近代世界システム(2)

平和の海の江戸システム
 
日本は同じインパクトに対して、異なるアプローチで、棲み分
けと共生を本質とした近代文明を作り上げた。


1.自力で栄えるこの豊沃な大地

 1850年の時点で住む場所を選ばなくてはならないなら、裕福であるならばイギリスに、労働者階級であれば日本に住みたいと思う。

 アメリカの歴史家スーザン・ハンレーの言葉である。海洋アジアの物産に対抗して、ヨーロッパが暴力的収奪によって近代世界システムを作りあげていた時に、日本はまったく別のアプローチによって、もう一つの近代文明を育てていた。これを江戸システムと呼ぶ事がある。それは庶民にとってみれば、近代世界システムの最先端、大英帝国よりも幸福な社会であった。

 その実態はどうだったのだろう? 19世紀後半に世界各地を旅したイギリスの女流探検家イザベラ・バードは、明治初年に日本を訪れ、いまだ江戸時代の余韻を残す米沢について、次のような印象記を残している。

 南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより、鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、抑子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。自力で栄えるこの豊沃な大地は、すべて、それを耕作している人びとの所有するところのものである。・・・・・・美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域である。山に囲まれ、明るく輝く松川に灌漑されている。どこを見渡しても豊かで美しい農村である。

 ヨーロッパ人が、他の大陸の土地と人間を暴力的に収奪して、豊かさを手に入れたのに対し、日本人は「自力で栄えるこの肥沃な大地」を築き上げた。それはどのようなアプローチで可能だったのだろうか。


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