だだをこねる男児

育ててみてわかった親の限界

育ててみてわかった親の限界 1998年(昔メモ)

『子供は親の手の届かないところで育っていくものだ。』

 最初の子供が生まれる前から、男の子だったら名前はアンソニーにすると決めていた。3歳になるころにはビバルディを愛する子に育っているはず、という夢さえ思い描いていた。夢は果てしなく広がったが、それは自分が忍耐強く、優しくて愛情にあふれ、 穏やかで子供の心がわかる完璧な母親になれるという前提の上に成り立っていた。

 だが子供が生まれると、自分がせいぜい「合格点」がつけられる程度の母親だということがすぐわかった。わんぱく盛りの3人の息子の母親が、常に忍耐強く優しくて愛情にあふれ、穏やかで子供の気持ちを理解することなど、とてもできないことに気づいたのだ。

『やがて分別ある大人に』

 ある日のこと、私は家で仕事をしていた。当時10歳と8歳、4歳だった子供たちは、2階で遊んでいるはずだった。ところがそのとき電話が鳴って、隣の奥さんが遠慮がちにこう言ってきた。

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