見出し画像

Le Quatorze Juillet in The Kitchen

「おいしい問題。」パリ祭話。相変わらず、ひたすら食べてます。



「では…À votre santé !」
「「「À votre santé !」」」

 ほづみくんの音頭に合わせて、店内のそこかしこでグラスが上がる。
 グラスが触れ合う高い音が続き、笑い声が満ちた。

 七月の初めに、唐突に開催することになったパリ祭。
 急拵えになると言ったものの、一度やると決めたほづみくんが、早々手を抜くわけもない。
 最初はワンプレートとシャンパンのセットだけ、と言っていたのが、結局サービスのアミューズはそのままに、メインもやる! という話になった。
 そこまでは想定内だったわけだが、旦那のパリ祭テンションの高さは私の予想以上だったのだ。

 予定通り、乾杯のあと、店内のお客様にサービスのアミューズを提供する。
「マダコとパプリカのエスカベッシュです。今が旬なので、やわらかいですよー」
「ありがとうございまーす」
「あ、すみません。これ、もう一杯お願いできますか」
「私も。今飲んでるのと同じやつください」
「はい、ちょっとお待ちくださいね」
 常連の牧田さんと真堂さんカップルは、相変わらずペースが早い。
 バータイム開始早々に来て、まずはとプレートセットを注文し、シャンパンを楽しんで、次のワインにいっている。
 正方形の小皿に盛ったアミューズを手早く捌き、合間に受けたオーダーを厨房に通す。
 今日は、都合上、ワインも私が担当だ。
 客入りは九割といったところで、今のところ、テラス席を解放することにはなっていないが、この調子だと、どうなるかわからない。
 ほづみくんが、あんなもんやるって言い出すから…!
 基本的なワインの扱い方は知っているし、今日出すものについては、死ぬ気で頭に叩き込んだけど、正直きつい。これは、閉店後、しっかりサービスしてもらわねば。
 巨大なワインクーラーに差しておいたボトルを持ち、牧田さんたちのテーブルに向かう。
「お待たせしました。真堂さんが、テッラ・デ・ゴドス、牧田さんがベッカーのジョンティ・ビオです」
「ありがとうございます」
 ワインキーパーを外して、グラスに注ぐ。
 どちらも白ワインだから、涼しげだ。
「これ、御厨さんセレクトにしては珍しく、スペインワインなんですね」
「ええ。フレッシュさが感じられて、夏の料理に合うものを探した結果だそうです」
「確かに、ものすごい爽やかで、香りがいいですよね。酢との相性もいいし」
「エスカベッシュって、元はスペインから伝わったんですって。だから、特に合うのかもしれないですね」
「じゃあ、私のもスペインワイン…じゃないか。gentilってフランス語ですもんね」
「牧田さんのはアルザス産ですね。花の香りに、マスカット香もあるので、やっぱり爽やかめです」
 料理提供が一通り済んだタイミングだから、比較的ゆっくり接客ができる。
 他のテーブルから声がかかり、牧田さんたちから離れて、オーダーを取りに向かう。
「お待たせしました」
「フルボディの赤ワインが欲しいんですけど、お薦めってあります?」
 迫力のある美女のオーダーに、脳内メモをめくる。
「本日ご用意あるものの中ですと、レゾー・グラニトが一番飲み応えがありますね。フランス、ローヌ地方のワインで、シラーの赤です」
「ローヌ…エルミタージュですか?」
 こちらの美女、相当のワイン好きで、絶対私より詳しい。
 ちなみに、小松崎さんの妹さんです。
「いえ、クローズ・エルミタージュAOCです。エルミタージュのシラーよりも、ベリーの香りがしっかりめで、果実味もありますが、レゾー・グラニトは澱を濾さないので重厚感や旨味もかなり強いワインです」
「じゃあ、それをお願いします。浩二さんはどうする?」
 いつもご一緒の醤油顔イケメンは、旦那さん。
 美樹子さん情報によると、大学病院の教授で、美樹子さんの上司でもあるらしい。小松崎家周辺の人間関係、密で複雑。
「下戸だからね。炭酸水は飲みすぎると、胃に溜まるし」
「あの、ワインの味がお嫌いでなければ、ノンアルコールワインのご用意もありますよ」
 美樹子さんが、酒の味は好きな下戸だというのと、ほづみくんの料理は食べたいけど酒は飲めないというお客さんが増えたのとで、実は品揃えが増えている。
「ヴィンテンスというノンアルコールワインなんですが、ワイン好きだけど授乳中で飲めない方や、健康上の理由で禁酒されている方でも満足できると評判なんです」
「へえ。なら、お願いします」
「かしこまりました」
「あ、あと、うさぎと夏野菜のゼリー寄せもふたり分」
「バゲットのおかわりももらえますか」
「はい」
 こちらも、上品にスイスイ、しかし馬か牛かという勢いで召し上がる。
 …今日の売り上げ、なかなか凄いことになるかもしれん。
 うちのバータイムに来るお客さんって、飲むひとは大半が酒豪、飲めなくても健啖家ってひとが多いのだ。
 ほづみくんが、「僕、生粋のビストロ出身でよかったよ。皿にてんこ盛りにするのに罪悪感ないもん」と唸るくらいだし。
 他のお客さんも、殆どが二杯目のワインとふた皿目の料理を楽しみ始めたころ、入口ドアのカウベルが鳴った。
「いらっしゃ…あれ、曉子さん」
「こんばんは。席、空いてる?」
「ギリギリいけますよ。カウンターで大丈夫です?」
「もちろん」
 コロナ以降、御厨の家に仮住まい中で、ときどきやってくる。
 でも、バータイムって珍しい。
 席に案内して、お絞りとチェイサー用のお冷やを出す。
「今日、パリ祭メニューやってるんですけど、どうされます?」
「当然、それもらうわ。というか、それを食べに来たんだもの」
「え?」
「店のSNS見たら、パリ祭メニューとワインやるって書いてるし、おまけにアレでしょ? そりゃー食べに来るわよ」
「曉子さん、SNSとか見るんですね…」
「だって、あの子にメッセージとか電話しても、ろくに返信ないんだもの。桜子ちゃんに訊くのも悪いし」
「そのくらい、訊いてもらって構いませんよう」
 苦笑いしながら、ご注文の特別プレートのオーダーを通す。
 ほづみくんは、わりと自業自得な理由で、今日は厨房に籠りっぱなしだ。
 セットのシャンパンをグラスに注ぎ、先に提供すると、相変わらずのいい飲みっぷりで、一気に半分空けた。
「はーっ、美味しい! やっぱ、Quatorze Juilletはシャンパンね!」
「そうなんですか?」
「今のフランス建国への第一歩な記念日だからねー。英語だと、Bastille dayとか言うらしいから、いかにも襲撃記念日! みたいになるけど」
「そういや、革命記念日なんでしたっけ。アメリカの独立記念日みたいなもの?」
「アイデンティティがどちらでもないから、よくわかんないけど、そうかもね。何にしても、今の自分たちに続く、重要な日なんでしょう。外国人は、便乗して美酒と美食を堪能するだけだけど」
 豪快に笑ったところで、厨房から「プレート上がったよー!」と声がして、小窓から皿が出た。
 受け取って、曉子さんの前に置く。
「本日のスペシャルプレート、牛頰肉のクロケット、サント・モール・ド・トゥレーヌを載せて焼いたバゲット、サーモンと夏野菜のサラダです。バゲットには、お好みで蜂蜜をかけてどうぞ」
「あらあ、本当にフランスって感じの盛り合わせね。来た甲斐あったわ〜。桜子ちゃん、このシャンパン、もう一杯お願い」
「はーい」
 いつの間にか、空になっていたグラスにシャンパンを注ぐ。
「このシャンパン、シェーブルに合うわね」
「カリーヌ・ショパンっていうシャンパンです。重さはあまりないんですけど、今日のサント・モールは熟成が浅めなので、そっちのほうが合うだろうってセレクトですね」
「なるほどね。はー…息子がせっかくスターシェフにでもなれるってくらいに料理上手いんだから、もうちょい日常的に堪能したいもんだわ」
「こんなもん、日常的に作ってられるか」
 ぶっきらぼうな声がしたかと思ったら、厨房の入り口からほづみくんが姿を見せた。
 今日は制服では間に合わないからと、コックコートだ。
 働く男の制服! って感じで、いつもの三倍増しくらいに男前な旦那さんは、「声がすると思ったら…」と眉間に皺を寄せる。
「ほづみくん、落ち着いたの?」
「や、今日のメインできたから、そろそろ」
「りょーかーい」
 これから本番か、と気合を入れて、カウンターを出た。
 ホールの真ん中で、「お待たせしました」と声を上げると、店内の注目が集まる。
「お知らせしていた、本日の目玉料理が出来上がりました!」
 言い終わると同時に厨房のほうを振り返ると、一メートル以上ある巨大な木製のプレートを抱えたほづみくんが姿を見せるところだった。
 途端に、ブワッと香ばしい香りと、バターの匂いが広がり、そこかしこから歓声が上がる。
「ポワソン・アンクルート…スズキのパイ包み焼きです」
「おっきい!」
「あれ、魚丸ごと包んでるの?」
 お客さんたちがザワザワするのも、無理はない。
 プレートに載っているのは、魚の形に成形した巨大なパイひとつだからだ。
 準備していたワゴンにプレートを置いて、ほづみくんが後を引き取った。
「中身は、解した魚の身と、魚のムースです。フランスの有名レストランのスペシャリテとしても有名な料理ですが、今日はたっぷり食べてももたれないように、あっさり目に調整してあります」
 そして、大きなナイフとフォークを使って、そのまま切り分け始めた。
 まずは頭と尻尾を落とし、胴に刃を入れていく。
 みっちり詰まった中身が見え、どんどん食欲をそそる香りが強くなる。
 いつの間にか、みんな黙りこくって見つめ、身を乗り出していた。
「こちら、すぐにご提供できますが、ご注も…」
 一斉に、ザッと手が上がる。
 ほづみくんと笑いながら、皿に盛りつけ、レモンバターソースを添えて、提供していく。

「熱いので、気をつけてくださいね」
「ありがとうございます。すんごいいい匂い…!」

「フランスの有名店って、リヨンの?」
「ええ。でも、あそこは本気で魚一匹丸ごと包んで、ムースは入れないんですよ。今回は、サーブする手間と、日本人の好みを考えて、この形に」

「これに合うワイン、お願いできますか? 白でも赤でも何でもいいので」
「はい。店長おすすめのブルゴーニュの白をお持ちしますね」
「すみませんっ、こっちにもそのワインください!」

「ほづみ、今度、家でこれ作ってよ。材料費と時給出すから」
「…気が向いたらな」
「とっておきのシャンパンつけるわよ」
「…考えとく」

 あっという間にパイ包みが消え、ワインも凄まじい勢いで出る。
 いつもなら、二回転はするのに、開始と同時に来たひとたちの殆どが腰を据えて飲み始め、遅れて来たひとたちには、結局テラス席を最大まで解放することになった。



「お疲れ〜」
「桜子さんもお疲れ〜ありがと〜」
「ついでに、過去最高額の売り上げ、おめでと〜」
「ありがと〜」
 閉店後の店内で、ヘロヘロになりながら、乾杯。
 抜栓したからと、半分以上残っていたシャンパンと、プレートの残り物が今日の夕飯だ。
 加えて、私には特別なお楽しみ。
「じゃあ、これ…約束のブツでございます」
「うむ」
 恭しく差し出された皿の上には、こんがり焼けたパイ。
 今日のスペシャリテで、ほづみくんが最初に落としたしっぽと頭だ。
 軽く温め直したそれに、勢いよくフォークを突き立て、行儀なんかは忘れて、かぶりつく。
 しっかり焼けた薄い生地は香ばしく、ちょっと厚みもあって食べ応え十分。
 ザクザクサクサクの食感に、ほろっと崩れるスズキの身と、軽い口当たりのムースが一緒になって、幸せ!
「んまあい! パイの端っこ、さいこう!」
「ホールもワイン提供も任せっぱなしのお礼が、それでいいのかって感じなんだけど」
 ほづみくんが苦笑いしながら、エスカベッシュを口に放り込む。
「何ゆってんの。これが食べられるのは、嫁の特権でしょ」
「嫁の特権なら、今日の労働対価には別のもんがいるってことになんない?」
「なんない、なんない。これが食べたくて、走り回ってたんだもん」
 ほづみくんが、二日前になって、唐突にパイ包みをやると言い出したときは、さすがに頭を抱えたけども。
 手間がかかり、オーブンに入れるタイミングも難しく、基本的に焼きっぱなしにすることはできない。ただでさえ、今日のプレートはチーズを載せて焼くバゲットが入っていたから、ほづみくんは完全に厨房から出られなくなる。
「本気で、全部ワンオペかと思ったら、ちょびっと殺意湧かなくもなかったけども」
「ほんっとに、すんません!」
「ま、ほづみくんが珍しく粘ったから、しょうがないかーって。暗記仕事が増えたのが大変だったけど、キャパとしては無理できるくらいだし」
「…準備しておいてなんだけど、あれだけのワイン情報、三十分足らずで丸暗記できた桜子さんがちょっと怖かったです」
「一から理論組み立てるのに比べたら、ずっと楽だよ。覚えるだけでいいんだもん」
 特にカリサクが堪らんしっぽを齧る。うまい。
 微妙な顔つきで私のグラスにシャンパンを注ぎながら、ほづみくんはため息をついた。
「おかげで、久しぶりにパリ祭だーって感じで楽しかったけどね」
「そう?」
「うん。パイが無事に焼き上がったときは、テンション爆上がりした」
 …それは、ちょっと見てみたかったな。
 テンション爆上げしてるほづみくんかあ…。変なテンションで暴走してるとこしか、見たことないや。
 まろやかな飲み口のシャンパンをクピクピ飲みつつ、埒もないことを考える。
「でさー、パリ祭のシメっていうと、花火なんだけど」
「うん?」
 これまた唐突に何を言うかと視線を向ければ、なぜかニヤッと悪い顔で笑う。
「家庭用だけど、花火買ってるんだよね」
「え」
「やる?」
「やる!」
 自慢じゃないが、家庭環境のせいで一度もしたことない。
「よっし、じゃあ、食べたら屋上に移動しよ」
「屋上? 火事とか、大丈夫?」
「うん。もちろん水は用意するし、念のために不可燃性の防火シート買ってあるから、その上でやれば平気。せっかくだから、飲むものくらいは持っていこうよ」
「やった!」
 もうすぐ今日も終わるというのに、急に元気になってきた。
 パイの最後のひと口を押し込み、我ながら現金な勢いで咀嚼する。

「花火かあ。初めてだから楽しみ」
「…もしかして、やったことない?」
「うん」
「花火大会は?」
「んー……ここに引っ越してくる前の部屋に住んでたときに、見たくらい」
「見た? 行ったじゃなくて?」
「院から帰る電車が、会場の近く通ってるから、車内から見た」
「それは! 花火大会って言わない!」
「えー、そう? 結構綺麗だったよ。それに、外だと暑いし」
「わかった。来年は、花火が見えるバーとかレストラン、予約しとく」
「それはそれで、花火大会行ったとは言えないんでは」
「電車よりマシです」

 ふたりだけど、賑やかに話しながら、シャンパンを楽しみ、美味しいものを食べる。
 花火して、冷たいコーヒーでも飲んで。
 うん、パリ祭、関係ないかもだけど、パリ祭楽しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?