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沖縄料理

 なんで沖縄料理だったのか、今でもその店を選んだ理由が思い出せない。なんとなく、イケてる感じ、がするような気がして、沖縄料理を選んだというだけかもしれない。とにかく、オレはその店のほの暗い店内のテーブル越しに由美子と向かい合って座り、沖縄料理を食べた。由美子と付き合っていたのは、一週間だけだった。セックスもしなかったし、手さえも繋いでいない。結論からいうと、沖縄料理を食べたその夜が、恋人として会う最後の夜になった。由美子と付き合ったのは、今から思うとたぶん、お互い何かの間違えだったのではないかというような気がする。由美子とは仕事の関係で親しくなり、何度か撮影の現場も共にした。由美子はパートタイムのバイトで、オレはフルタイムの業務委託社員だった。二人で食事に行ったりしたことはあまりなかったが、仕事の後に早稲田にある由美子のマンションの前まで車で送ったりしたことは何度もあった。大抵、車の中では由美子がもうすぐたぶん別れるだろうと思っている恋人の愚痴を聞いたり、二人に共通する仕事のことを話したりした。ある夜、由美子から電話がかかってきて、出ると由美子は泣いていた。聞くと、渋谷にいる、というのでちょうど仕事が終わったところだったオレは、渋谷まで迎えに行った。その頃、由美子は二十一歳で、オレは二十二歳だった。就職をどうするか迷ったりしている中、彼氏との関係がしばらく上手く行っていないことについてずっと悩んでいて、会う度にほとんど愚痴に近いようなことを由美子はオレにいつも話していた。その夜も、オレが迎えに行く頃には泣き止んでいて、オレの姿を見つけると嬉しそうに助手席に乗り込んできた。彼といよいよ別れることになって、それで彼と電話で話していたら、その会話のなかで何かひどいことを言われて、それで泣いていたらしかった。その内容を由美子はオレには言わなかったし、オレもべつにわざわざ聞いたりはしなかった。その数日後に、もう彼氏とはキッパリと別れられた、という嬉しげな連絡がケータイのショートメッセージで送られてきた。その夜も急に会うことになって、二人共食事は済んでしまっていたので、新宿の深夜営業のカフェに寄ってから、由美子を家まで送った。そして別れ際に、好きだから付き合って欲しい、オレはそう由美子に伝えた。ニコニコとしていた由美子の表情が曇って、ちょっと考えさせて欲しいと言われて、由美子はマンションのエントランスに消えて言った。そう簡単に行くとも思っていなかったが、でも付き合えそうな気もしていたところもあったので、おれは複雑な心境で家路を辿った。帰り道、由美子から何通もショートメッセージが届いて、好きって言ってくれてありがとう、考えたいって言ったのは本当だから、そんなような内容が書いてあった。それからさらに数日後、恋人同士としてこれからは過ごしたいです、よろしくお願いします、というようなショートメールが届いた。オレは実は半分あきらめていたので、驚いたし、嬉しいと思ったが、それと同時に、自分が由美子の何を知っていて、由美子のどこが好きなのか、よくわからないというような気もしてきた。まぁとにかく付き合えたんだから良いじゃん、と友人の正雄はオレに言ってくれたし、ごちゃごちゃ考えても仕方がないので、新しい恋人との日常を楽しもうとオレは心に決めた。その週末、早速、由美子とデートすることになって、お互いのスケジュールがうまく合わず、土曜の夜のディナーだけを一緒に過ごすことが出来ることになった。由美子は渋谷にいて、オレは自由が丘にいたので、代官山で集合することになった。そして、どうしてか、オレたちは沖縄料理の店に行ったのだった。オレは沖縄に行ったことが無かったし、なんとなく、楽しそうな雰囲気とか南国っぽい感じとかで、いいところなんだろうなぁとは思っていたが、沖縄の食べ物の良さも、泡盛の美味しさも、当時はよくわからなかった。そういえば、高校生の頃に好きだったバイト先の女の子が沖縄出身だった。ファミレスのバイト先にいたフリーターの女の子で、確かオレの二個上だった。気がついたらその子はいつの間にかファミレスをやめていたし、オレもふとどうして好きだったのかがよくわからなくなっていた。その沖縄料理の店は、代官山駅と旧山手通りの間の路地にあって、照明とかインテリアとかがおしゃれな雰囲気のお店だった。沖縄料理のことがよくわからなくて、メニューを眺めて適当に注文した。由美子も仙台の出身だったし、沖縄には行ったことがなくて、沖縄料理のことはよくわからないと話していた。見慣れない料理が運ばれてきて、オレはシークワーサーと泡盛のお酒を、由美子はシャンディガフで、小さく乾杯した。その後は、由美子の母親のこととか、オレの最近の仕事のことを少しだけ話して、そして、その後、食卓には重苦しい沈黙が訪れた。三線の音が陽気な、しかし少しジャズっぽい雰囲気の店内のBGMだけがオレたちの食卓には鳴っていた。薄々、たぶんお互いに感じていたことなのだろうが、オレたちには、由美子の元カレの文句と、仕事での話以外、共通の話題が全くなかったのだ。話すこと、話したいこと、話すべきこと、そういう物が全く見つからなかった。由美子は片親の家で育っていて、いまでも母親が仕送りをしてくれているが、母親も色々と大変で、このままでいくと卒業まで仕送りをきちんと続けてもらえるのか不安だ、というのが由美子の話題で、その話題が終わると、話すことが思い浮かばなくて、オレは必死にひねりだすようにしてい、仕事で来月に予定している大型の案件の概要を意味もなく説明した。由美子は退屈そうに聞いていた。確かに、由美子のバイト先はオレと同じ業界で、一緒に仕事をしたこともあったが、由美子にとってはあくまでもバイト先でしかなくて、それ以上でもそれ以下でもなかった。現に、就職を考えているのは全く違う業界だったし、たまに相槌を打つ以外なにも言わなかったし、オレのする仕事の話には心底興味が無さそうで、オレは冷や汗をかきながらとりあえずその話を終わらせた。そうなると、もう本当に全く話すことがなくて、慣れない沖縄料理を黙ってただただ食べた。その店の会計はオレが全部払って、オレたちは店を出た。割り勘にしようとは思っていなかったし、仕送りが減って大変だという話を聞化されていたから、当然のこととしてオレは支払ったし、由美子もそれが当然というような顔をしていた。まだ夜は早かったが、そのまま黙ってオレたちは駅にむかって歩いて、駅までもうすぐというあたりで、ほとんど同時に、交際を解消することを互いに口にした。あのさ。うん。たぶん同じようなことを考えてると思うんだけど。そうだよね、私も思ってた。オレたちさ、やっぱり。うん、そうだよね。そうして、代官山の改札をくぐり、反対の方向の電車に乗る由美子をオレは黙って見送った。それが由美子に会った最後の日だった。Facebookではその後も繋がっていたが、ふと気がつくと友達リストから由美子が消えていた。フルネームで検索すると出てきたが、オレとは友達ではなくなっていて、由美子のプロフィール画像は花嫁衣装の姿の写真に変わっていた。共通の友達リストには昔と変わらない友人たちが連なっているし、リムーブなり、ブロックなりをされた、ということなのだろう。たぶん、結婚するにあたって、元カレたちを精算した、のだろうとオレは思った。一週間しか付き合っていなかったのに、元カレとして扱われているのがなんだか不思議な気分だった。それから何年も、由美子のことはすっかり忘れていたが、ひょんなことで再会することになった。オレの友人が開催していたweb製作のセミナーに、生徒として由美子が参加していたのだった。まさかそんなところで会うと思っていなかったし、向こうも予想外だったようだった。由美子の左手の薬指にはしっかりと銀色の細い指輪がキラキラと輝いていて、オレの左手の指にはそういうものはついていなかった。セミナーが終わって、講師も含めての歓談になったときに、由美子と十秒くらい目が合った。それで、オレはなにか話しかけようかと迷ったが、結局、話しかけなかった。由美子もたぶん同じような感じで、何か言おうとしていたようにも見えたが、結局、何も言ってこなかった。特に話すこともなかったし、べつに話したいと思っていたわけでもなかったので、がっかりしたりはしなかった。この女とは。真っ暗になっている建物の外を窓越しに眺めながらオレはそう思った。この女とは、たぶん、永遠に重なり合わないんだろうな。もう会うことは無いだろうと思っていたのに再会したが、それでも二人の人生は、かすり合いそうで、結局かすりさえしなかった。付き合いそうになって一週間で別れたのだってたぶん同じような感じで、あんなのは結局、かすっただけだ。この先もし、由美子と会うようなことがあっても、たぶん、また十秒くらい目が合うだけで、そこから先には永遠に進まないような気がする。でも、それでいいんだろうな。セミナーからの帰り道、オレはあの日食べた沖縄料理のことを思い出していた。飲んでいたものとか、鳴っていた音楽とかは思い出せるのに、どういうわけか、何を食べたのか、全く思い出せなかった。そして、あの由美子と別れた夜以来も、ほんとうに単なる偶然だが、オレは沖縄料理を食べたことがない。結局オレは、沖縄料理というものがどういうものなのか、いまでもよくわからない。いつかは沖縄に行ってみたいと思ってはいるし、沖縄に行った時、きっと由美子といたあの夜を遠い記憶に思い出したりするような気がする。ひと気のない夜の街を歩きながら、オレは、いつか沖縄に行く日のことをぼんやりと想像した。(2018/02/02/03:42)


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