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芸能プロダクション代表の裏話1

芸能プロダクションを創業して23年目になりました。
今まではグラビアアイドル、女優、と手がけて来て現在はモデルとアイドルメインに事業を行っています。

幼い頃から実家がお店をやっていたので店頭で接客や配達の手伝いをしていました。
学生時代も平日の夜は新宿の駅ビルの地下食品売り場で試食販売のアルバイトをしていました。学生としては売上げNO.1でした。

社会に出てからはスポーツ用品卸勤務、佐川急便勤務、プロレスショップ勤務、通販会社勤務、コンピューターソフト会社勤務を経て独立。
ソフトウエア販売開発の会社を立ち上げるもたった1年で倒産。
その後、芸能プロダクション設立へ!
ほとんど一貫性のない職業を選んで今まで勤務して来ました。
しかもほとんどが今で言われるブラック体質です。

都内の高校を卒業後、クラウン柴田スポーツに入社
朝8時30分出勤で夜22時退社でしかも残業代無しという環境で量販店へのスポーツ用品の出荷に明け暮れるながら1年間働く。
昼間は会社員、夜はバブのボーイとして働き、寝不足や不規則な生活がたたって18歳にて痛風発症。

出入りしていた佐川急便のお兄さんと仲良くなり一緒に食事に行った際、財布の万札の束にビックリして佐川急便で働く事を心に誓う!(単純)
しかし当時買ったばかりの車もぶつけたり事故ったりしていて運転にまったく自信無し。親にも大反対される。
実際に佐川急便に面接に行くと19歳という事で断られる。
面接官に断られるも面接にて粘りなんとか入社させてもらう。
(面接官だった人には入社後も目をかけて頂き今でも感謝してます)

毎朝6時出勤、夜中に退社の凄い生活が始まり、だらけた生活が一転、まさにここから修行の生活が始まる。
先輩からのイジメ、嫌がらせに耐えながら激務に励む。
仕事が遅いと怒られ、蹴られ、嫌がらせをされ苦痛の日々に耐える。
さらに走らないと終らない配達の量に毎日耐える日々。
仕事帰りは夜空を見上げながら毎晩、月給100万円、月給100万円、月給100万円となんども唱えながら泣きながら帰る夜道。
かなり精神力も鍛えられました。

入社3ヶ月後、営業成績で頭角を現しそれから先輩からのイジメがなくなる。
身体が小さく、力が非力な分、他の人の出来ない事をしようと営業活動を精力的にこなし、たった1ヶ月の成果で月収が一挙に20万円もアップする。

最終的には月収970,000円となる。

仕事にも慣れたが肉体労働はいつまでも出来ないと言う将来への不安を抱えながらも月収の良さに辞める事ができずずるずると7年間勤務する。

20代前半でそんなに給料をもらえる会社はありませんでしたから、佐川急便には今でも感謝していますし佐川イズムはいつまでも持ち続けたいです。

佐川急便を辞めた後、社会勉強として1年間プー太郎生活。
本を読んだり街中で人を観察したりとにかく忙しくて何もできなかったのでとにかくのんびりする。
なんせ佐川急便時代は朝6時に出勤して夜中まで勤務。
ですからテレビも新聞も見ない生活でまったく世の中の事がわからず、今何が起こっていて、誰が人気でどんな曲が流行っていてなんてまるで興味を持つ時間さえありませんでした。

その後、趣味の仕事をしようと思いプロレスショップで働く。
ミルマスカラスの大ファンです!
入場曲、「スカイハイ」が流れただけで血が高ぶります。
趣味で勤めた会社ですがこの会社のおかげで後に出世する事に。
プロレスのグッツやビデオ等を通販と店頭販売する会社で、海外から安く仕入れたプロレスビデオを凄い利益率で販売していました。
仕事は楽しかったけれど正社員になって欲しいと言われ自由人の私は会社を去る事に。

かっこい場所で働きたいと思い広尾で募集のあったソフトウエアの販売会社、ハイパークラフトに入社
後日談ですがパソコンの知識がないのに入社できたのは当時社長のベンツ560SELを運転出来る人がいなくて佐川急便で働いていたから運転はうまいだろうという事で採用されたらしい。
雑用兼、運転手として勤務。
この会社でまさかの知識が役立つ事に。
前のプロレスショップで得た通販の知識を発揮して通販部へ配属
そして月商600万円だった通販部を2年半で月商1億円売上げる部署に!
役職も部長に昇格!
その後、バイヤーの総合責任者として13店舗分の仕入れと通販の仕入れ合わせて毎月、数億円の金額を取引する商品部、部長に昇格。
ちょっと出世が早すぎてまわりとの対立があるも毎晩酒飲んで発散!
絶好調と思われた会社も資金繰りがうまく行かずに倒産。

それまでの顧客リストを弁護士経由で購入し自分で会社を設立!
ソフトウエア販売会社社長に!
楽天市場にも出店!楽天市場で最初に福袋セールをやったのはなにをかくそう私です。
名案だと楽天の人がそれからお正月は福袋セールやるように指導したみたいですよ。
500万円の資本金もあっという間になくなりわずか1年で倒産。
そこから芸能プロダクションへと・・・・
続きは次回でね!
本当に凸凹の人生を歩んで来たのでちょっと歪んでます(笑)
是非仲良くして下さい!

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