第四話 動物病院

朝、リビングに行くと親父が新聞を読んでいた。親父は俺の姿に気付くと、新聞から目を離し「おはよう」と言った。俺も「おはよう」と返した。

「涼介、今日帰るんだよな。何時頃出発するんだ?」

「いや、今日は帰らない。もう監督にも寮にも連絡した」

「そうなのか」

親父はチラリと俺の顔の手形を見た。

「いいんじゃないか。でも俺の休みは今日までだぞ。仮に明日帰るとなっても駅まで送る人が居なくなるが、一人で大丈夫か?」

「大丈夫だよ。もう高校生だし」

親父は「そうか」と言ってまた新聞を読み始めた。お袋が親父のご飯と味噌汁をお盆に載せて持って来た。

「あら、涼介おはよう。今日帰るんだね。あっという間だねえ。朝ごはん食べるかい?」

「うん、食べる。後、今日は帰らないから」

「そうなのかい?うんうん、そうだね。ゆっくりしたらいいよ」

お袋はそう言って俺の分の朝食を用意するために台所へ戻った。親父もお袋も、俺が顔に手形を付けたまま帰ることに不安を感じていたようだ。ご飯と味噌汁を持って来てくれたお袋に俺は尋ねた。

「太郎のお墓にさ、お花とかドッグフードとかお供えされてたんだけど、あれお袋がお供えしたの?」

お袋の動きが止まった。親父は新聞を読むのを止めて顔を上げた。お袋はあからさまに困った顔になった。そして助けを求めるように親父を見た。俺の質問には親父が答えた。

「太郎が生きていた頃、散歩している姿を近所の沢山の人が見ていたからな。その中の誰かがお供えしてくれたんだろう」

「花は分かるけど、なんで太郎が食べてたドッグフードがお供えされてたんだろう。近所の人でもそこまで知らないでしょ」

「涼介…」

親父は読んでいた新聞を畳んで俺に向き直った。真剣な眼差しで俺の目をジッと見ながら言った。

「太郎が死んで辛いのは分かるが、それは俺も母さんも愛莉もみんな一緒だ。辛さを乗り越えて前に進むべきじゃないのか。太郎のことを忘れろとは勿論言わん。太郎は家族の心の中でいつまでも生き続ける。だが、それを口に出すのはもう止めなさい」

俺は親父から目を逸らし「うん」と答えた。

朝食を済ませると、俺は救急箱からガーゼと包帯を取り自分の部屋に戻った。顔の左側をガーゼで覆い、包帯をグルグル巻いて固定した。まるで顔面を大怪我したような容貌になったが、手形を隠すことはできた。包帯がなるべく目立たなくなるようにキャップを被り、太郎の墓へと向かった。

墓に着き、しゃがんで手を合わせた。墓にはお供え物が昨日と同じように並んでいる。問題の車輪もそのままだ。俺は車輪をまじまじと眺めた。よく見ると、タイヤ部分に使った跡が見られる。一方で金属製の細いシャフト部は綺麗だ。古い物ではなさそうだ。

手に取って間近で見てみた。片手でヒョイと持てるぐらいの重さで、タイヤは手を広げた大きさより少し小さい。プラスチックのホイールにゴムのタイヤだ。よく見かける、お年寄りの手押し車が思い浮かんだ。もっと情報は無いかと色んな角度から見てみたが何も無い。例えば製造元の会社名やロゴなどが有ればと期待したが見当たらなかった。

早くも行き詰った。これが何なのかを調べる術がもう無い。困った俺はその場でうーん、うーんと唸った。自分で考えて分からないのであれば、当然誰かに尋ねたいと願う。でも誰に聞いたら良いか分からない。まず家族が浮かんだが、あの感じでは何を聞いても答えてはくれないだろう。誰に聞いたら良いんだ。困った俺は、車輪をスマホのカメラで撮り、画像検索してみた。タイヤ、ホイールなどがヒットしたが、特にピンと来るものは無い。

頭を抱えて考えていたが、ここで「あ」と思った。ツイッターに投稿してみよう。SNSを使えば不特定多数の人が見てくれる。中には車輪の正体を知っている人も居るかもしれない。そう思った俺はコメントを添えて車輪の画像をツイートした。

【拡散希望】我が家の愛犬のお墓に車輪がお供えされてたんだけど…。これ何…?

これで反応を見ることにした。俺のツイッターのフォロワーは地元の友達と高校で知り合ったクラスメイトと野球部の仲間で50人程度。その50人が拡散してくれれば俺のツイートを見てくれる人の人数は飛躍的に上がるはずだ。

早速通知が来た。地元の友達がリツイートしてくれた。更に通知が来た。今度は野球部の仲間がリツイートしてくれた。順調だ。俺は期待で心を躍らせた。また通知が来た。期待した以上にみんなが協力してくれている。嬉しいことだ。数秒もしない内にまた通知が来た。なんか段々怖くなって来た。こんなに通知が頻発する経験は初めてだった。そんな事を考えている間にもガンガン通知が来る。自ら望んで拡散してもらっているのだが、ひっきりなしに通知が来るのは、何か怖かった。これが炎上というやつか!と的外れな事を思って焦っていると、次々と来る通知の中にリツイートでは無く返信を見付けた。俺がフォローしている人でも俺のフォロワーでも無かったので、友達が拡散してくれたリツイートを見た誰かが返信してくれたのだろう。早速読んでみた。

@返信先〇〇〇××さん 犬のお墓にお供えされてたのであれば犬用の車椅子の車輪だと思いますよー 亡くなった愛犬ちゃんは足が悪かったのでは?

何?と思った。犬用の車椅子が有るなんて初めて知ったし、俺が知る限りでは太郎は足を悪くしていない。俺が実家を出るその日まで普通に四本の足で歩いていた。取り敢えずネットで「犬 車椅子」と入力して検索してみた。いろんな種類の犬用の車椅子が検索にヒットし驚いた。その中にはスーパーに有る買い物用のカートを小さくした感じの車椅子が幾つも有り、太郎の墓に供えられていた車輪とよく似た物も有った。どうやら、犬用の車椅子の車輪で間違い無さそうだ。

太郎は死ぬ前に足を悪くしたのだろうか。家族に聞きたかったが、当然教えてはくれないだろう。太郎は車椅子を使用していたのか?仮にそうだとしたら、家族はどこで犬用の車椅子の存在を知り、どこで購入したのだろう。頭を抱えうーんと唸り、ある一つの推論に辿り着いた。もし太郎が足を悪くしたのであれば、動物病院に連れて行ったのではないだろうか。そこで車椅子を勧められたのかもしれない。俺は最寄りの動物病院を調べた。ネットで実家近くの動物病院を検索すると、ヒットしたのは1件だけだった。そこを訪ねることにした。

バスに30分ほど揺られ、バス停を降りてから5分ほど歩いた場所にその動物病院は有った。ビルの1階のテナントに入った小さな病院だ。ガラス戸を押して中に入ると狭いスペースに待合室と受付が有った。誰も居なかったので大声で「すいませーん」と言った。すると診察室への扉が開き、中からぽっちゃりした中年の女性が出て来た。人の良さそうなおばちゃんだ。おばちゃんは俺を見て不思議そうな顔をした。

「何の用でしょう?」

「あ、えーっと、実は、最近飼ってた犬が死にまして、その犬のことで教えてほしいことが有るんですけど、ちょっとだけお時間良いですか?」

おばちゃんは困った顔で「はあ」と答えた。とてもリアクションの感じは悪い。しかし、ここで臆していてはせっかくここまで来た意味が無いし、今の俺にはこのおばちゃん意外に頼れる人が居ない。もう開き直って図々しくなってやれと思い、ポケットからスマホを取り出した。まずは例の車輪が果たして犬用の車椅子の物なのかどうかを判断してもらおうと、スマホの画面をおばちゃんに見せた。

「この車輪なんですけど…」

俺がまだ喋っている内におばちゃんは「ああ!」と声を上げた。

「太郎ちゃんのとこの!あなた高木さんの息子さん?」

「太郎を知ってるんですか?」

「もちろん知ってるわよ。警戒しちゃってごめんなさいね。あなたペットも連れずに手ぶらで入って来てるし、帽子被って顔に包帯グルグル巻いてるし、よく見たら包帯の巻き方もあんまり上手じゃないし、なんか怪しい人かと思っちゃった。今お茶入れて来るから座って待ってて」

おばちゃんはそう言って奥に引っ込んでしまった。俺は言われるがままに、待合室のソファに腰を下ろした。待合室を見回すと、白い壁に青いソファ、受付のテーブルも青で統一されていた。狭いがとても清潔感の有る空間だ。どうやら今居るスタッフはあのおばちゃんだけのようだ。ということは、あのおばちゃんは単なるスタッフではなく獣医であり、院長なのだ。俺は心の中でおばちゃんの呼び方を先生に改めた。先生は麦茶が入ったコップをお盆に載せて持って来てくれた。

「暑いからお茶じゃなくて冷たい物の方が良いでしょ?」

「あざっス。あの、さっきの車輪なんですけど、あれは犬用の車椅子の物ですか?」

「そうよ。私がお供えしたの」

「え?」

「ひょっとしたら天国でもあれが必要かもしれないと思って。ご家族からは何も聞いてないのね」

「はい。あの、太郎はなんで車椅子が必要だったんですか?太郎に何があったんですか?」

先生は俺の目をジッと見ると、自分もソファに腰を下ろした。先生は真剣な表情で言った。

「あなた、お名前は?」

「涼介です」

「涼介君、これからする話は辛いものになると思うけど、それでも聞く?」

この時、俺は真実を知ることができることに安堵と高揚を感じていた。やっと太郎の死に関する真相を聞くことができる。それしか考えていなかった。

だから見逃した。先生がこの時、俺に覚悟を求めていたことを。



続く

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donainatton

太郎

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