「全部」が嘘なわけではないよ、そして強かな儚さ -ヒプノシスマイク-Division Rap Battle- 3rd LIVE@オダイバ《韻踏闘技大會》ライブビューイング感想-

随分時間が空いてしまったが、ヒプノシスマイク3rd LIVEの感想を書いていく。本記事の趣旨はレポートではないため、ライブの流れ等を知りたい方はこちらをご覧いただくと良いと思う。

ちなみにこれ、はじめの方にあるpixivのバトルコンテストでの入賞作品にも触れられている。

 ロビーには、2018年9月3日〜10月8日までにイラストコミュニケーションサイトpixivで開催された「ヒプノシスマイク pixiv DIVISION BATTLE ILLUSTRATION SIDE 」のイラスト部門受賞作品が展示されていました。
(『ヒプノシスマイク』3rd LIVEを全曲レポート! 白熱のラップバトルにフロアのオーディエンスが大歓声!)

イラストだけではなくリリックの入賞作品も掲載されている(リリックに触れられないもしくは気づかないのはやはり見る側の文字や言葉、リリックに対してのアンテナが低いからではないかとも思う。リリック部門とキャッチコピー部門もあったんだってば!)イケブクロの入賞リリックの「自由自在な時代」を書いたBig Daughterとは私のことなので見て! 自分でもいい出来だと思うので見て!稚拙だけどnanaにも入れたので聴いて!

「なんだ下手くそ」と思ったらあなたの方がうまくやれると思うのでラップ始めてください。やってたら教えてください飛びついていくので。

「まあ、全部嘘なんだけどね」ってどこまでが嘘?

話が逸れたのでライブの話に移る。断っておくと私は現地のオダイバではなく愛知県のライブビューイング会場で参加した。電車を降りてバスに乗らず歩いて名古屋茶屋のイオンに行くのは大変だった。歩こうという決断力と実際に開演時間に間に合ってしまう体力は若さゆえだろうか。若さはすごいなあと他人事のようにしみじみした。

また話が逸れた。
私がまずしたいのは「シナリオライアー」についての話だ。
「シナリオライアー」は夢野幻太郎の曲である。シブヤ・ディビジョンFling Posseのメンバーでありよく嘘をつく作家の夢野が己の過去について語るというもの。しかし夢野は嘘つきであるため、その言葉もどこまで真実なのか判然としない。そして最後に「まあ、全部嘘なんだけどね」と締め、ますます嘘と真実の境がわからなくなるという曲である。

この曲中、夢野役の斉藤氏は本を片手にポエトリーリーディングのような振る舞い(あるいはまさにそれ)をしていた。私はMaison book girlがメンバーのコショージ氏の書いた言葉をライブで読む形式を思い出した。

これとか。Maison book girlは他の曲も良いのでおすすめです。

このopeningもそうなのだが、物語的なものを本を読むという形でパフォーマンスすることに何かしらの意味があるようだ。それは自分が書いたものではない、今書いたものではない、今のことを話しているのではない、など様々考えられるが、夢野の件に関しては自分が書いた本のページを繰るように語っているのではないかと考えられる。

そしてこれは本記事で一、二を争うくらい重要な主張なのだが、斉藤氏が持っていた本は全てが白紙というわけではない。映像から本のページを垣間見ることができたのだが、曲中で開いていたページには黒い文字が書かれていた。最後のページというのか斉藤氏が客席に見せたページが白紙であったことは確かだが途中に文字が書かれたページは存在した。まだ映像が発売されていないので私の記憶に基づいて主張するしかないのだが。これが正しい記憶だとして私は次のように主張する。

文字が書かれていたページは本当で、最後の白紙ページ「嘘だけどね」だけが嘘なのだ。

もともと「シナリオライアー」の内容は夢野の辿ってきた人生と一致するのか否かはっきりせず、どちらとも言えるしどちらとも言えなかった。あえて私が考えるとすれば「否定する根拠が見つからない(山田三郎が調べてきて飴村乱数が知った夢野の過去の内容とシナリオライアーが矛盾しない)から事実と捉えた方が自然である」くらいのところであった(まあその雲行きも怪しくなっていくのだが、代替となる夢野の過去が見当たらない)。そこへ来て、この演出である。巷、というよりヒプノシスマイク界隈では白紙演出として話題になったようだが、むしろ最後に見せた部分だけが白紙であったことに意味があると私は考えている。最後に言った「まあ、全部嘘だけどね」という言葉と白紙のページを重ね合わせる。最後だけが嘘なのである。「まあ。全部嘘だけどね」の言葉で全てひっくり返そうとしているが、実は語ったストーリーは紛れもなく真実なのである。それは抽象レベルであるかもしれないが、真実が含まれているのではないか。

この見方はあまりにも単純過ぎるのかもしれない。全て嘘ではないという保証はどこにもないのだ。しかしラッパーが意味もなく曲中で嘘をつくというあり方は納得できない。よく実際のMCも「嘘ついたらマイク持てねえよ」と言う。全てを嘘で塗り固めたものをラップとして提供するだろうか。する、できると考える人もいるだろう。しかし私はそう思わない。シナリオライアーは夢野が真実を語る機会を得たストーリーなのではないか。そして「まあ、全部嘘だけどね」は照れ隠しか嘘つき作家の名を守るためのことか。

このように、本の演出によってさらにシナリオライアーの内容が事実ではないかと思うようになった。もちろん全て嘘なのだと考える人がいてもいい。こうしてライブによって曲に対しての考えが深められたということが重要なのである。

私の大好きな儚さは、強さを備えて帰ってきた

次に「チグリジア」の話をする。シンジュク・ディビジョン麻天狼の観音坂独歩の曲、「チグリジア」である。私は前回のライブでも特筆事項としてチグリジアを挙げていた。

もともと曲にあった日常の苦しみとそれを詩的に表現する力、そして「生きがいも別にないよ眠りたいだけ」から漂う諦念。これらを含みつつも独歩が世界に生きる時感じる辛さがより強く表されていた。平たく言うと、感情表現が顕著だった。俺は苦しいんだ、こんな世界にはうんざりしている、こんなデコボコしたアップダウンのある人生なんて必要ない、眠りたいだけなのにという思いが苦しい感情の吐露によって補強されたのではないだろうか。そしてある意味私は勇気づけられたのである。苦しいことは苦しいと言えばいいし、それを表に表してもいい。だってチグリジアはこんなにも美しかったのだ。苦しみは美しさと共存できる。だから私達が辛い・苦しい・いやだと言うことは社会のゴミなんかではない、芸術になる可能性を秘めているのだ。
(「アップデートされた解釈と明日の話をしよう ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-2nd LIVE@シナガワ《韻踏闘技大會》ライブビューイングTOHOシネマズ日本橋感想1」より)

セカンドライブで伊東氏によるチグリジアの感情表現が大きくなったと以前書いた。その流れを汲んでいると私は見ているのだが、サードライブのチグリジアはいくらか強くなったと感じられた。伊東氏は曲の冒頭に腕時計を見る。スクリーンには電車の窓が映る。そしてフック直前の「俺は独りでも歩けるよ」で伊東氏が立ち上がる(それまで座っていた)。ヒプノシスマイクはキャストとキャラを重ねる演出が多い(ニコ生で木村氏が一郎、石谷氏が二郎のように役名でバトル等するように)のだが、今回それを適用するならば今までドラマトラックでおどおどしていた独歩がシブヤやヨコハマとのバトルを通じて強くなってきたことを示していると言っても良いのではないか。それを「独りでも歩ける」を体現することで表現している。また、伊東氏の背中に丸い花のような形に光が当たっていた演出もこれに関係するのではないだろうか。世界で独立していたら様々なものにぶつかる。良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことにも出くわす。独りで歩くというのは、それを背負って現実を受け入れる、責任を負うことを意味すると私は考える。仲間はいるが独りで立つ、綺麗な花も有毒な花も自分で受け入れる。それは「全部俺のせい」から少し変わり始めた責任感なのかもしれない。そうして強くなっていった。私はサードライブのチグリジアをそのように見た。もちろん願望過多なのだろうが、「儚いチグリジア」が変わり続けていることに私が説明をつけるとしたらこんな風になる。

最後に

私がサードライブで見たものはもっともっとたくさんあるのだが、分量の関係でここでまとめておく。いつかまた補足を書くかもしれないし書かないかもしれない(その前に4thライブがあるのでは)。12月26日の時点で覚えていることをメモを参考にしながら書いているので偏りや誤りはあるだろうが、それも含めて書き留めておく。ここまで読んでくださってありがとうございました。

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ヒプノシスマイクについて

男性声優キャララップバトル「ヒプノシスマイク」について書いています。記事を読んで興味を持っていただけたら、ぜひ曲を聴いてみてください!
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