作品を投稿する人・Mirrativで生配信をしている人などなど、様々なプラットフォームに自分のコンテンツを投下することが増えてきていいる。(全部足すと一億人行くんじゃないか?という気もしますが計算するのは本題ではないのでやめる)

これらが加速されたのは、紛れもなく下記の2点の進化が大きい。
・テクノロジーによって、モノを創るハードルが下がった
・テクノロジーによって、最適な人に最適なコンテンツが届くようになった

モノを創るハードルが下がった

たとえば下記のTikTokだけれども、音楽に合わせて画面をスクショされてチェキのように画面上部に表示される。いわゆるポーズシャッター動画。
10年前、それこそiPhoneが発売された頃であれば、この動画を創るのにはハイパワーなMacかPCが必要だったに違いない。そして熟練された動画クリエイターが必要だった。それが今や誰でもできる、そうスマホならね。

画像引用元のTikTokです↑。わんちゃんかわいい。

おそらく、これは様々な分野で進んでいくと思う。それこそ、AIが線画に自動で色を塗ってくれるサービスは実用化している ( https://paintschainer.preferred.tech/index_ja.html ) し、音楽制作ソフトがコード進行を自動生成する機能なんかそれこそ10年前からあった。

たぶん、小説を書いたら読みやすく整形してくれる機能だったり、普段のメモや検索履歴からブログ記事を半自動で生成してくれる機能なんかはこれから出てくると思う。そうすればもっともっとモノを創るハードルは下がる。

最適な人に最適なコンテンツが届くようになった

コンテンツ制作のハードルが下がる一方、それを届けるテクノロジーも進化してきた。ビッグデータをオンライン学習できる基盤や協調フィルタリングのパッケージの普及により、おすすめや関連コンテンツを出すのが容易になってきている。

ちなみに私のYouTubeのトップ画面ですが、お笑い・レース・V系・アイドル・VTuberあたりが網羅されていてずっと見てられるプレイリストだ、、と感じる。

(上記ビビッと来る人は @sakamoto_mirrativ フォローしてもらえると嬉しいですw話があうと思うのでw)

余談はこのくらいにして。このような進化が続いた結果、クリエイターの二極化が進んだ。誰のプレイリストにも登場するヒカキンさんのようなクリエイターと、数百人くらいにしか見られないクリエイターだ。

コンテンツ消費者からみた価値

ではコンテンツの価値とはなにか?という切り口でこの流れを考え直してみる。私はコンテンツの価値は下記の2種類あると思っている。

・他者とのコミュニケーションにおける共通言語としての価値
・コンテンツそのもので魂が揺さぶられる価値

テレビドラマや(それこそ20年前くらいの)オリコンTOP10みたいなものは前者の価値が重かったし、有名YouTuberもその重みが大きのかなと私は捉えています。「昨日の新着動画みた?みてねーのかよ!いまから一緒に見ようぜ!ゲラゲラゲラ」みたいな会話は学校の昼休みに普通にされている。この文脈に乗ったクリエイターはPV数という武器によってマネタイズができている。

参考:1999年のオリコンランキング 引用元
(この頃はこれを聞いていることがコミュニケーションの共通言語になった)

一方、コンテンツそのもので魂が揺さぶられる体験は往々にしてある。インディーズバンドの対バンライブにいって知らない曲に心を打たれたり、Twitterで回ってきたWEB漫画によって人生観が変わったり。コンテンツの最適化によって、このようなコンテンツが目に入りやすくなったのは前述のとおりだ。ではこのコンテンツ提供者はマネタイズできているだろうか?

答えはNoだ。「趣味でやっている人もいるからいいんじゃない?」「あんまり人が見てないんだから当然なんじゃない?」という意見もあると思うが、私はこの答えをYesに持っていく世の中を作りたい。

創作活動を続けてほしいという願い

なぜそれをYesに持っていきたいか。それは単純に「創作活動を続けてほしい」という願いがあるからだ。自分の魂を揺さぶったコンテンツ作成者への敬意やファン心理もあると思うが、魂を揺さぶられるほど(作品を通じて)わかりあったクリエイターに創作活動を続けてほしいという願いは極めてストレートな感情なんではないかと思っている。

個人的は元Hysteric BlueのTamaさんが音楽の表舞台から引退されたことにすごく残念で悔しくて辛い思いを抱いている(もちろん、彼女の場合は体調面が原因ではあるのですが...) 他にも、元サードメンの高橋さんというお笑い芸人はお笑いをやめてしまった。あんだけ(瞬発的には)面白かったのに。たぶん、この漫画もっと読みたいのに終わっちゃったみたいな経験は誰にでもあると思う。

今後の活動ですが、歌は出来る範囲で続けていくつもりです。
今後は、自身のCDのリリースやライブという形ではなく、制作のお手伝いという形で音楽に携わっていければと考えています。
どこかでふと、
「なんかこの声聴いたことある気がする…」
そんな風に思ってもらえる機会があれば嬉しいです。

Tamaさんのブログから引用

コンテンツの価値は消費者が決める

言いたかったこととしては、コンテンツの価値は消費者が決めるということだ。コンテンツの製作者はテクノロジーの恩恵を受けているので、「そんな大したコンテンツではない」と謙遜するかもしれない。しかし、受け手側では魂が揺さぶられた結果、そのコンテンツに価値を感じ、そのクリエイターがずっとコンテンツを作り続けてほしいと思うのだ。それは、高度なレコメンドエンジンによって、より適切なコンテンツが届けられた現代だからこそ強い文脈となる。

しかし、その「コンテンツを作り続けてほしい」という消費者の願いと、「コンテンツを(ゆるく)作り続けたい」というクリエイターの願いをつなぐ仕組みは、まだ不十分だと感じている。オンラインサロンやファンクラブの文脈も整備されては来ているが、一億総クリエイター時代に、一億人のクリエイターの願いをつなぐサービスはまだない。

一緒に作ってくれる人募集しています

長々ポエム書いてきましたが、そのようなサービスを一緒に作る人を募集しています。今は副業メンバーを中心にプロトタイプを仕上げている段階です(もしお会いできれば製作途中のものなどお見せします)
https://www.wantedly.com/projects/275587

高度にテクノロジーが発達した時代に人間がやることは、
俳句(芸術)・蹴鞠(スポーツ)・研究(学術研究)だと私は思うんですよね。それを支えるのも人間だと思います。完全に余談でしたね。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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