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アメリカン・ポップス・クロニクル 1960年代編 ch.5 (2)

Flip and Nitty

ニューヨークはブルックリン出身の作曲家アーロン・シュローダー、彼のソングライターとしての最初の頃の作品は"At a Sidewalk Penny Arcade" ザ・クルーニー・シスターズ、ローズマリー・クルーニーのデビュー曲でした。その後、音楽出版社ヒル・アンド・レンジのスタッフ・ライターとして、エルヴィス・プレスリーの"A Big Hunk o' Love"('59 #1)、"Stuck on You"('60 #1)、"It's Now or Never"('60 #1)などを書いていました。

1960年、アーロン・シュローダーはムジコール・レコードを起ち上げました。同年、コネチカット州ハートフォード出身のジーン・ピットニーと契約、合わせてマネージメント契約も結びました。61年の"(I Wanna) Love My Life Away"はピットニーが全ての楽器を演奏して、複数のヴォーカルパートをオーバーダビングしたもので、彼の2枚目のシングルとしてリリースされ、ポップ39位のヒット曲でした。そして、次のピットニーのヒット曲 "Every Breath I Take"はフィル・スペクターがプロデュースして、42位という結果でした。

1961年、フィル・スペクターはロスアンゼルスに戻ってきて、レスター・シルから最初の仕事を依頼されました。レスター・シルとリー・ヘイゼルウッドが作った新しいレーベル、グレッグマーク・レコードと契約したパリス・シスターズのプロデュースです。パリス・シスターズのキャリアは長く、1953年頃から活動していまして、デッカから10枚程シングルを出していましたが、良い結果を残せずにいました。スペクターは、彼女らへの新しいアプローチとして、末っ子のプリシラ・パリスをフロントにもってきて、歌唱法も抑えめにと指導しました。移籍後最初シングルの"Be My Boy"はポップ56位でしたが、次の"I Love How You Love Me"は全米5位のヒット曲になりました。

フィル・スペクターとレスター・シルは、新しいレコード・レーベル、フィレス・レコードを設立しました。スペクターは、音楽出版社ヒル・アンド・レンジを通じて、第1号のアーティストとしてクリスタルズと契約しました。フィレスからの最初のシングルは"Oh Yeah, Maybe Baby"/"There's No Other (Like My Baby)"のカップリング、パリス・シスターズの"I Love How You Love Me"がチャート最高位の5位に達した日、10月30日にリリースされました。バーバラ・アルストンがリード・ヴォーカルの"There's No Other (Like My Baby)"は62年1月6日付けチャートでポップ20位と、まずまずのスタートをきりました。

続くシングルは、バリー・マン=シンシア・ワイル作の"Uptown"で、リード・シンガーは同じくバーバラ・アルストン、ポップ13位の好成績で、スペクターは秘密裏にアルドン・ミュージックと提携を結んでいました。

62年、スペクターはリバティ・レコードとプロデュース契約を交わし、東海岸のA&Rとしてニューヨークにオフィスを持ちました。そしてある日、アーロン・シュローダーの事務所で、自分が1年前にプロデュースしていたジーン・ピットニーが書いた曲を聴きました。その曲はリバティ・レコードからヴィッキー・カーがリリースする予定で進んでいました。

スペクターはその曲は必ずヒットすると確信し、クリスタルズの次の曲にと考えて、リバティでの仕事を断ってロサンゼルスに戻り、アーロン・シュローダーにジーン・ピットニーの曲の提供を依頼します。スペクターのもとにその曲が届いたのは、6月末でした。クリスタルズの次のレコーディングは、ゴールド・スター・スタジオで7月13日に予定されました。アレンジャーのジャック・ニッチェとサックスのスティーヴ・ダグラスがレコーディング・メンバーを集めて、ドラムはハル・ブレイン、ピアノはラリー・ネクテルとアル・デルロイ、ギターはトミー・テデスコとハワード・ロバーツ、ベースはレイ・ポールマンとジミー・リードでした。

スペクターは最初からクリスタルズを使うつもりはなかったのかもしれません。彼はレスター・シルにガールグループの選定を依頼して、ブロッサムズが紹介されました。"He's A Rebel"のレコーディングは、ダーレン・ラブのリード・ヴォーカルで行われました。エンジニアはラリー・レヴィン、この後のスペクター・サウンドには欠かせない人物です。クリスタルズ名義で8月にリリースされた"He's A Rebel"は、9月8日付けチャートで初登場すると、11月3日付けチャートでNo.1を獲得しました。この曲は順位もさることながら、スペクターがレコーディングで掴んだものは大きく、新しい音造りの方法を手にしたと思います。

62年10月、ダーレン・ラブとブロッサムズのファニタ・ジェームス、男性コーラスのボビー・シーンの3人の新しいグループ、ボブ・B・ソックス&ザ・ブルージーンズの"Zip-A-Dee-Doo-Dah"をリリース。ポップ8位のヒットでした。この頃、レスター・シルはフィレス・レコードから去っていきました。

(2022/03/06)

ch.5

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Tedesco and Pitman (2022/03/08)

ch.4

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2.Power Blues & Sophisticated Soul (2022/02/18)
3.I'll Go Crazy (2022/02/20)
4.Do You Wanna Go With Me (2022/02/23)
5.I Got Lucky (2022/02/25)
6.The Lovin' Touch (2022/02/28)

ch.3

1.サーフビート・ゴーズ・オン (2022/01/29)
2.A Sunday Kind of Love (2022/02/01)
3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
4.West Coast R&B (2022/02/05)
5.くよくよしないぜ (2022/02/06)
6.誰にも奪えぬこの想い (2022/02/10)

ch.2

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2.ブロンクス・スタイル (2022/01/15)
3.ツイストが2度輝けば (2022/01/21)
4.太陽を探せ (2022/01/22)
5.1961年のNo.1 R&Bソング (2022/01/25)
6.Romancing the '60s (2022/01/27)

ch.1

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2,1960年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
4.インストゥルメンタル・ヒット (2022/01/04)
5.60'Sポップスの夜明け (2022/01/05)
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