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どうして「イージー」が好きかっていうとね…

エレファントカシマシの楽曲でいちばん好きな曲は何ですか?
この質問には、答えられないという人が多いのではないでしょうか。なぜなら好きな曲が多すぎて一曲に絞れないから。

でも、わたしは即答できます。はい。表題のとおりそれは「イージー」なんです。この答えには「ああそうですか…(好みは人それぞれですからね)」という感じであまり賛同を得られないんじゃないかと思うけれど。

そこで、なぜこんなにも好きなのか。なぜこれ程までに心臓を鷲掴みにされるのか。この曲の何がわたしのココロを捕らえて離さないのか。まるまる一曲だけでこの記事を書いてみようと思います。

「真夏の雲、真冬の空気」
という出だしで始まります。まずこの始まりから完璧だと思います。これを聴いた人は「一体どの季節なんだろう?」という疑問にクイっと物語に引き込まれます。聴きすすめていくうちに、彼が歩いているということ、歩きながら空想しているというのがわかってきます。

「ヒトをことごとく詩人にしてやまない日本の冬」
駅へと向かう道を歩きながら考え事をして、ノートに書き込んであるこの文言を思い出している。これは言葉の通り、冬の町を歩いて詩人になってしまったんだと思います。前出の「真冬の空気」も視覚ではなく “皮膚“ で感じたから “空気“ が無意識に連想されたんだろうと。だから私はこの曲の季節は「冬」だと思います。

この言葉はまた「〜にする」ではなくて「〜にしてやまない」という言い回しで、どうしようもなく、どこか抗えない力が働いている、という印象を与えます。これは最後に効いてくると思うんですよね。その理由は後に述べます。

そこから「男」とは何か「女」とは何か へ
町を歩きながら世界を感じ、自分の中にある概念(イメージ)を捕まえようとしている。自分の中にある「男」や「女」の意味を確かめるかのように、外の世界と自分の内の世界とが絡み合いながら結びついていく。ゆっくりと歩いている自分の姿と「男」という概念がリンクする。「男」のイメージに抱かれて眠る「女」のイメージは誰と結びつくのだろう?この疑問はさりげなくでも確かに次へと引きずって行きます。ここでも「女」に「?」がついているのもポイントだなあと思います。

そして、その思考の連想はついに「死」へ至ります。

“死は今もここにおとずれている
鮮やかな笑顔のうちに共存している“

“あなたをもっと知りたい“

ああ、私はこの一文で心臓を鷲掴みされました。ここでいつも鳥肌が立ちます。なんかもうメロディーと言葉と意味とがぴったりと分かち難く結びついていてグッときます。前出の「女」のイメージがここでカチッと音をたてて繋がります。「鮮やかな笑顔」から「あなた」への連想。空高く飛んでいた彼の空想が突然、シュッと目の前に具体性をもって現れてくる。Cメロの転調というのがよく語られるのですが、私はこの思考のジャンプに揺さぶられるんですよね。

そして、ここで最初に戻ってみると、実は始めからこの「あなた」の存在が感じられる。町の景色を語っているようで、実は日々のまなざしに「あなた」を見ていたんですね。最後の最後にグルっとすべてが転回している。まったく鮮やかです。

それは最初からとっても簡単(イージー)なことだったんです。ふとあなたのことを考えて、あなたのことをもっと知りたいと思う、それはつまり「あなたのことが好きだ」という結論。冬という季節と恋。だからこそ詩人になっていたんです。雲を空気を季節を男を女を死を笑顔をこの世界を詩に変えてしまうのは、恋をしているからなんですね。前述した「どうしようもなくどこか抗えない力」という印象もここで効いてくる。

この歌は最初から最後まで、恋をしている男の「ココロの中」を歌ったうただと思います。「あなた」にどうしようもなく恋焦がれている。君が笑えば町も笑うと同じようにこの世界のすべてで「あなた」を感じている。これもまた、数ある「届きそうで手が届かないものに憧れている男のうた」のひとつ、なんですよね。

バンドの音もゆっくりと歩くスピードで始まり、ちょうど「男」と「この広い空」を繋ぐあたりで音やコーラスが重なって、どんどん広がって歌詞に歌われるこの空を世界を感じさせるような雄大な音楽になっていきます。印象的なギターリフやベースリフはなく、時折ダンダダダダンという畳み掛けるドラム音がアクセントとなって、まとまりのある音を奏でている。コーラスもすごくいい。冬の清澄な空気感を感じさせるような、この曲の美しい世界観が表現されていると思います。

この頃の楽曲は、メロディー、歌詞、音、声、技術、全てにおいて高レベルでガッと組み合わさったひとつの絶頂期だと思うのですが(宮本さんは『俺の道』『扉』『風』を3部作と言っていますね。出典不明。すみません)、同じ頃にリリースされたスロウな楽曲の中では「シグナル」がとても人気ですよね。私も大好きです。この「シグナル」と「イージー」の違いは物語と詩の違いではないかなと思います。「シグナル」は物語でストーリーやプロットがある感じ。対して「イージー」は詩で “ことば“ そのものが感情を喚起し情景を想起させて直接的に心に響いてくるような、そんな感じがします。

また、基本的に宮本さんの楽曲をながら聴きできないのですが、特に「イージー」のイントロが始まると何をしていても全てが停止して曲に入り込んでしまいます。そして曲が終わるとプレーヤーを一旦止めてしばらくの間じっとして余韻に浸ります。これは本質の部分でEPIC期の楽曲と似ているような気がします。この曲は5分50秒のあいだ私を拘束してしまうのですが、その代わりに聴いている間はあらゆることから解放してくれる。私にとって「イージー」とはそんな曲です。

【ここからはちょっと妄想含む想像】
想像その1
これは「叶わない恋」ではないかなと、わたしは思いました。なぜなら、最後の「結論」の言い方に、でも…と少し哀しい、諦めのような気分を感じる。そして「死」という言葉が連想されている。これもまた最初からわかっていたこと(結論)のように感じます。あなたのことが好きというは簡単な答えだった、けれどもこの恋がどこへも行かないということも簡単な答えなんだ、というように。

出会った頃二人の胸をときめかせたあの不思議なメロディーというような、ウキウキしたメロディー感がしない。まるで最初からわかっていたかのような諦め。道ならぬ恋というよりは、どちらかというと一目惚れのような。ちょっと話したことはあるけどなかなか会えない。もしかしたら名前も知らないかもしれない。だから「あなたをもっと知りたい」のかなあと。

もしくは過去のヒトということもあるかも。よく知っていると思っていたけれど、考えてみるとほんとうは「あなた」のことを俺は全然わかっていなかったのかもしれない、と。あなたをもっと知りたい。でも(今はもう会うことはできない)それが結論。とかね。

こういう思いで作りましたという意図とかけ離れた、まったくの的外れかもしれません。あくまで想像ですから。念のため。

想像その2
「ヒトをことごとく詩人にしてやまない日本の冬」っていう文章すごくいいなあと思います。“日本の冬“ という世界をこの一文で見事に言い表していて、自由律の短歌や俳句のよう。ノートに書き込んだ時からいつか使いたいと思っていたんじゃないかなあ。実はこの一文を言いたいがためにこの歌が作られてたりして。なんてな。

まだ何か言い足りないという気持ちが残りますが、これで一旦終わりにします。後で加筆修正することがあるかもしれません。


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