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俺は演劇リボルバー 06 鬼の居ぬ間に「目々連ー覗き込む葉ー」

①燐光群「カウラの班長会議」→②3.14ch「宇宙船」→イマココ

事前情報なし、謎のベールに包まれた劇団「鬼の居ぬ間に」。

チラシからわかった情報は裏面に書かれている謎の短歌。

秋暮れの
頭を垂れる枯れ草に
怨み残りて
尚しづまらず

ふむ。早くも3回目にして、リボルバーは前人未到の地にたどり着いてしまったのかもしれない。リボルバー、なんだか怖くなってきました。

ずるずると後ろ髪を引かれるような気持ちで向かったのは下北沢・劇小劇場。公演初日である。恐る恐る受付で当日券を購入しようとすると、受付の女子がおもむろに言い放った。

「出演者からの紹介ですか?」

なぬ? もしや、一見さんお断りの会員制クラブのような劇団なのか? 

「いえ、特に……」

一瞬、戸惑う受付の女子。このまま門前払いかと恐れ慄くリボルバー。そして、受付女子は、申し訳なさそうな面持ちで言い放った。

「では……当日券3,000円になります……」

いや、知り合いとかいないし、普通に当日券買いに来ただけだから!

受付女子の恐縮した気分を引きずりつつ、できるだけ奥~の方の人と人の間に空いてしまった一席に陣取る。あえて遅れ客を通しづらい場所を選んで座ってしまうリボルバーの悲しい習性よ……。

薄暗がりの中、舞台には寂れた日本家屋。客入れのBGMで鈴虫の音色が鳴り響き、不穏な空気が流れる中、幕が開けた目々連……。


衝撃の舞台であった。


今まで何度となく芝居は観てきたつもりだが、ある意味一番の経験をしたと言えるかもしれない。全く初めての経験であった。


拍手が全く鳴らなかった。


まばらな拍手、など甘っちょろいものではない。ゼロだ。拍手が全く鳴らなかったのだ。

たしかにカーテンコールはなかった。皆、タイミングを逸したのかもしれない。それでも鳴るだろう。鳴ってしまうものだろう。友人、親類が来て熱演を観ていれば拍手の一つぐらいしたくなるのが人の性というものではないか。

今までひどい芝居は何度となく観てきた。金を返せと言いたくなるものもあった。それでも、拍手は鳴るものだろう。かくいうリボルバーも、どんなにつまらない芝居を観た時でも役者に罪はないのだから……と言い聞かせ、気のない拍手をするのが常であった。いや、そもそも今回そんなにひどい芝居じゃなかったですよね? ムラなんとかティーノさんみたいに物語も破綻してないし、小規模でもやれる範囲の中でしっかりやろうとする演出にも好感が持てたし。ちゃんと拍手に足る楽しみを提供してくれましたよね?

しかし、鳴らない。全く鳴らない。そして、客電が上がらない。舞台には誰もいない。横目で周りの様子をうかがってみても誰かが口火を切る気配が感じられない。


え?


俺か?


俺なのか??



そう、私は演劇リボルバー。ランダムに選んだチラシの公演を観る。なんのしがらみもなく、芝居をただ楽しむ。観客の態度としては最も純度が高い存在。いわば、観客の中の観客。オーディエンス・オブ・オーディエンスだ。歌舞伎でいうところのハリマヤッ!と叫ぶ存在。クラシックのコンサートでいかに誰よりも早くブラボッ!!と叫ぶかに命を賭けているような存在。ここは、いっちょリボルバーとしての矜持を見せるべきなのではないか。

そういえば、中学生の時に拍手の口火を切る遊びをコムと小野君と一緒にやってたな。
朝礼で長い校長先生の話が終わって拍手。すると、波のように拍手が広まっていく。保健の先生の連絡事項が終わった後も拍手。みんなもなぜか拍手。芸術鑑賞会の時に劇中歌を浪々と歌い終わった後に拍手をしてみたら会場全体拍手みたいなことになったこともあった。

昔取った杵柄。"よし、ここはオラが一つ"と両手を開いたリボルバー。
"いや、早まるなリボルバー!"と、ここでもう一人のリボルバーがささやく。
"能でも残心を求めて通な人ほど拍手はしないというではないか。ここにいる観客はみんな玄人。わかっていないのは、お前だけなのだ。何がオーディエンス・オブ・オーディエンスじゃ!"
葛藤。広げた両手に脂汗がにじむ。そもそも、拍手とは何なのだろうか。今まで、面白くなくても拍手していた私は何なのか。ていうか、まだ客電上がらないの? 何だろう、この言いようのない気まずさ、ここまでくるとむしろ快感にさえ感じるこの沈黙……。

などと逡巡していると、何事もなかったようにゆっくりと客電が上がり、観客が席を立ち始めた。
リボルバーは大きな息をついた。プレッシャーから解き放たれた安堵の溜息といってもいいかもしれない。かような不条理を終演後の10数秒で感じさせる「鬼の居ぬ間に」という劇団。とんだ食わせ者である。

いかに面白くして、いかに拍手をさせないか。これが裏テーマだったとすればその狙いは見事に体現されたと言っていいだろう。文学座のような近代劇の皮をまといながら、その実、寺山修司の実験劇のような前衛を目指す。恐ろしい才能が埋れているものだ。

お話の内容はっていうと、とある閉鎖的な集落が舞台です。この集落には代々受け継がれている忌まわしき隠し事があります。それは、集落の権力者たる長老たちが夜ごと若い娘を犯すことが許されるということ。庄屋の娘、サチ子がその被害にあい、あろうことか子供を身ごもってしまいます。そこで、サチ子の姉夫婦は、善良な睦夫と結婚させることを画策。睦夫の親友、又次郎がサチ子に惚れていることを利用し、サチ子を巡って二人を仲違いさせ、村一番の狩猟の名手とサチ子が結婚するとして、睦夫と又次郎を競わせる。狩りの途中、又次郎は崖から足を踏み外して行方不明になり(実際は口封じのため殺された)、睦夫はサチ子と結ばれるも、親友を殺してしまったことに苛まれ、気が塞ぐ毎日。さらには、夜、障子の奥で又次郎の影が現れ、睦夫を攻め立てるようにピシャリ、ピシャリと碁を打つ音が鳴り響く……。

この碁の音が目目連という妖怪のモチーフです。

目目連
荒れ果てた家の障子に無数の目が浮かび上がった姿で描かれており、解説文によれば碁打ち師の念が碁盤に注がれ、さらに家全体に現れたものとある(Wikipediaより)

さらに、障子に目といえば「壁に耳あり障子に目あり」という言葉が思いつく。この作品の中では、目目連は怨霊というイメージだけではなく、ムラの目、社会の目、今風に言えば空気というものの象徴としても扱われているように思いました。
非人道的な行為を繰り返し、それがおかしいとわかりながらも、建前を守り続けることで秩序が守られる。日本の国づくりの源流にあるムラ社会を炙り出した作品といえるでしょう。

鬼の居ぬ間にという劇団は、怪談を上演するというコンセプトの劇団のようで、過去の公演名も妖怪ばかり。

一、『もの言わぬ火車』
一、『小豆洗い ―泥を喰らう―』
三、「地獄篇ー賽の河原ー」
四、「目々連ー覗き込む葉ー」

この公演の後、脚本の望月清一郎さんが「地獄篇 ―賽の河原―」で王子小劇場主催の2014年度佐藤佐吉賞・優秀脚本賞を受賞したようです。
かつて、ポツドールの三浦大輔さんも受賞した賞のようですね。おめでとうございます。

あと、サチ子の姉役で出ていた、ながとも凛堂さんは和モノの舞台女優としてはとてもいいと思う。雰囲気が小池栄子っぽいので、小池栄子が和モノの芝居で急に声が出なくなったりして降板の危機に陥ったらシャドウとして起用するといいと思います。

今度チラシを引き当てることがあったら、心安らかに拍手をしないで劇場を立ち去ろうと思います。

鬼の居ぬ間に 公式サイト
ちなみに、旧サイトはこんなんでこの雰囲気も怖かった……。


ということで、チラシ引きの儀。立会人はおなじみのこのお二人。

今回は、新大久保の鳥貴族で行われました。
ダクトの下の席に通されたせいか、めちゃめちゃ鼻水と咳が出る……。
今回のチラシたちはこちら。

全部で9枚。少ねぇ。
ということで、今回はアミダくじにしてみました。

お、おお、おおお!

アクロバティックな線を乗り越えて引き当てたチラシはこれだ!!

ノアノオモチャバコ『ノア版三人姉妹』

三人姉妹!チェーホフ作のあれですよね。やっぱりね、演劇の基本は翻訳劇ですよ。あー、原作モノで一安心。ノア版、というのが気になるが……。

まあ、実際3ヶ月ぐらい前に観たんですけど、またうだうだ書き連ねようと思います。
まだまだ続くよリボルバー!それいけみんなのリボルバー!!

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