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「その道のプロ」に、あの道、も、この道も求めるな、の巻

2021年12月15日(水)、今日、唐突に思ったことがそのまま上記のタイトルである。

朝、通勤電車の中で、コロコロチキチキペッパーズ(通称 コロチキ)のYouTubeチャンネルを見た。
リンクは、→こちら

このコロチキのナダルという芸人が、「クズ」という設定で、いろいろとクズとしての言動をとるのだが、ご存じない方は、こちらのラリー遠田さんという方の記事をご参照ください。

ナダルについて

で、俺はこのコロチキが昔やった「卓球コント」がすごく好きなんだけど、それと同じくらい、このナダルのクズっぷり(設定ですよ)が好きだ。

ナダルに好き勝手に行動させておいて、最後に「なんで、こいつはこんなにクズなの?」って周りが呆れたり怒ったりする、という流れがパターンなんだけど、オチがわかっていても、つい見ちゃう。

今回の動画でも、先輩芸人のことをウラでボロクソにディスって、それが本人に全部バレて、いつも通り「なんで、そんなにクズなの? ちゃんちゃん!」って流れで、形式美になっていて面白い。

だけど、ふと、「これ、真面目な人は本気でナダルのクズっぷりに怒りを覚えたり、不快感を覚えたりするのかもしれないな」と思った。

そういう人は、「なんだ、このナダルってやつは!
先輩芸人をウラでディスったり、自分より売れてない先輩芸人をウラで見下す発言したり、先輩にもらった弁当をウラで食べずにそのまま捨てたり、自身のスキャンダル記事の露出をとめられないマネージャー(事務所)をウラで怒鳴ったり、最低な奴だな!」って憤ったりするのかもしれない。(上記を冷静に読み返すと、たしかに相当なクズ行為なんだけど…)

でも、ナダルにとってはそういうマイナスの(憤りの)リアクションも含めて、自分が設定したキャラへの「評価」として、「美味しい」と思っているんだと思う。ある意味、狙い通りということかもしれない。
そういう人たちによるマイナス評価も、俺みたいな人間のプラス評価も全部ひっくるめて芸人として自分が及ぼした「影響の輪の広がり」と捉えている気がする。

で、ナダルの場合、芸人なので、例として少し弱いんだけど、世の中には、こうした「ウラでやってること」や「ウラの顔」と、「オモテでやってること」や「オモテの顔」とのギャップに、「不寛容」な人が結構いる。

ナダルの例を「例として弱い」というのは、彼は芸人だから、ああして見せてる『ウラ』の顔も「演出なんでしょ?」ってとられちゃうから。

でも、芸人ではない場合、例えば、スポーツ選手なんかの場合、この「ウラで見せた素の顔」に、ものすごくオーバーリアクションする人たちが結構いて驚く。

昔、読売巨人軍のエースピッチャーで、ものすごい成績を出していた優秀な選手が、義兄が始めた不動産ビジネスのトラブルに巻き込まれた(名義を使われた)際、「投げる不動産王」といろんなメディアで揶揄された。

マウンド上での成績や、ピッチャーとしてのパフォーマンスは全く落ちてないのに、「ウラ」で不動産ビジネスに手を染めた(実際には意図せず巻き込まれた、らしいのだが)から、本業での成績を度外視して、ウラの顔でのトラブルで揶揄された。

その時も、俺はこのマスコミの人たちに対して「一体、彼の何に期待しているのだろう?」と、すごく違和感を持った。

彼はピッチャーのプロであって、不動産のプロではないから、仮に、ウラで素人として不動産ビジネスに失敗したとしても、「That’s none of your business」である。

子どもの頃、お袋が、たまたま当時の売れっ子司会者でテレビでも「爽やか路線、ナイスガイ」で売っていたタレントに新幹線の中で出くわしたので、サインを求めたら、ものすごく冷淡に断られた、と憤っていた。

その当時は俺も子どもで分からなかったけど、今、思えば、当たり前でしょ?と思う。

移動中の新幹線で、疲れてて、眠くて、でも、いきなり、サインを求められて、ってなったとき、オモテの「爽やかスマイル」を振舞ったところで、いくらのギャラがもらえるのか?

彼は「テレビ上、『プロの』爽やか司会者」であって、テレビの外でも爽やかでいることを「生業」とはしていない。だから、ウラでファンにすこし冷徹な態度をとったところで批判される筋合いはない。
ましてや、SNSなどなにもない時代。ウラでの評判がオモテの仕事に影響することもない。


俺が勤める会社は、従業員30人足らずの小さな会社なので、一人一人が、それぞれ、何らかの「仕事上の武器(戦えるスキル)」を持っていないと、なかなか評価されない。

ある時、性格はめちゃくちゃ良いんだけど、仕事はやることなすこと、若干いまいちな中途採用者がいた。やる仕事の全てにおいて、若干だけ足りない。でも、人当たりはすごくよかった。正直、管理職としては使い方に非常に困った。

その時、うちの会社のエース的な存在(とにかく仕事が出来て、業績を上げる)なんだけど、性格のキツさで周りから敬遠されてた後輩が、俺のところに来て、
「青山さん、何を悩んでるんですか? うちみたいな小さい会社では、『仕事がいまいち』は致命傷でしょ?
いくら性格が良くても、仕事で他人にケツ拭いてもらっている以上、『誰かの迷惑』ですよ。
俺なんか、会社の仕事さえ出来れば、ウラで空き巣やってようが万引きの常習犯やってようがぜんぜん構わないって思ってますから。
会社は『仕事のプロ集団』であるべきで、仲良しクラブじゃないですからね。ウラで犯罪やってても会社の仕事がめちゃくちゃ出来たら評価すべきですよね?」と言った。

これは、ものすごく極端な表現だけど、一面では正しい、と思う。

人は、何かに秀でている代わりに、何かに劣っていて当然だから。

芸人は、芸のプロなので、芸で秀でている以上のこと、例えば、ウラでの立ち居振る舞いや、「ウラでの所業」までが完璧であること、などが求められる筋合いはどこにもない。

彼らになにを期待しているのか?
ステージ上で面白いことを言ったりやったりしている姿を見て笑うことでしょ?

もちろん、例えば、税金を原資に生計を立てている方々、つまり、政治家、公務員、公立学校の先生など、オモテもウラも完璧を求められる方々も中にはいる。

本当に大変だと思うけど、これはしょうがない。覚悟を持ってお勤めいただくしかない。
残念ながら「政治家としてプロであれば良いから、良い法律さえつくれば、ウラでは何をしてても良い」とはならないので。

でも、そういう職種、つまり、ウラでの立ち居振る舞いによって、オモテのパフォーマンスにも影響が出てしまう職種の人は、自らわきまえていると思う。
自分が、オンとオフで、どのように振る舞うべきか、そしてウラでどのように振る舞えば致命的か?を。
ましてや、「一億総メディア(SNS)化」時代である。おかしなことをやったら、すぐネットに載せられて社会的に制せられる。

ということで、長々と書いてしまったが、言いたいことは、「その道のプロ」に、「あっちの道、こっちの道」でもプロであることや、ちゃんとしてることを過剰に求めるな!である。
そんなん図々しいでしょ、ということ。

今日は、結果、よくあるおじさんの説教話みたいになったので、終わります。
そりゃ、若い人たちから、ノミュニケーション断られるはずだよね。

ええ、ええ、もちろん酔ってますよ。
それがなにか?

おわり

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