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私が私になるまでのはなし ⑴

おととしのちょうど今頃。

1歳の娘の育児に追われていた。
ごはんは決まった時間にできるだけ手作りのものを。
危険を一切排除した清潔な部屋を保つこと。
SNSに載っているようなよその家の赤ちゃんみたいに毎日かわいい洋服を着せて。
真面目すぎる私にとってはそれこそが使命でそれそが幸せだと思っていた。
私の世界のすべてだった。

結婚したのは妊娠が判明してからだった。

それまで3年、人生で初めてできた彼氏と付き合って同棲までしたけどなんとなくうまくいかなくなってお互い飽きがきていた頃に知人の繋がりで知り合った3つ年上の男の人。
地元を離れて大学へ入学したはいいものの、結局バイト三昧で学業がおろそかになり、フリーター状態だったところを両親が見かねて地元に帰ってきたタイミングでたまたま知り合ったのだ。
お金もないのに親にお金をせびってデートはほとんどパチンコ屋。
私も学生ながらバイトをして一緒にいたいがために無理やりにでもない袖を振って遊んでいた。今思えば無知で馬鹿な女。
それまで人との交流が少なかった私は、この人がいい人なのか悪い人なのか、本当に好きなのか単に元恋人と別れた寂しさの埋め合わせなのか依存なのか、何もわかっていなかったのだろう。

相手は何度か就活を繰り返してようやく就職した。
付き合い始めて何ヶ月かの頃に別れる別れないのケンカをし、仲直りのつもりだったのか感情が高ぶった私をなだめるつもりだったのかセックスしたのがきっかけでご懐妊。
毎回こういうやり方でうやむやにするのが得意な人だった。馬鹿な私も、毎回それにほだされていた。
どこにでもよくある話。

遅咲きながらも学生生活を謳歌しつつ、人生史上結構本気で勉強もして、人並みに就職活動して。
今まで適当に生きてきた割にはそこそこきちんとした会社に入社できたと思っていた社会人1年目。

「避妊くらいしろよ」「誰が辞めたって代わりはいる」
「子供が生まれたら、自分の人生は終わったと思え」
↑この最後の一言が、この先の私にずっとついて回る言葉となる。

職場に妊娠を報告した時、上司に言われた言葉。
遠回しに退職することをすすめられたけれど、生活のため、これから生まれてくる子供のために辞めるわけにはいかなかった。
入社一年経ってから産前休暇に入れば、育児休暇中の手当てが出る。その思いだけでひたすら耐えた。
もちろん職場の上司や同僚は気遣ってくれたし、業務内容も負担の少ない内容のものを任せてくれていた。

部屋を借りて一緒に住み始め、形式として両親の顔合わせもして籍を入れた。
友達カップルのように婚姻届を持ってツーショット、なんてことはしなかった。

繁忙期で忙しい旦那は土日も当然のように仕事に出かけていく。
毎日家に帰っても真っ暗な部屋には誰もいないし、婦人科検診もひとりで通う。
待合室で旦那さんが付き添って大きなお腹を二人で愛おしそうに撫でている夫婦が羨ましかった。
臨月ギリギリまで大きいお腹を抱えて電車通勤、退勤後の買い物。
仕事が終わるのが遅い(元)旦那のために家事全般をこなす。
雨の日も風の日も雪の日も毎日毎日
自分は全然大丈夫。そう思いながら毎日毎日やりすごしていた。

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