やりたいことがある明日 〜パワハラやモラハラに気づいたある日〜
こんばんは🌃 花粉症が日々辛い、青空です。早くスギ花粉飛散が終わるといいなぁ。
「やりたいことがある」と「やらなきゃいけないことがある」は、絶対的に違っているな、と最近特に思うのです。
私は、時々、その2つが混ざってしまい、しんどくなることがあります。
以前は特にそうでした。
やりたいことなのか、やらなきゃいけないことなのか、その区別がつかなくて、ごちゃ混ぜにしていたように思います。
その結果、楽しいんだか、義務的な感情なのか、わからなくなり、感情を流していたこともありました。
ごちゃ混ぜにしていた、と気づけたきっかけは、仲間からのパワハラやモラハラに気づいた時でした。
仲間のためにやってきたことがたくさんありました。
こんな言い方はしたくないけれど、仲間のために、心や時間を削り取っていたところもあります。我慢もたくさんしてきました。
そのしわ寄せは、部屋が片付けられない、心の寂しさを物で埋めてしまうことに現れていきました。
パワハラやモラハラをされていた、と気づいた時、私は、「もっと自分を大切にしたい」と、心から思いました。
そして、自分のやりたいことはなんなのか、その上で、やらなきゃいけないことはなんなのか、その区別がほんの少しずつ、つけられるようになっていきました。
例えば、部屋を片付けることは、やらなきゃいけないことだけれど、どちらかと言えば、私のやりたいことに入ります。
ある程度、快適な部屋に住みたい、だから、部屋を片付けたい。ただ、片付けるにしても、根を詰めすぎず、余裕のある時にやろう。
そんなふうに縛りつけられていた心が少しずつ動き始めました。
「明日はどんなふうにやりたいことをやろうかな?」。
そんなふうに思いながら、眠りに入ることがちょっぴり嬉しかったりもします。
夢や理想通りにはいかないけれど、「私らしい生活と人生」を徐々に取り戻す一歩を踏み出せた、とそんなことを思うのです。
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