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夜の中に

 わたしは朝が嫌いだ。ごみ収集車の音も嫌いだし、子供達が通学する音とか、街行く通勤する会社員たちの姿とか、モーニングメニューしか売っていないマクドナルドとか、人がぎゅうぎゅうに詰まった満員電車とか、そういうのがとにかく嫌いだと、いつも思う。なぜ嫌いなのかはあまり考えたことがなかったが、わたしはそれでもやっぱり朝が嫌いで、朝の中にいると、嫌な気分になることが多い。基本的に、夜型だからなのかもしれない。朝というのは、新しい一日の始まり、というよりも、わたしにとってはただの夜の終わりでしかなくて、夜が終わってしまうのが嫌だと思うことが多いからそういうふうに思うのかもしれない。夜の中にしかない何かが、わたしをわたしたらしめている、そんなことさえをも思うことがある。夜こそが一日の始まり、偏った価値観かもしれないが、そういうふうに思うことがある。べつに夜勤の仕事についているわけではないし、朝から起きなければならない仕事の日もある。そういう日はまだマシで、そこまで嫌でもないのだが、最悪なのが徹夜で仕事をした翌朝だ。朝の音を聞くと、本当に、信じられないくらいに最低な気分になる。まだわたしの一日が終わっていないというのに新しい一日が始まろうとしていることに怒りを感じるのかもしれない。担当デザイナーとして撮影現場の立ち会わなくてはならず、その日は昼前から外に出ていた。例によって寝不足気味だったのだが、撮影がいいペースで進行していて、退屈したり眠くなったりすることもなかった。そのロケはお台場の公園で行われていて、ファッション系の記事の素材撮影だった。思いの外、早い時間に仕事が終わって、佑樹に電話してみたら、ちょうどもうすぐ暇になると言って迎えに来てくれることになって、わたしはお台場をプラプラと歩いて佑樹が来るまでの暇を潰した。海沿いを少し歩いたりもしてみたが、日が陰り始めてくると途端に寒くなって、わたしはとりあえずアクアシティの中に入った。この施設が何年くらい前からあるのかわからないが、まだわたしが十代だった頃とかにもあったし、当時の感覚からするとなんだか先端的に思えていたし、いまでもわたしのなかでは新しい施設に分類されるが、それでいうならダイバーシティとかのほうが新しいし、よく考えると、それなりに年季の入った施設になってきているのかもしれない。佑樹はそれからしばらくしていつもの黒いFJクルーザーで迎えに来てくれて、わたしを乗せると、レインボーブリッジで海を渡って、都心へ戻る道を走り始めた。レインボーブリッジで臨海副都心を背にして都会へ戻るその道のりが、わたしはなぜかとても好きだ。ビル郡の向こうに夕日が沈み、都市がシルエットになる。強烈なカーブを描いて下るループ橋に吸い込まれるようにして突入するその寸前の余韻、右横にはゆりかもめの軌道があり、一九九三年に完成したこの橋になぜだかわたしはロマンを感じてしまう。時間もちょうどよかった。夜が始まる、その感覚がループ橋を下る横Gと共に、わたしを包み込む。佑樹のリクエストで夕飯は青山の和食の店で食べた。青学の反対らへんのごちゃごちゃとした一角の地下にあって、おひつで出て来る白米がとにかく美味しい。佑樹はわたしの二歳下の二十九歳で、音楽プロデューサーとして働いている。付き合ってもう五年くらいが経つが、付き合い始めの頃は殆ど無職みたいな暮らしをしていて、わたしよりもずっと貧乏だったから、外で食事をしたりするとわたしが払うことが多かったのだが、ここ数年で急激に売れっ子になって、二人で食事をすると、意地でも自分が払おうとするようになって、最近は、手に入れたての黒いクレジットカードでなんでもかんでも払おうとするようになった。その和食の店はクレジットカード払いには対応していなくて、何度も来たことがあるのにそのことを忘れていた佑樹は、当たり前のような顔でレジでクレジットカードを差し出して、店員のおねえさんにカードはお使いいただけませんと、無表情で冷たくあしらわれて、渋々財布から現金を出して支払っていた。佑樹は高速道路のすぐとなりのマンションに住んでいる。首都高のそれもかなり交通量が多いあたりなので、明け方近くになると、振動が酷い。もう充分に稼いでるんだから引っ越せばいいのに、とわたしも何度か佑樹に言ってはいたが、お金がなかった頃に背伸びして住み始めた部屋だから、その頃のヒリヒリとした感覚を忘れたくなくて、いまでも変わらず住んでいるのだと、いつか話していた。食事を済ませたあと、中目黒のドンキホーテにわたしたちは寄った。買うのは日用品とか大したことの無いものばかりだが、物欲帝国、とわたしと佑樹はその店のことを呼んでいて、うろうろと店内を回っているとつい色々と買いたくなってしまう。わたしは特に何も買わなかったが、佑樹は五千円くらいするウィスキーを買っていた。佑樹に言わせると、ウイスキーはワインよりも安価に、でもそれでいて奥が深い世界を楽しめるので良い、らしい。佑樹はワインも好きだけれど、ワインは三十歳を超えたら始めるのだといつか言っていた。部屋に帰ると、佑樹は買ったばかりのウィスキーをさっそく飲み始めた。マンションの家賃は十一万円で、すぐ隣のビルの一階に借りている駐車場は三万五円もする。ここ二年くらいで急激に佑樹は稼ぎが増えて、それまでは殆どバイトみたいな賃金でしていた仕事も多かったのに、自分の名前でする仕事が増えたし、雑誌でコラムを書いたりもするようになった。佑樹の部屋には壁一面に横長く広がる大きなデスクがあって、iMacとかMIDI鍵盤とか本とか資料とかが並んでいる。あとはベッドとテーブルでスペースはもういっぱいというような感じの間取りで、流石にそろそろ引っ越さないとなぁ、なんてことを最近は言ったりするようにもなった。わたしのマンションは東玉川というところにあって、駅は田園調布とかが近いが、佑樹が住んでいる三軒茶屋よりもひとまわり家賃が安いし、そのぶん、ひとまわり不便な気がする。わたしは佑樹と一緒に住んでもいいと思っているし、なんとなく、佑樹もそう思っているらしいが、なかなかそれを決定付ける出来事がないからか、そういう話題が具体性を持った形で会話に出てくることがない。この部屋の窓から見える高速道路の振動は、夜を象徴しているような気がする。たくさんの荷物を積んで夜通し走り続けた巨大な車体、佑樹のFJクルーザーの四倍とか五倍とかの大きさはあるだろうという大型のトラックが、東京の街へたどり着き、そして、去っていく。昼間だってそういうトラックは走っているが、佑樹の部屋の窓から眺めているとわかるが、夜のほうが圧倒的にその数は多い。佑樹はベッドでごろごろしているうちに眠ってしまったようだった。わたしは窓際のテーブルに肘をついて、ガラスの向こうを通り過ぎる車の光を眺めた。さっき、なんとなく、お風呂にお湯を張った。佑樹の部屋の風呂は追い焚きが付いていないので、溜まったらすぐに入らないとお湯が冷めてしまう。給湯器から一四〇リットルのお湯が出たことを知らせるベルの音がして、わたしは風呂場に行ってお湯の蛇口を閉めた。台所に戻って、暗がりのなかで点滅しているお湯張りボタンを押して、お湯張りモードを解除した。実家のお風呂も、今のマンションのお風呂も、自動湯張り機能がついているので、お湯が溜まったら自分で蛇口を閉めなくてはならないこのタイプの給湯システムは、佑樹の部屋でしか使ったことがない。ちょっと広めのワンルーム、というだけなので、佑樹の部屋のお風呂はあんまり広くない。換気を切らないと寒いので、わたしはいつも換気扇を切ってからお風呂に入る。脚を曲げて湯船に浸かっていると、ファンが止まった換気扇のダクトから、外の音が聞こえた。聞こえるのは高速道路を通る車たちの遠いおとばかりだが、そのもっと遠くに聞こえるであろう街の音をわたしは想像した。三軒茶屋はなんだかんだで若い街で、平日でも真夜中までたくさんの人たちが、その若さや老いにあまり関係なく、飲んで騒いでいる。そういう喧騒の中に行きたいとは特には思わないし、わたしがそういうところに実際に行ったりすることは殆どないが、キラキラとした夜の街の音を、わたしはこうしてたまに想像したりする。同じ街の音なのに、どうして、朝と夜とではその感じ方がこうも違うのだろうか。佑樹の部屋の窓の無い風呂場の無音の空間に、ダクトを通して聞こえてくる夜の音が響いている。夜はまだ浅く、これから深くなっていく夜のことを思って、わたしは意味もなく、すこしだけワクワクした気持ちになった。そしてその後で、夜の終わりのことを考えて、儚くて悲しい気持ちになった。夜は、これから、深まろうとしている。(2018/02/06/08:25)

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