銃の歴史

銃の歴史
火縄銃(マスケット銃)
1475年にマスケット銃がヨーロッパで開発、タッチホール式 → サーペンタイン(S字型金具)ロック式 → マッチロック式となりマスケット銃となる。


1543年日本にマスケット銃が伝来。ヨーロッパでは1640年まで、日本では1880年ごろまで用いられた。


1620年にヨーロッパではフリントロック式が開発され、命中精度と操作性が悪化してるが1700年頃にはヨーロッパではフリントロックがメインになった。

・日本にもフリントロック等の技術は入っていたが、射撃戦方法論の違いや射程、命中精度、連射速度の全てにおいて弓矢の方が高性能と言えるフリントロック式は普及せずに、国内で独自進化した命中精度の高い瞬発式火縄銃(有効射程200m)が普及していった。

1805年パーカッションロック式(雷管式)マスケット銃が発明されるが普及はしない。

1830年頃円錐弾が考案され、ここから銃弾の進化が怒涛の勢いで進んでいく

1836年に紙薬莢後装式のドライゼ銃が誕生。この銃はボルトアクション機構を有した名銃で、ほぼ現代におけるライフルの定義を満たしています。

1836年ピンファイア式金属薬莢、現代の銃弾の誕生です。


1840年代にやっとパーカッションロック式に移行していく。
1842年に日本でもオリジナルで雷粉銃を完成


1847年リムファイア式金属薬莢が誕生

1849年プリチェット弾を使用した紙薬莢前装式のミニエー銃の登場です。
 この銃弾は、銃火器界の革命といってもいい存在で、それまでの銃器の射程距離を数倍にまで伸ばす威力を持っていました。ここでやっと日本の火縄銃の性能を上回ります。
(有効射程:マスケット90m、日本式火縄銃200m、エンフィールド銃450m)


1860年代初頭にはミニエー銃は時代遅れの小銃となりつつあり
1864年ミニエー銃は後装式のタバティエール銃に改装された

1864年に幕末の江戸幕府はミニエー銃を大量採用

1866年センターファイア式金属薬莢が誕生

1868年

1870年にはタバティエール銃も紙薬莢後装式のシャスポー銃に置き換えられ、
1874年にはセンターファイア式金属薬莢後装式のグラース銃を経て
1886年には無煙火薬を用いた革新的なルベルM1886小銃へと繋がっていく。


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