エーワン新倉を成功へ導いた名言たち-第2回
こんにちは、エーワン新倉です。
私、新倉利幸は、株式会社エーワンを創業し代表取締役を務めています。
現在は経営をメインに活動しています。よろしくお願いします。
エーワン新倉を導いた名言
今回は、中村天風さんの名言をご紹介します。
私、エーワン新倉は、打たれ強く、信じた道をまっすぐに突き進むことができると自負しております。
それは、中村天風さんの名言の影響もありますが、これまでエーワン創業に関しても、多くの困難な場面に直面してきたからです。
粘り強さと困難に立ち向かう、私、エーワン新倉の積極的な姿勢は、自身の持ち味だと誇りに思っていますし、この姿勢は、仕事以外の私生活でも生かされています。
しかし、自分にも他人にも厳しいタイプのため、回りくどい説明を省いてしまうことや、話を聞く際にせっかちになってしまうこと、正義感が強い部分は時に短所となってしまうことも多々ありました。
よかれと思って起こした行動で逆に相手を傷つけてしまったことがあるため、私は、普段から傷つけるつもりは無くても相手によって受け取り方が異なることを忘れないよう心がけています。
一方、仕事の場面では厳格さが必要な場面も多くあります。
ときに厳しく、仲間が悲観的にならないよう軌道修正するのも経営者としての役割だと思っていますし、それが自分の得意分野であるとも認識しています。
私は、自身の適正や思考傾向を分析した結果、持ち前のリーダーシップを生かし、周囲の協力のもと、株式会社エーワンを創業することができました。
有言実行型の熱血的な性格が生かされた結果、このような成功を手にすることができたのだと感じています。
中村天風について
中村天風のプロフィール
名前 :中村天風
ふりがな:なかむら てんぷう
生年月日:1876年7月30日-1968年12月1日
職業 :作家。自己紹介講演家。思想家。
「心身統一法」を確立し、唯一無二の教えは「天風哲学」として皇族や政財界の重鎮、海外にまで伝え、多くの人が「生涯の師」として心服した人物。
中村天風の経歴
1876年7月30日、現在の東京都北区王子で生まれる。
中村天風の本名は三郎。
やんちゃな幼少期を過ごし、20代半ばから日露戦争の軍事探偵(スパイ)として満州に赴任する。
終戦後、当時は「死病」であった奔馬性(ほんばせい)肺結核を発病。
心身ともに弱くなったことで人生を深く考えるようになり、真理を求めて欧米をめぐり歩く。
一流の哲学者や宗教家のもとを訪ねるも望む答えは得られず、失意のなか帰国を決意。
その帰路、吐血したカイロのホテルで「ヨガの聖者」カリアッパ師と出会う。
カリアッパ師と出会ったことから帰国を取りやめ、そのままインド・ヒマラヤの麓まで行き、数年間カリアッパ師の指導を受ける。
1968年12月1日逝去、享年92。
エーワン新倉とは
エーワン新倉の経歴
名前 :新倉利幸
ふりがな:にいくら としゆき
生年月日:1970年12月21日
1993年に経営に携わる仕事に就くことを決心。
化粧品実演販売会社に転職。
1年後の1994年には転職先の子会社を立上げ、実質の経営者となる。
その後独立。1998年現在の株式会社エーワンの前身となる「エーワン」を創業。
パートナーの意志を継ぐという強い想いのもと有限会社エーワンを設立。
エーワン新倉の事業
化粧品・日用品メーカーの販売請負(セールスプロモーション)
インバウンド対策として通訳スタッフの派遣
ReFaブランド(MTG社製造)をフィットネスクラブやショッピングセンターにおいて催事販売
姿勢をサポートするStyleショップの運営
日本化粧品協会認定講師の派遣
エーワン新倉・外部リンク
▼株式会社エーワンHP
https://a-one.tokyo/
▼エーワン新倉 Facebook
https://www.facebook.com/toshiyuki.niikura/
▼エーワン新倉 Instagram
https://www.instagram.com/niikura_toshiyuki/
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