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The chair-man #8 椅子屋になった男


アパートメントは今から10年ほど前に東京の駒沢で”天童木工PLY”という店をやっていました。

今回はその 天童木工についての話です。



「全部買います。」

20代の頃、古い商店からスニーカーやジーンズのデッドストックを安い値段で仕入れて
東京のショップに何倍もの値段で卸売りをしていた事を思い出した僕は、
“家具のデットストックは無いのだろうか”と思い、古い家具店を探し始めました。

探し始めてに数軒目、天童木工の古い家具が山ほどある家具店に出会いました。
現在も営業している、古町10番町の見田家具屋さんです。

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話を聞くと、見田さんの息子さんが天童木工に勤めていて、退職して家具店を継いだとのこと。

そこには結構な量のデットストックがあったので、「全部買います」と伝えて、
小さなトラック一つ分くらい購入しました。(それも、かなりの安さで。)


それらの家具を販売してみると、徐々にお客さんにも “天童木工かっこいいね”と言って貰えるようになって、
やっぱり天童木工の現行品を販売したいな、という思いが強くなり
色々と調べ始めました。

そして勢いづいて、天童木工に直接行ってみると、けんもほろろに断られてしまいました。

「アパートメントなんて店は知らないし、新潟は山下の家具さんがやっている」と。
(日本の家具業界には、エリア内で決まった取引先の小売店以外には販売しない、という慣行があります。)


何とか天童の現行品を販売出来ないものか

天童木工にきっぱりと断られた帰り、
天童木工本社近くの家具屋さんに入ってみると
デッドストックの天童木工製品が 新潟の10倍くらいありました。
そこでも「全部売ってください」と伝えると、
「全部は売れないけれど ある程度なら、」と言ってもらえたので
今度は2tトラック2台分ほどを購入。
それをアパートメントで販売しました。

その後も、
((何とか天童の現行品を販売出来ないないものか)) と考え続け、
山下の家具にいる知人に相談しました。

すると、
そこまで言うなら卸してあげますよ、と言ってくれて、
山下の家具を通して天童木工を販売するようになりました。

直接仕入れたい、というのが本音でしたが。


いよいよ天童と取引開始へ。

そんな時、様々な事業を新潟で経営していた知り合いのT社長に
「東京の洋服メーカーのK社長が新さんと話したいと言っている」と言われました。
「洋服以外で何か面白い事業は無いか」と探しているとのこと。
彼と色々な話をしましたが、
「今家具メーカーはどこが面白いんですか?」
と聞かれた時、僕は
「天童木工ですよ、まだ誰も注目していないけれど。」と伝えました。

色々と、これまでの紆余曲折を 伝えると、
「じゃあ私が天童木工と話をしますよ。」と言うのです。

K社長はインテリアデザイナーとのコネクションも多かったため
新宿伊勢丹でデザイナーたちと一緒にエキシビジョンをやったことがあるらしく、
彼らに話を通して貰えばいけるんじゃないか、と。

そこからトントンと話が進み、天童木工の商品を直接販売出来る事になりました。


K社長のおかげで 天童を販売できる権利は得ましたが、
僕は 何かもっと深く付き合いたいな と思っていました。


東京デザイナーウィーク

そんな矢先、
当時 毎年やっていた東京デザイナーウィークというインテリアの大きなイベントの話を idee(無印に吸収される前)のアパートメント担当としていたら、
エキシヴィジョンのアイデアで煮詰まっているんですよね。なんて話になりました。
「今 僕は、天童木工に夢中すよ」と伝えたら、
「新さん、それideeの店舗で何か出来ませんか?」と。

当時天童はバタフライスツールがバカみたいに売れていたけど、
それ以外の家具は売っている所もほとんどありませんでした。

そこで「じゃあ、やりますか!」と。

天童に話をしたら、「うちもただ待っているだけでは話題にもならないし、
やれる事があるならやりたい」と言ってくれました。

イベントをやるなら、アートディレクターが必要だよねと言う話になり、
石井 大五さんに話をしました。
(大地の芸術祭でジェームズ・タレルの光の館を設計した方です。)

石井さんとはタレルと会った時に知りあい、
それ以降、知人の家や妹の店舗をデザインしてもらったりと仲良くさせてもらっていました。

アートディレクターの件を伝えると 快諾してくれて、
取り敢えず、天童木工に行くことになりました。


オスカー・ニーマイヤーの家具。

天童木工に行ってみると、倉庫にはとんでもない物がありました。

その頃天童の人たちは自分たちが作っていた昔の物には全く興味が無くて、
そういうものがバンバン倉庫に投げられていました。

そこで見つけたのは、ブラジルの首都ブラジリアをデザインした
ブラジルの巨匠オスカー・ニーマイヤーの家具。

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70年代に天童はブラジルに工場をもっていたので その縁でニーマイヤーの家具を制作していたのだそうです。

「これすごいですよ!」と言っても、その時、誰もそれを知りませんでした。
(その2年後くらいに海外オークションでニーマイヤーの家具が1千万くらいで売られていました。)


そこにあった ニーマイヤーの家具(確か6点くらい)と復刻した天童の椅子を何点か
エキシヴィジョンに出そうと言う事になりました。

それが本当に大盛況で、デザイナーズウィーク特集のカーサブルータスで賞を貰いました。

でも、話はまだそれくらいで止まっていて、
東京でお店をするなんて話には なっていませんでした。


新潟三越

東京から戻ってくると、いきなり新潟三越の営業さんが来て、
「天童木工のエキシヴィジョンを見にideeに行ったら
新潟の人がやっていると聞いて ここへ飛んできた」と。


ぜひ三越でもイベントをやって貰えませんか?と言う話になりました。
三越は展示では無く、販売をしたいと。


その件を天童の人に伝えると、
「デパートでの販売も久しぶりだし、
三越でやると言う事であれば、協力しますよ」というので

催事を一ヶ月くらい 大々的にやりました。

テレビからラジオから、知ってる全部のつてを使って巻き込みました。

そしたら天童が感動して、
当時天童木工の取締役兼デザイナーの菅澤さんに
「すごいね、田村君、意外にやるんだね。」と言われました。

そこでぽろっと「東京で天童のお店をやりたいんですよね」と話をしました。



続く

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