西洋哲学史まとめ①

最終更新日 2022.03.07

 本まとめでは、哲学史上の著名な哲学者の思想の概略をまとめるとともに、各哲学者の重要な哲学用語を概説していく。

存在論的転回

 ギリシャ哲学では、存在とは何か?あるいは世界は一体どうなっているのか?という、いわゆる〝存在〟のあり方を分析する。
 〝世界〟をどのように理解するかというのが、ギリシャにおけるひとつの大きな問題であった。これを「存在論的転回」という。

タレス(BC624頃~BC546頃)

 タレスは、アナクシマンドロス、アナクシメネスとともに、ミレトス学派に属するとされる。
 タレスは、「万物の根源(アルケー)は水である」といった。
 哲学の歴史のなかでこの言葉がもつ意味は、「脱・神話」である。神話ぬきで世界のことを考えたとき、それが世界で最初の「哲学」となった。
 タレスの住むミレトスは港町で、地中海に面するさまざまな地域と交易をしていた。ちがった文化とふれあうことで、自分たちの文化が唯一絶対ではないということに気づいた。神話は国や地域によってちがうことに気づいたのである。ここから、神話を抜きにして世界のことを考え始めたのである。
 ではなぜ「水」か?
 動物でも植物でも種子でも、生あるものは熱をもっていて、湿り気があるが、枯れた植物や死んだ動物は、乾いて干からびていく。ここから、すべての生あるものの源は水であると考えたのである。

アナクシマンドロス

 アナクシマンドロスは、タレスの弟子である。
 アナクシマンドロスは、タレスの「万物の根源=水」という考えに異議を唱えた。タレスの説では、自然界の多様性を説明できないからである。例えば「火」は水と対立するものであり、「万物の根源=水」というタレスの説では説明ができない。
 そこでアナクシマンドロスは、「万物の根源は、無限定なもの(ト・アペイロン)」であるとした。万物の根源を特定のものに限定することはできないとしたのである。

アナクシメネス

 アナクシメネスは、アナクシマンドロスの弟子である。
 アナクシメネスは、アナクシマンドロスの「万物の根源=無限定なもの」という説を批判した。これでは、誰もその存在を確かめようがないからである。
 そこで、アナクシメネスは、「万物の根源は、空気」であるとした。空気は形・状態を様々に変化させるため、万物の多様性を説明することができると考えたのである。

ピュタゴラス(BC570~BC496)

 ピュタゴラスは、世界に秩序をもたらしているものは何かを問うた。
 そして、万物の原理は「数」であるとの考えに至った。万物は数が作り出す秩序の上に成り立っており、これにより世界は「調和」(ハルモニア)をなしていると考えたのである。このような調和的な秩序をもつ宇宙を「コスモス」と呼ぶ。
 
 ピュタゴラスは、イタリア南部のクロトンで、ピュタゴラス教団を作った。
 この教団では、輪廻転生を説き、解脱するには魂の浄化が必要であるとした。そして、魂の浄化のためには禁欲的生活が必要であるとした。
 また、教団では、幾何学や音楽などが研究されたが、これは学問の「調和」を学ぶことにより、魂の「調和」を目覚めさせる、という考えに基づくものであった。

ヘラクレイトス(BC545~BC480)

 ヘラクレイトスは、「万物は流転する」(パンタ・レイ)と考えた。およそ万物は常に変化していると考えたのである。
 また、「戦いこそ万物の父であり、万物の王である」とも考えた。これは、あらゆる現象は、対立のもとに現れるという考えである。例えば、健康と病気、戦争と平和など、万物の対立にこそ「調和」があると考えたのである。
 そして、このような現象の背後にある「調和」の働きを「ロゴス」と呼んだ。
 以上をまとめると、ヘラクレイトスは、万物は流転する、しかしそれはロゴスに基づくものである、と考えたのである。

パルメニデス(BC515~?)

 パルメニデスは、エレア学派を開いた哲学者である。この学派名は、パルメニデスが南イタリアのエレアに生まれたことによる。
 パルメニデスは、存在とはなにか?という問いを追究し、「在るものは在り、在らぬものは在らぬ」という答えを出した。これは、非存在については語ることすらできないというものである。非存在について語りえるのであれば、それは存在することに他ならず、非存在が存在するという矛盾をはらむことになるからである。ここから、生成、消滅、変化、運動、空虚は、すべて臆見すなわち思い込みであるとして否定した。

アナクサゴラス(BC500~BC428)

 アナクサゴラスは、アナクシメネスの系譜に属する哲学者である。
 アナクサゴラスは「あらゆるものには、あらゆるものの部分が含まれている」と考えた。すなわち、万物の根源(アルケー)は「万物の種子」(スペルマタ)であると考えたのである。そして、このような種子が、万物に秩序を与える知性的な原理たる「ヌース」(知性)の働きによって、事物を形作ると考えたのである。

デモクリトス(BC460~BC370)

 デモクリトスは、万物の根源は「原子」(アトム=不可分なもの)であるとした。そして、原子は不生不滅であるが1つではなく無数にあり、原子の配列や形の違いによって万物の多様性が作り出されるとした。
 また、原子が運動する空間としての「空虚」(ケノン)が実在するとし、パルメニデスに反対して非存在の存在性を肯定した。

 一方、デモクリトスは、世界の真実在が何かは究極的には不明であるとし、善悪や魂の問題の方が重要であると説いた。「世界」とは何かといった問いから、人間的問いへの転換を示したといえる。

ゼノン(BC490~BC430・エレアのゼノン)

 ゼノンは、パルメニデスの弟子であり、エレア学派に属する。
 ゼノンは帰謬論法により。パルメニデスの「存在は不変不動である」という説を擁護しようとした。有名なのは「亀とアキレス」のパラドックスである。この話により、アキレスは亀に追いつけないこと=運動は終わらないこと、したがって世界は変化しないことを説明しようとした。

エンペドクレス(BC493~BC430)

 エンペドクレスは、ソフィストが利用した「弁論術」を考案した人物である。
 エンペドクレスは、万物の根源は「地・水・火・風」の4つであるとした。そして、これらは生成も消滅もしないものであるとした。
 一見、生成・消滅と見えるものは、これらが「愛」により混合し、「憎しみ」により分離することで生じるとした。
 このような考え方は、万物の根源とその動因を分けて考えたこと、すなわち二元論的思考に特徴があるといえる。

ソクラテス(BC469~BC399)

 ソフィスト(弁論術を教える教師)であるプロタゴラスは、「人間は万物の尺度である」といった。これは相対主義である。簡単に言えば、人それぞれという考え方だ。このような相対主義の蔓延により、アゴラ(アテナイの広場)での議論は、中身のないものになり、相手を言い負かすだけの弁論術が重宝される時代となってしまっていた。ソフィストたちは無知であることを自覚していなかった。
 ソクラテスは、真理を追究するためには、自分の無知を自覚することが必要であると考えた。無知を自覚してはじめて、真理を探究することができるのである。
 「無知の知(不知の自覚)」は、自らの無知を知ることで真理への情熱を呼び覚まそうとする考えである。
 ソクラテスは、ソフィストたちに無知を自覚させるため、「問答法」(産婆術)という手法を用いた。
 問答法の基本は、相手の議論の中に一旦入り込み、相手にすべてを語らせた後、その言動の矛盾を示すことで、議論そのものを否定するというものである。言わばアイロニーの一つだ。

 ソクラテスは、それ以前の哲学者の多くが「世界」とは何か、という問題に取り組んでいたのに対して、「人間」とはどのような存在か、を問題とした。デモクリトスと同様である。
 ソクラテスは、善であるためには善を知りさえすればよいと考えた。善そのもの、すなわち幸福そのものを知りながら、それを選ばないということはおよそ考えられないからである。このようなソクラテスの哲学は「主知主義」と呼ばれる。

 ソクラテスは問答法で様々な人を論破したことにより、一部の政治家から敵視されるようになった。そして、「アテネの神々を信じない」「青年を堕落させた」という2つの罪で告訴され、人民裁判では死刑が宣告されてしまった。ソクラテスは逃げる機会もあったが、ただ生きるのではなく、よく生きることを望む。ゆえにこれを拒み、毒杯をあおって死んだ。

プラトン(BC427頃~BC347頃)

 プラトンは、ソクラテスの弟子である。
 ソクラテスは、「無知の知」によって、人間の視点から「ものの本質」を追求することを大事にした。このような「ものの本質」を求める作業をプラトンは引き継いだ。
 プラトンは、「ものの本質」=「イデア」と考えた。
 イデアとは、いわば天上界にある完全なるもののことだ。プラトンによれば、現実世界とは実は影のようなもので、ほんとうの世界はイデアのほうにある。
 私たちの魂は、もともとイデア界に住んでいたが、現実の世界に落ちてきて肉体をもった。このとき、イデアのことは忘れてしまった。ところが、現実の世界でそれに近いものを見ると、かつて見たイデアを思い起こす。これによって、それぞれのものを認識できるという。例えばわたしたちは不完全な三角形を三角形として認識できるが、これは三角形のイデアを思い起こすからである。個々の三角形の上には、三角形それ自体がイデアとして存在しているとするのである。このような再認識を「アナムネーシス(想起)」という。

 洞窟の比喩・・・架空の洞窟で、人々が壁に向かい、鎖に繋がれている。彼らは目の前でゆらめく影を実体だと信じている。しかし、そうではない。彼らが見ているのは背後の火の前に置かれた物体が投じる影だ。彼らは壁に映った影を本物の世界だと思って、これまでの人生を過ごしてきたのである。目に見えるものは影であって実体ではない。もちろんここで述べられているのは、実体=イデア、影=現実世界の個物、ということである。そして、この鎖を説いて洞窟から抜けだす者が哲学者なのである。

 プラトンは、知識(エピステーメ)は感覚によっては獲得されないとする。感覚によって獲得されるのは、個物の知にすぎない。しかし、個物は変容するものにすぎないため、その知も変容するものにすぎない。変容しないもの、すなわちイデアについての知のみが知識と呼ぶに値するものである。このように考えることによって、知識は感覚によっては獲得されないとするのである。

 プラトンは、ソクラテスを処刑した民主制に絶望し、哲学に専念するようになった。直接政治に携わるのではなく、その根本にさかのぼって理想的な国家のあり方を探求した。
 プラトンは、国のトップには優れた人物を想定した。その人物は、国を統治するために必要な本物の知恵がある者である。
 では、本物の知恵がある者とはだれか?それが哲学者である。それも、「イデア」という「ものの本質」を探求する哲学者である。「国を統治する者には、哲学者がなるべきである。もしくは、現在の統治者が哲学を学ぶべきである」プラトンはこう考えた。これが「哲人王」が国を統治する「哲人政治」である。なお、後年のプラトンは、哲人政治が実現不可能であると考え、次善策として法治主義をに説く至った。
 『国家』では、想像上の完璧な社会について述べている。哲学者は社会の頂点に位置し、特別の教育を受ける。その一方で、みずからの楽しみを犠牲にして、市民を治める。哲学者の下には国を守るように訓練された兵士、その兵士たちの下に労働者がいて、3つのグループは完全に均衡を保っている。それは理性が感情と欲望を抑制する、均衡のとれた精神に似ている、とプラトンは考えた。
 プラトンは、哲人王を養成するために、学園「アカデメイア」を開いた。

アリストテレス(BC384-BC332)

 アリストテレスはプラトンの弟子である。アリストテレスは、プラトンの開いたアカデメイアで学び、アレキサンダー大王の家庭教師も務めた。万学の祖ともいわれる。

 プラトンはイデア論を提唱し、普遍的で独立した「イデア」の存在を主張した。
 これに対してアリストテレスは、個々のものから超越した、普遍的なイデアのような存在は認めない。証明しようがないからである。アリストテレスはむしろ、個々の具体的なものをどうやって説明するかが重要で、いわば現実的なもの、経験的なものから出発しようという立場にある。換言すると、プラトンによれば、目の前にある物の真の姿(イデア)は、イデア界という、現実世界とは別の世界にあるはずだが、イデア界が実在するかどうかは、決してわからない。そこでアリストテレスは、物の真の姿、普遍的な本性は目の前にある物それ自体に含まれている、という新しい考え方を打ち出した。それは感覚をとおして理解できるのであり、イデア界など信じる必要はない、ということだ。

 アリストテレスは、「ものの本質」=「形相(エイドス)」と考えた。
形相の対概念は「質料」(ヒュレー)である。
 アリストテレスは、実体に関して、その材料・素材となる質料(ヒュレー)と、その設計図となる形相(エイドス)との組み合わせで理解する。形相は個物から離れて独立に存在する実体ではなく、むしろ個々の質料のなかに本質として内在すると考えた。例えば人間の場合なら、身体が質料、魂が形相であり、両者が組み合わさって人間という実体が成立するのであり、身体から離れて魂だけが存在することはできない。また、木製の机であれば、その素材(質料)が木なら、脚と平面をもった机の形が「形相」である。当然、机にもさまざまな形があるが、どんな机でも「机」と呼ばれるからには、個々の違いを超えた共通の本性が含まれている。そうした、いわば「机性」こそ、机の形相なのである。

 アリストテレスは、自然界に存在する原因は、すべて①質料因、②形相因、③動力因(又は始動因)、④目的因、の4つに還元されるとする。これは、家の建築に例えるなら、木材やレンガなどが①に、家の設計図が②に、大工や左官が③に、その家に”住む”という目的が④に該当することになる。これを「四原因説」という。これにより万物の変化や運動をすべて説明できるとした。

 「木」という素材には、仁王像になる可能性があれば机になる可能性もある。アリストテレスは、元の木の状態を「可能態(ディナミス)」と呼び、実際に仁王像や机になった状態を「現実態(エネルゲイア)」と呼んだ。

 アリストテレスは「いかに生きるべきか」を問い続けた。アリストテレスの答えは、簡単に言えば「幸福を求めること」である。この幸福をギリシャ語で「エウダイモニア」という。
 では「エウダイモニアに到達する可能性を高めるには何をすればよいか」。アリストテレスの答えは「徳性を養う」ことだった。徳性を養うには、中庸であることが肝要であるとされる。
例えば、勇気(の徳性)は無謀と臆病の中間にあるとされる。これは、アリストテレスの「中庸」論と呼ばれるものである。

不動の動者=神
 アリストテレスの地球中心説的な世界観・宇宙観においては、地球が宇宙の中心にあり、宇宙の最外層には、その諸々の運動の原因となっている、何者にも動かされずに自足しつつ他のものを動かす「不動の動者」が控えている。
 アリストテレスは、これを「神」(テオス)である、とも述べている。この「神」概念が、中世のスコラ学、特にトマス・アクィナスに受け継がれてキリスト教神学に大きな影響を与えた。

経験主義と合理主義(理性主義)

 私たちが物事を知るのは、経験を通して、そこから〝知識〟が生み出されているという立場が「経験主義」である。
 これに対して、知識そのものを成立させるのは、経験からではなく、私たちが生得的に生まれ持ったひとつの能力、知性的な能力によって、それが理解できるのだという考え方が「理性主義」あるいは「合理主義」と呼ばれるものである。
 プラトンは学問として理念的な数学を重視したが、アリストテレスは経験から出発する自然学を発展させている。こうした対立のため、プラトンに由来する「合理論」と、アリストテレスに結びつく「経験論」が哲学の歴史の中で大きな潮流を形成した。

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