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好きになる教科に先生の影響はあるのか

Hallo!

昨日の記事で、私が理科を好きになれなかったのは、理科の先生が生徒の興味を引くような授業ができなかったせいだ、と自分勝手な理由を書いたのだけど、それについてちょっと考えてみたくなったので、今日はその辺について語ることにする。

まず、逆に好きな教科について考えてみる。
昔からずっと私の一番好きな教科は英語だけど、私が学生だった頃の英語の先生がこちらを引き付けるような素晴らしい授業をやっていたかといったら、そんなことはなかった。
私の場合、まず先に英語が好き!という気持ちがあって、それで授業とは関係なく楽しく勉強していて、授業自体は特に面白くもなかったけれど、先生の質問に答えられるのは楽しかった。
でも、発音は悪すぎて、クラスメイトがそろったところで私の発音のひどさをALTに鼻で笑われたことはいまだにトラウマだし、これでよく英語を嫌いにならなかったな、とは思う。
それについてはまた英語の話を書くときに詳しく書きたいな、と今ふと思ったのだけど、とにかく、周りからの影響なんて関係なく、ただただ自分が好きだからという理由で突っ走れることもある。それを証明したのが、英語だった。

そして再び話は理科に戻る。
私が小学生の頃は、1年生から理科があった。
1年生の時は、決して嫌いではなかった。
たぶんその頃の理科は、今の生活科と同じような感じだったと思う。
でも、小学3年生の頃だったか、理科を理科室でやるようになってからは、全然楽しくなくなってしまった。
それぞれの実験や教科書の記述が、どう日々の生活とつながっているのかが分からなくて、いろいろなものを準備して実験するけれど、その結果が一体何を表しているのかさっぱり理解できない教科ということになってしまった。
せめてここで先生が、この実験は例えば普段の生活のこういうことを表しているんだよ、と教えてくれたら、なるほどー、なんて思えて楽しめたような気がするのだけど、どうなんだろう。
最初の一歩が踏み出せれば、その後は自分でどうにでもすることができたはずなので。

そういえば、中学校の時の理科の先生は若い男の先生だったので、人によってはその先生に注目してもらいたくて頑張ろう、なんて気持ちも湧き出そうな気もするのだけど、ひねくれものの私はそういう気持ちを持つことは全くなかった。
私はもっと純粋に、その教科を学ぶこと自体を楽しみたかった!
別にそういうの理由で頑張るのが悪いとは思わないけれど、そういう場合って、失恋するとやる気もなくなってしまったりするのかな?経験がないのでわからないけれど。

でも、どんなきっかけであれ、楽しく学べるのはいいことかな、とは思う。
どうかこれから学校に通う子どもたちが、学ぶことを楽しめるような先生に出会えますように。



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