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節分のころ

 明日は節分。年に4回あるのに節分といえば春の節分を連想するのは、やはり年4回あるのに土用といえば夏の土用を思い浮かべるのに似ている。こちらではまだ梅の蕾も固いままだけど、それでも同じ時刻に残る夕暮れの色の違いに季節の移ろいを感じる。子供のころ育った実家では、節分の夕方に家の裏にある氏神さまに豆まきに行くと、少し日が伸びた中で空気がぼおっと緩んでいるのを感じるのが常だった。
 大きな地震から始まった今年も早一月。一日でも早く被災地に春の訪れが感じられるようになってほしいと願う。年末から冬眠している私は、冬眠といえば熊のイメージだったけれど、そう言えば啓蟄という二十四節季もあったなあと思い出し、自分の冬眠は熊というよりもむしろ虫の方がふさわしいかもと考え直してみたり。いずれにしても啓蟄もまだ先だし、それが来たところで冬眠の次には春眠というのもあるしなとか。(いつまで眠るつもりなんだか…。)
 冬眠の理由はあるようでないようで、結局そんな気分という程度のことなのだけれど、体調が今一つだったり、年末にnoteのデータを半年分消してしまったり、段々時間のやりくりがきつくなってきたなあとか、自分で自分の写真に新鮮さが薄れてきたかとか…。人はいつでも理由を欲しがるけれど、事故がいくつもの要因や偶然の重なりで起きるように、気分にもいくつもの要因があって、それらしい理由を聞けば人は割とすんなり納得するものの、本当の理由は案外本人にも分かっていなかったりもする。
 学校を休んだ子供みたいに投稿を止めてSNSを眺めていると、ああ、今は2時間目の国語だなあみたいにいつもの時間がタイムラインに流れていく。そこに自分がいないことに若干の寂しさを感じながらも、追われることのない時間は穏やかで、偶の投稿であればいいねをくれた方の名前や投稿もゆっくり確認できて、その感覚がTwitterを始めた当初のようで懐かしい。元々自分で勝手に設定したルールだから無理をして継続する必要があるはずもなく、改めて思いついた時に書きたいことを投稿していこうかなあとか。要は原点に立ち返るということか。タイトルは…(って何のタイトルか分らないけど)、例えば蓑虫通信とか?
 

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