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今だったら…?

看護学校卒業後初めて勤務したのは消化器内科病棟でした。
さまざまな病気の患者さんが入院していましたが、その中でも忘れられない患者さんがいます。

40代(だったかな?)、女性の方で、胃がんの患者さんでした。
家族構成を見ると、下のお子さんがまだ小さくて、「大変だろうな」と思っていました。
何度か訪室しているうちに、その方は私の訛りに気付かれたようで、
婆ちゃんってどちらの出身?と尋ねられました。
「青森です」と答えると、「私は岩手なんだよ」とのこと。
同じ東北出身という事で一気に距離が縮まったようでした。
それからは、訪室するたびに「仕事頑張りなさいよ」と私を激励してくれたり、故郷の思い出話をしてくださることもありました。
しかし、しだいに病気は進行し、食べられなくなり、腹水がたまり始めてきました。

ある日の日勤業務。点滴交換のためにその方の部屋に行きました。
顔色は悪く、体がしんどいだろうなと思いながら、ありきたりの会話をして部屋を出ようとしていた私に向かって、
「婆ちゃん、私、死にたくない」と、絞り出すような声で言いました。



どうやってその部屋を出てきたのか、
その方になんて答えたのか、
考えても考えても思い出せないのです。
そこだけが記憶の中から欠落しています。


たぶん何も言ってないのでしょう

ひどい看護師だ!



21歳の私は「死を目前にした患者」と対峙することが出来なかったのだ。

「逃げたんだよね⁉」という思いは今もある。


当時の看護学校のカリキュラムの中に、哲学とか医療倫理のようなものがあったかもしれないが、実践的に使えるほど頭の中には残っていませんでした。実習時間1600時間を超えるという、超過密スケジュールしか頭の中には残っていないのです。
寺本松野さん(当時聖母病院婦長さんだったと記憶)や日野原先生、ナイチンゲールの本を読み漁ったのは、ずっと後になってからでした。


今だったらあの時の患者さんにどんな声をかけてあげられるのかな?


45年前、父がすい臓がんで亡くなった時、最後まで頑張る父を見て
「父さん、もういいよ」と私が声をかけ、その後、最後の一呼吸をして息を引き取ったと、姉からのラインで知りました。

6年前、母が亡くなるときも、寝たきりになっていた母の背中に両手を入れ、「腰痛かったね」と言うとうなづき返してくれました。
いよいよ臨終という時に個室に移り、それでも頑張って生きようとする母に「もういいんだよ」と言いました。そして母も静かに息を引き取りました。

2年前、蘭の弟の紫苑が亡くなるときも同じでした。体が冷たくなって硬直し始めているのに、デッキに出て排尿しようとする紫苑に、「もういいんだよ」と言い、私の膝枕で息を引き取りました。


家族や、様々な患者さんたちの「死」に出会い、
今だったらあの方にどんな言葉をかけられるのか?


私にとっては悔やんでも悔やみきれない、苦い思い出なのですが、
言葉と、寄り添い方を
これからも模索しながら生きていかなければと思っている私です。





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