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こてつ

朝、KATZOCから保護猫をもらってくれた里親様からメールが届いていた。1年前に宮古島からうちにきて、しばらくした後に譲渡会でM家のご夫妻に見初められた”こてつ”。譲渡後もそのまま”こてつ”として暮らしている。

大きめの白キジ柄のオスこてつは、保護猫でありながら当初から人が大好きで抱っこしてひざに乗せようものなら、全身を脱力して体を預けてくるので、こちらが動くたびにまるで液体のようにわたしの体の上でグワングワンとなすがままに揺れていた。

床に降りてもらおうとしても、もしかすると落っこちてしまうかもしれないという危機感も皆無で、床に体の全てがダランと置かれるまで脱力をやめず、そのままお腹を出してゴロにゃんと「おわりですか?」みたいな顔をして見てくるおもしろい猫だった。

そしてM家でも、ついに猫飼いの人ならおおかたが気づいてしまう「ツチノコの正体は猫」という伝説の事実にたどりついてしまったほど、ほおっておけばまんまるになってしまう体質の液体にゃんこ”こてつ”。Mご夫妻の懸命な管理のもと、カロリー計算されたごはんを与えられ、少しダイエットにも成功したようだけど6キロを超えている。その大きな体で、ご夫妻の体のうえであいかわらずグニャングニャンになって体を預けて、幸せな暮らしを送っているみたいだった。

丁寧で愛の溢れたMさんからの便りに、朝からいっぱい泣いてしまった。やっぱり、この瞬間が一番やりがいを感じる、やっててよかったと思える。人も猫も犬も、自分だけの居場所があることが望ましい。それは「家族」という形じゃないかもしれないし血のつながりはなくっても全然かまわない。

今、居場所がない人が多いという。とくに子供や若い世代の人にとって、家庭も学校も窮屈であればそれほど辛いことはないだろう。かつての自分もそうであったように、居場所というのは自分らしくあれる時間、自分をあるがまま受け入れてくれる人、それがあるかないか、で感じる社会はまったく違う。居場所があればそこを心の拠点としてなにかに挑戦しようと思えたり、辛くて悲しいことも乗り越えていきやすい。

心の拠点がないと落ち着きがなく、人だって動物だって、なにかをみやみに傷つけたり、また自らを傷つけたり、疑心暗鬼になったりしやすいのではないかな。犬だって信頼できるボスがいる環境なら制御がきくらしい。

なんかよくわからない話になったけど、先日とあるお宅の猫レスキューに参加して。そこはいわゆるゴミ屋敷でにおいもきつく、そこに未去勢の猫が数匹くらしていた。「ずぼらな飼い主」で批判するのは簡単だけど、あきらかに「負の連鎖」の渦中にいるような社会の弱者だった。動物の問題や虐待、貧困、どれも頭のいい人たちが本を書いて「こうなんです、こうしたほうがいいんです」とかって言うけど、このゴミ屋敷に足を踏み入れて、すえた匂いに耐えながら今より1ミリだけかもしれないけどちょっとだけ「マシ」な状態をつくろうとする現場の人たちと同じことできるのかな?目の前で明日殺される犬や猫を引き出してドロドロになりながら洗って病院につれていって、食事を与えて、お金がなくて寄付を募って、目立てば批判され、そんな現場があってこそのその御高説ですよね?って、じーっと拗ねてたここ数日だったので、

こてつの便りに、心が洗われました。
ありがとう、こてつ。
いつまでも幸せにしてくれるね、きみは!(ラブ)
※画像はこてつです。


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