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【感想】「白い巨塔」財前五郎が最後にみた心象風景

もともとテレビっ子ではないのだが、最近はほとんどテレビを観なくなった。家になくても困らないくらいに。
興味のある番組があれば、録画して観たりするけれど、毎週観たくて楽しみにしている番組は、今は進撃の巨人くらいか。

ドラマも、大河ドラマ以外、もう何年も誰がどんなドラマをやっているか把握していない。
またバラエティなどもきっと深夜帯とかチェックすれば面白い番組があるのかもしれないけど、私にとってはNetflixやYouTubeやラジオについつい手がいってしまう。

私の中ではテレビはオワコン化しつつある。

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前おきが長くなってしまったが、そんな私が5夜連続で、テレビの前に始まる前からスタンバッて観たのが、2019年版白い巨塔だ。

2003年版白い巨塔が面白かったので、キャストや脚本、演出などが変わるとどんな感じになるのか楽しみに観た。

2003年版が頭に焼き付いているので、この役はやっぱりこっちの役者さんの方があうよねとか、好みの感想は多々あるのと、放映時間がトータルで今回の方が短いので、今回の方が物足りない感があるのはさておき、

最終回後、財前五郎に対しての後味が全然違うというのが強い感想。
2003年版と今回の2019年版、財前五郎が最後に見た心象風景は随分異なるようにみえた。

死の直前、2003年版唐沢寿明氏演じる財前五郎は、「無念だ」という。

今回、岡田准一氏演じる財前は、「これが死か」という。
死期にあたり「執刀医に診てもらうってこんなに安心するんですね」などの発言もある。自分の命と引き換えに、最後に自分のみえていなかったものがみえたのですねと改心を思わせるような感じである。

かたや2003年版は、詳細なセリフは忘れてしまっている部分もあるけれど、最後まで財前は財前だったような印象がある。

財前と里見。
どちらの版も
二人の根底には、医療の進展という同じ目的があるにも関わらず、真逆の性格とアプローチの仕方でぶつかりあいながらもお互いの才能を認め、二人にしかわからない関係があっただろうことに胸がうたれる。
今回は、ちょっと里見が穏やかな人格者すぎて胸の震えは前回ほどではなかったが、それでも他者からは解りがたい、そこにある二人の信頼関係には涙がこぼれた。

SF 好きな私は、2500年あたり超近未来で生まれかわった財前と里見が更なる未來医療を求めて、今度は仲良く切磋琢磨するのを夢想してしまう。

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5夜とも2桁をキープするという高視聴率だったようだ。
脚本が現代に合わされているとはいえ、50年も前に書かれた話でも、古さを感じないのは原作の山崎豊子氏の人間模様をあぶり出すセンスなのだと思う。

私がこの小説を書いたのは、医学界の良心を問おうとか、医学界の前近代的な封建性に挑もうとかいうような勇ましい気持からではなく、そこに何よりも強烈な人間ドラマがあると感じたからである。『白い巨塔』あとがきより

そう、そう、そうなのである。

財前も里見も、財前の妻、母、義理の父、愛人、里見、里見の妻、柳原医師、看護師、患者とその家族、医局部の教授たち、双方の弁護士、様々な登場人物のそれぞれの立場の心の機微の動きがつくる人間ドラマに胸が捕まれてしまうのである。