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麻布トンネル

 半年くらい、麻布十番で暮らしていたことがあった。暮らしたというよりも、その頃付き合っていた彼女の家が麻布十番にあって、ただそこに転がり込んむようにして入り浸っていただけ、というほうが適切な表現かもしれない。その彼女は真由という名前で、デザイナーとして働いていた。真由は、家の広さとか新しさとかよりも、立地とか最寄り駅がどこかとかを優先に考えるような女で、稼ぎが特別に多いわけではなかったが、港区に住むというのは、彼女の中では東京で暮らす上で譲れないことのひとつ、だったらしい。真由の住んでいたそのマンションはそれなりに古い建物で、水回りとか、キッチンとかに築年数が醸し出す古臭さがあるのは否めなかったし、構造として快適とは言い難いような部分もあったりはしたが、それなりにリフォームはされていて小奇麗にはなっていたし、広さもひとりかふたりで住むのにはギリギリ必要十分、というような感じの部屋だった。風呂とトイレこそ別だったものの、ワンルームと廊下にキッチンがついているだけ、というような間取りだったので、それでもずっとふたりでいると、気詰まりになることもあった。別に喧嘩したわけではないし、なにか一緒にいたくない理由があるわけでもなかったが、その夜なんとなくオレは一人になりたくて、一緒に夕飯を食べ終わったあとに、散歩に行く、と言って外に出た。オレが自分で借りているアパートは八王子の辺鄙なところにあって、学生の頃から借りている部屋だった。社会人になってからも、通勤は不便だったが、家賃が安かったこともあって、引っ越すのも面倒だし、そのまま借り続けていた。麻布十番で暮らすようになってからも、いちおう週に一回くらいのペースで八王子に戻ったりしてはいたが、荷物を取ったり、郵便箱を開けたりするくらいで、たまに泊まったりもしたけど、職場も麻布十番からの方が近かったので、その頃はほとんど麻布十番で暮らしているような感じだった。八王子の部屋は倉庫だと考えても割に合うくらいにとにかく家賃も安かったし、部屋にある荷物のやり場も他になかったので、麻布十番で暮らし始めても解約するつもりはなかったし、べつにそれで特に不都合はなかった。八王子の山奥と比べるまでもないが、麻布十番は便利な街で、少し歩けば二四時間営業のスーパーもあるし、百円ショップからうどん屋まで、いろんな店が揃っていて快適に暮らすことが出来た。真由のマンションは、本当にけっこういい立地にあって、古いとは言えそれなりの金額を毎月家賃として真由は払っていたのだが、そのおかげでとにかく便利に暮らすことができていた。早く帰ってきてよ、と言って見送ってくれた真由を部屋に残して、オレはあてもなく街を歩いた。とはいえそれなりにもう遅い時間だったので、居酒屋とかラーメン屋とかを除いてほとんど店は閉まっていたし、食事も済ませたばかりだったので、全くなんの用もなかった。一応財布を持っては来ていたが、買いたいものも無いし、用もなくぷらぷらと石畳の歩道をオレは歩いた。六本木に近づいたあたりで、トラックで果物を売っている男がいた。にいちゃん、っていうような感じの雰囲気の男で、林檎と梨が彼のトラックの荷台には並んでいた。その果物たちは、安くも高くもないというような絶妙な値段設定だったが、買ったところでまたこのあとそれを持って歩いて帰るのも面倒だったし、あんまりお金に余裕がなかった時期だったこともあって、なんとなくその時は買う気になれなかった。試食やってます、と言って梨をひとかけ、楊枝に刺してその男はオレに手渡してた。いまがまさに旬、甘いですよ、ジューシーで。たしかに、そう言う彼の言葉のとおり甘くて瑞々しいな梨だった。別に高くもないし、やっぱり買おうかなとも思いかけたが、なんとなく梨を買って真由の部屋に戻る自分の姿が想像できなくて、買うのはやめにした。いつも来てるんですか? そのまま立ち去るのは気まずい気がして憚られたので、興味があることをアピールするようなことをなにか話さなければ、と思ってそんなことを聞いてみた。さっきちょうどスーパーで果物をいろいろ買っちゃって…二人しかいないからそんなに食べられないし…だから次来る時に買わせてくださいよ。梨を食べたあとの楊枝をオレはトラックの荷台に載っていた屑入れに入れた。最近はね、毎週金曜には来てるかな、うーん。まぁ来週もたぶん来ると思うし、よろしくお願いしますー。そう答えると、彼はまた通りがかりのひとに、林檎と梨を売るために声を掛け始めた。けやき坂を少しだけ上って、途中で折り返してツタヤの前まで来て、スタバの様子をなんとなく外から眺めてから、オレは部屋に戻ることにした。けやき坂と芋洗い坂のそれぞれ下端と、麻布トンネルから出てきた環状三号とぶつかるこの交差点はどうやら名前が無いらしい。改めて気にしたことがなかったが、よくある信号機とかにつけられている交差点名を示すプレートが見当たらない。そのことを調べようとネットですこし検索してみると、麻布トンネルの片側が塞がれた廃墟のような画像が出てきた。どうやら、2003年に六本木ヒルズが完成するまで、青山霊園方面のトンネルはずっと封鎖されていたらしい。米軍基地の場所との利権関係などが絡んでいるらしいが、ネットで出てきた古い写真を見ると、クラシカルなフォントで書かれたハリウッド化粧品という文字の広告看板が、片側が封鎖された麻布トンネルの上に掲げられていた。当時、そのフォントは決してクラシカルなものではなく、先端的なものだったのだろう、ということを考えると、不思議な気持ちになる。麻布トンネルが封鎖されていた頃はもちろん、六本木ヒルズが開業した2003年にも、オレはまだ東京に出てきていなかったし、知る由もなかったが、そういう道路の歴史を現代の風景の中にこうしてすこし垣間見たりすると、当時を知りもしないというのに妙に懐かしい、不思議な気持ちになる。そのまま環状三合沿いを歩いていると、馬麺というラーメン屋の前を通った。正しい読み方は知らないが、マメンとか、マーメンとかと店名を読むらしいその店はずいぶんと昔からあると、ネットには書いて合った。行ったことがないので美味しいのかどうかはしらないが、ネットの情報に拠ると、根強いファンがいたり、芸能人が来たりもしている店らしい。店内は殆ど客が入っていなかった。なんとなくそこにあるのは知っていたが、まじまじとその店を見たのはそれが初めてだった。このあたりは、仕事中に会社の車で通ったりすることも多いし、馴染みの多いエリアだったが、改めて用もなく歩いてみると、新しく気づくことも多い。部屋に戻ると真由はまだ起きていて、ピンク色のシーツがかけられたベッドの上て、足の爪にマニキュアを塗っていた。おかえり。そのペディキュアの夏を思わせる鮮やかなオレンジ色が、なんとなく、ひどく季節外れに思えた。ただいま。暖まった室内との温度差で、カーテンをめくると窓が結露していた。ベランダに出てオレは煙草を一本吸った。(2018/02/04/05:32)

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