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俺は演劇リボルバー 07 ノアノオモチャバコ『ノア版 三人姉妹』

#演劇 #劇評

①燐光群「カウラの班長会議」→②3.14ch「宇宙船」→③鬼の居ぬ間に「目々連ー覗き込む葉ー」→イマココ

今回は初の原作モノ、チェーホフの『三人姉妹』。

チェーホフというと、櫻の木を切るやつとか伯父さんが発砲する奴とか夢破れてかもめになるやつとか、何となくどこかで観たり戯曲で読んだりしたことがあるような、ないような……。

と、記憶が曖昧な中でも『三人姉妹』は以前一度だけ観たことがあって、数年前イタリアのペルージャに留学していた時に、クラスメイト数人と連れ立ってペルージャの市立劇場で観に行ったのだった。

Teatro Morlacchi/PERUGIA

この馬蹄形の劇場で「三人姉妹」。もちろん、イタリア語上演。留学して2ヶ月目ぐらいだったから何言ってるか全くわからず、着飾った毛唐がだらだら話しているのを3時間ぼーっと眺めておりました。ヒアリングの練習、ヒアリングの練習と言い聞かせながら……。

Che noia!(クソつまんねえな)とラトビア人の美女が言い放ち、クラスメイト達は二幕を前に帰って行ったのだが、演劇人としての意地がまだ当時は残っていたのだろうか。リボルバー、最後まで観通しましたよ。内容は全く覚えていません。

ちょうど読んでいた高橋源一郎の『私生活』という本に『三人姉妹』のあらすじが載っていたので、引用させていただきます。

これは若くして旅団長であり将軍である父を失った三人の姉妹の物語である。田舎に引っ込んだ三人姉妹は、モスクワに住んでいた頃の豊かな時代を懐かしむ。そんな三人に次々と降りかかってくるのは現実、労働、老い、失愛、あらゆる種類の絶望である。オーリガは教員として働きながら、ただ時が流れるのをぼんやりと見つめている。マーシャは若くして結婚し、そして結婚への夢を失い、妻ある男性に恋するが、その男もやがてこのなにもかもが澱んだ街を去ってゆく。いちばん若いイリーナはもっとも烈しくモスクワへ帰ることを願うが、彼女の唯一の希望であった恋人の男爵は決闘に倒れるのである。
(高橋源一郎『私生活』より)

さて、この骨太な古典をどのように料理してくれるのか、意気揚々と向かった先は、演劇リボルバー3回目の下北沢。さすが、演劇の街と言われるだけあって、3回目なのに全て別の劇場である。今回の会場は1回目に燐光群を観劇したスズナリの斜め向かいにある北沢タウンホールの地下にある小劇場B1。

チケットを求めようと受付に行くと、受付の女子が例の言葉を言い放った。

「出演者からの紹介ですか?」

「当日券です!」

朗らかに言ってやったよ。小劇場界隈に跋扈する悪魔の呪文を一蹴だぜ、ざまーみろ! 誰のノルマかわかるから、聞いたほうが効率的なのはよくわかる。でも、この一言があるかないかで、その劇団が採算が取れているかが一瞬にしてわかるので、ここは一つ、踏ん張っては頂けないだろうか。この言葉を言わないという覚悟が、劇団の命運を左右すると信じて……。

ということで、心安らかな気持ちで見届けた『ノア版 三人姉妹』。

……チェーホフ、なめてました。こんなにすごい戯曲だったなんて知らなかったよ。もう本当に痛いセリフが満載で、身につまされました。ああ、生きづらい人たちは100年前のロシアにもいたんだなあ、としみじみ。

この『三人姉妹』という戯曲の持つ普遍性を引き出した演出家のテキレジはお見事。普通にやったら休憩挟んで3時間ぐらいはかかる戯曲を刈り込んで、2時間ぐらいに削りつつも違和感なくストーリーを追うことができた。神西清訳の格調高い戯曲を選んで、ストレートにやったところも好感が持てる。

では、どの辺りが「ノア版」なのか、というところを検証してみましょう。

①劇中劇の構造を取っている
「三人姉妹」の上演を企画していた若い女性演出家がアパートから失踪。演出がうまく行かずに一人悩む様子や、失踪した女性を探しに来る妹のエピソードが差し挟まれます。入れ子構造にすることによって、100年前のロシアの話が現在の日本に住む私達を照射し、チェーホフの『三人姉妹』が現代に通じる生きづらさを描いた戯曲という側面をクローズアップしたいという意図は伝わりました。とてもわかりやすいです。この枠があったから、テキレジの見事さが際立ったのかもしれませんね!

②ダンサーとのコラボ
今回の作品では、ダンサーとして5名がクレジットされております。

【ダンサー】Asano BARBALA Mii Noppi ゆきえ 

三人姉妹のお話の切れ間、転換の時に唐突に変なノリノリの洋楽っぽい曲が流れてきて、AsanoとBARBALAとMiiとNoppiとゆきえがノリノリのダンスを披露します。イメージとしてはこんな感じ。

『三人姉妹』の世界観との対比を見よ。

三人姉妹(イメージ)

何度も言うように『三人姉妹』は刺さるセリフが多いわけですね。
(以下、『三人姉妹』神西清訳より引用)

イリーナ きょう目がさめて、起きて顔を洗ったら、急にあたし、この世の中のことがみんなはっきりしてきて、いかに生くべきかということが、わかったような気がしたの。ねえ、チェブトイキンさん、あたしすっかり知ってるわ。人間は努力しなければならない。誰だって額に汗して働かなければね、そこにこそ、人生の意義も目的も、その幸福も、その悦びや感激も、のこらずあるのよ。

一幕ではこのように労働を賛美していた三女イリーナさん。三幕ではこのようにむせび泣きます。

イリーナ ああ、不仕合せなあたし……。あたし働けないの、もう働くのは御免だわ。沢山だわ、もう沢山! 電信係もしたし、今は市役所に勤めているけれど、回ってくる仕事が片っぱしから憎らしいの、ばかばかしいの。……あたしはもう二十四で、働きに出てからだいぶになるわ。おかげで、脳みそがカサカサになって、痩せるし、器量は落ちるし、老けてしまうし、それでいてなんにも、何ひとつ、心の満足というものがないの。時はどんどんたってゆく。そしてますます、ほんとうの美しい生活から、離れて行くような気がする。だんだん離れて行って、何か深い淵へでも沈んでいくような気がする。あたしはもう絶望だ。どうしてまだ生きているのか、どうして自殺しなかったのか、われながらわからない……

カサカサになりますよね。本当に良くわかります。100年前のロシアでも同じなんですね。今の日本でも同じ気持ちを抱えながら労働している人たくさんいます。何ならこれから坐・和民にでも行ってお話を聞きましょうか、としみじみしていると、ダンサー登場。

『三人姉妹』の基本的な構造は、夢や希望がことごとく現実に押し流されて絶望に追い込まれるというお話です。

この希望と絶望のコントラストをこれでもかとチェーホフは畳み掛けてきます。たとえば長男のアンドレイは一幕の終わりでナターシャに熱烈に愛を告白。

アンドレイ おお青春、まか不思議な、美しい青春! ぼくの大事な、ぼくの可愛いナターシャさん、そう興奮しないでください! ……ぼくを信じて、ね、信じて。……ぼくはすばらしい気持ちです、愛と悦びで胸が張りさけそうです。……大丈夫、誰も見てやしない! 見てやしませんよ! いったいなぜ、どうしてあなたが好きになったのか、いつ好きになったのか――ああ、ぼくは、全然わからない。わたしの大事な、可愛い、清らかなナターシャさん、ぼくの妻になってください! ぼくはあなたを愛します、愛します……今まで誰にも、こんな愛を感じたことは……(キス)

いやー、いい。この格調高いセリフ回し。最後の(キス)というのがすごくいい。

そして二幕の冒頭。二人はめでたく結ばれており、ナターシャは生まれたばかりの赤ん坊にご執心。話しかけても反応のないアンドレイを責め立てるとこう答えます。

アンドレイ うん、ちょっと考えてたんだ。……それに、べつに話すこともないしね……

サラっと「別に話すこともない」と言い切るアンドレイ。このシーン、畳に横になって鼻くそほじりながらナイター中継を観て、妻に話しかけられてもウンウンと適当に相槌をするお父さんと同じ構図です。今も昔も、日本もロシアも、恋の情熱なんて一瞬の事にすぎないのですね……。

AsanoとBARBALAとMiiとNoppiとゆきえ(イメージ)

誰か「小劇場演劇の転換で使われるダンスとその傾向について」という卒論でも書いてくれないだろうか。

物語の終盤、三女のイリーナは、長女のオリガにトゥーゼンバフ男爵との結婚を勧められます。その理由もなかなかのものです。

オーリガ  だってあんた、あの人を尊敬してるじゃないの、立派な人だと思ってるじゃないの。……そりゃ、あの人は醜男じゃあるけど、折り目のただしい、純潔な人だわ。……いったい、お嫁にいくということは、なにも愛からじゃなくて、自分の義務を果すためなのよ。少なくもわたしはそう思うし、わたしなら愛にたよらずに、お嫁にいくと思うわ。誰が求婚してこようと、ただ折り目の正しい人でありさえすりゃ、わたし黙って嫁くでしょうよ。年寄りだって嫁くでしょうよ。

醜男って……。身も蓋もなさすぎます。イリーナはオリガの忠告を受け入れ、モスクワに行くことを夢見つつもトゥーゼンバフ男爵との結婚に応じます。

トゥーゼンバフは意中の人を射止めた興奮を感じる一方で、イリーナにこんな言葉を言います。

トゥーゼンバフ 僕があなたに恋してから、もう五年になるけれど、まだこの幸福になじめない。それどころか、あなたがますます、美しい人になって行くような気がする。なんという匂やかな、うっとりするような髪の毛だろう! なんとう眼だろう! 僕は明日、あなたを連れて発つ。ふたりで働いて、金持になって、僕の夢が生き生きとよみがえるのだ。あなたに喜んでもらえるだろう。ただ一つ、たった一つだけ――あなたは僕を、愛していない!

この言葉を残して、トゥーゼンバフは決闘に倒れるのです。

理想を捨てて現実を受け入れ、ささやかな幸せを慈しんで慎ましく生きようと心に決めた瞬間に、そのささやかな幸せさえも失われてしまう。残された絶望と虚無の中で、あえて希望を謳いあげるラストシーンの名台詞。

イリーナ「やがて時が来れば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。わからないことは、何ひとつなくなるのよ。でもまだ当分は、こうして生きて行かなければ・・・働かなくちゃ、ただもう働かなくてはねえ!あした、あたしは一人で発つわ。学校で子供たちを教えて、自分の一生を、もしかしてあたしでも、役に立てるかもしれない人たちのために、捧げるわ。今は秋ね。もうじき冬が来て、雪がつもるだろうけど、あたし働くわ、働くわ。」
オーリガ「楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたいと思うわ!まあ、どうだろう!やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れられてしまう。わたしたちの顔も、声も、なんにん姉妹だったかということも、みんな忘れられてしまう。でも、わたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちの悦びに変わって、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。そして現在こうして生きている人たちを、なつかしく思いだして、祝福してくれるだろう。ああ、可愛い妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。生きて行きましょうよ!楽隊の音は、あんなに楽しそうに、あんなに嬉しそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。・・・それがわかったら、それがわかったらね!」

そして、2010年9月28日、武富士は東京地方裁判所に会社更生法を申請し倒産(負債額は約4336億円)。その影響を受けて、翌月10月5日、武富士CMの制作全てを担当してきた中央宣興株式会社が自己破産を申請し、武富士ダンサーズの活動は休止に追い込まれたのであった。

この武富士の顛末を予見していたかのようなチェーホフ、いやはや、末恐ろしい。ノア版として現代の東京に武富士ダンサーズを召喚したノアノオモチャバコも素晴らしい。『三人姉妹』も歳を重ねた今だからこそ、響いたんだろうなと何となく武富士をリアルタイムで見ていた自身と重ねあわせて感慨深くなったりもしました。


ということで、チラシ引きの儀。今回の会場は新宿の「世界の山ちゃん」。
今回も折り込みされてたチラシの数が少ないので、くじ引きで決めることにしました。チラシをシャッフルして番号をつけて、くじを作ります。

楽しそうにくじを作る立会人たち
(※本人の希望により加工が施されています)

手羽先の唐揚げの骨を入れる骨壺にくじを入れてガサゴソと……

そして、引いたのは……

1番! 1番上にあるチラシはというと……

二兎社の『鴎外の怪談』です! やったー! やっとメジャーに戻れたぜ!!
と、思ったのもつかの間。会場が湘南台市民センターやんけ。リボルバー、初の東京外に遠征です。

ということで、これから一年前に観た芝居のことをがんばって書こうと思います。がんばれリボルバー、思い出せリボルバー、それいけリボルバー!


さて、リボルバーは青木麦生という名前で短歌を詠んだりもしていて、2015年3月号のNHK短歌に紹介されたりしました。で、『三人姉妹』にいたく感動したのと、その頃ちょうど引っ越しをしたのをモチーフに『北阿佐ヶ谷三人姉妹』という連作を発表させて頂きました。それもこれも、三人姉妹の魅力に気づかせてくれたノアノオモチャバコさんのおかげです。ありがとうございます。

まあ、例によって最初に出した七首にNGが出まして、ちょっと改変したり入れ替えたりして手直ししたのが掲載されたのですが、没になったのをこちらに載せておくので、お暇な方は見較べてみてください。

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