見出し画像

アメリカン・ポップス・クロニクル 1960年代編 ch.4 (6)

The Lovin' Touch

1944年に発表された"Twilight Time"は、スリー・サンズのヒット・レコードでした。この曲は58年にバック・ラムが歌詞を書き、プラターズが歌ったバージョンが全米ポップ、R&Bともに1位を獲得しました。スリー・サンズのメンバーはアル・ネヴィンズ、モーティ・ネヴィンズ、アーティ・ダンの3人。1954年頃、アル・ネヴィンズはレコード制作に興味を持つようになり、また体調を崩したこともあり、スリー・サンズを離れます。

1956年、デッカ・レコードからデビューしていたボビー・ダーリンの楽曲制作のパートナーは、ブロンクスの高校時代の友人のドン・カーシュナーでした。2人はCMのジングル曲を作ったり、ラジオ・スポットを作ったりしていて、その仕事の縁でコニー・フランシスに楽曲提供もしていました。しかし、このコンビはあまり良い結果を残せず、ドン・カーシュナーは音楽出版社に就職して、音楽出版の流れや仕組みを学んでいきます。

プラターズがカバーしてリバイバル・ヒットした"Twilight Time" 、この曲が作者のアル・ネヴィンズと出版界にいるドン・カーシュナーを結びつけました。ネヴィンズには資金力、実績、経験、人脈がありました。20才程年下の若いカーシュナーは、若いリスナー向けの音楽を専門に扱う出版社を作り、若いソングライターを抱えて育てることで、多くの楽曲を提供できるようになると力説し、2人は提携してアルドン・ミュージックを設立しました。1958年5月のことでした。

1956年 The Cloversのシングル曲"Bring Me Love"、この曲の作者は、ハワード・グリーンフィールドとニール・セダカです。この2人はNYブルックリンの出身で、ニール・セダカの歌声をアパートの隣人が聞き、その事を友人で作詞家を目指すハワード・グリーンフィールドに伝えて、2人の作家コンビが誕生しました。アルドン・ミュージックの門を最初に叩いたのは、この2人でした。

ドン・カーシュナーはニール・セダカとニュージャージーに向かい、コニー・フランシスと引き合わせました。ニール・セダカが彼女に用意した曲が"Stupid Cupid"で、結果はポップ14位のヒットになりました。59年には彼女の大ヒット曲「カラーに口紅」のB面曲"Frankie"もセダカ=グリーンフィールド作で、ポップ9位の両面ヒットでした。

次に彼らに依頼されたのは、リトル・アンソニー&ザ・インペリアルズの"Tear’s On My Pillow"の次の曲で、2人が用意した曲は"The Diary"でした。しかし、この曲はインペリアルズにはフィットせず、アル・ネヴィンズの勧めもあり、セダカ本人がレコーディングしました。RCAと契約したニール・セダカのデビュー曲は、ポップ14位のヒットになりました。

ニューヨーク市マンハッタン区の49丁目通り、タイムズ・スクエアの少し北にあるブロードウェイ1619番地の灰色のビル、いわゆる『ブリルビルディング』、この中にたくさんの音楽出版社が入っていました。このビルでは、曲の発注からプロデュース、作詞・作曲、録音、宣伝までが、流れ作業のようにこのビル内で完結していました。まさに「ポップソング工場」です。アルドン・ミュージックは、そのブリルビルディングから少し離れた、ブロードウェイ1650番地にオフィスを構えていました。

ポール・サイモンとキャロル・クラインはクイーンズ・カレッジに通っていた頃に友人になり、2人はThe Cousinsと名乗り、デモを作って、ホワイト・ドゥーワップ・グループのThe Passionsが全米69位にしていました。その後キャロルは夜間学生のソングライター、ジェリー・ゴフィンと出会い、結婚しました。キャロル・キングは高校時代ニール・セダカと付き合っていて、お互い"Oh! Carol"と"Oh! Neil"を歌い交わしていた経緯もあり、ドン・カーシュナーは若い夫婦にアルドン・ミュージックとの契約を提案しました。60年11月、ゴフィン=キング作の"Will You Love Me Tomorrow"をシュレルズが歌い、61年に全米ポップ1位を獲得するヒット曲となりました。同年、ボビー・ヴィーの"Take Good Care of My Baby"が1位、翌62年はリトル・エヴァの"The Loco-Motion"、スティーヴ・ローレンスの"Go Away Little Girl"がともに1位と破竹の勢いで、60年から63年に彼らが書いたTop 40 ヒットソングは14曲ありました。 

1962年、ドン・カーシュナーは新しいレコードレーベルのディメンション・レコードを起ち上げました。このレーベルは、ガールポップサウンドの紹介が主で、リトル・エヴァの"The Loco-motion"が最大のヒット曲で、キャロル・キングの"It Might As Well Rain Until September"はポップ22位、バックヴォーカルを務めることが多かったクッキーズの"Chains"は、ポップ17位、R&B6位、"Don't Say Nothin' Bad (About My Baby)"はポップ7位、R&B3位のヒットでした。"Chains"はビートルズのカバーでも有名です。

アルドン・ミュージックと契約している作曲家の多くは、作詞家とコンビを組んで作曲活動をしていましたが、なかには特定の作詞家と組まず活動する作家もいました。ジャック・ケラーがそのタイプで、その時々でいろんな作詞家と組んでいました。その中でも、ハワード・グリーンフィールドと組むことが多く、60年 コニー・フランシスのNo.1ソングの2曲 "Everybody's Somebody's Fool"と"My Heart Has a Mind of Its Own"は彼らが書いた曲でした。

そのジャック・ケラーの紹介でアルドン・ミュージックと契約したのがバリー・マンでした。バリー・マンが書いた初期のヒット曲は、59年マイク・アンソニーと共作したザ・ダイアモンズの"She Say (Oom Dooby Doom)"で、ポップ18位のヒットでした。これを機に、彼はJDSレコードからソロ・デビューしました。60年にはハンク・ハンターとの共作でスティーヴ・ローレンスに"Footsteps"を提供し、ポップ7位のヒットになりました。61年にはラリー・コルバーとの共作でパリス・シスターズの"I Love How You Love Me"がフィル・スペクターのプロデュースでポップ5位を記録するヒットでした。

61年のバリー・マンは、同じアルドン・ミュージックと契約していたシンシア・ワイルと出会い、作家コンビを組みました。2人の初共作は、トニー・オーランドに書いた"Bless You"で、ポップ15位のヒットでした。このコンビは63年までに20曲のヒットソングを書きました。バリー・マンの作風は幅広く、純粋なポップス調、ソウルフルな曲、カントリー・タッチの曲と、書き分けることができる優秀な作家でした。

また、バリー・マンはアル・ネヴィンズとドン・カーシュナーの提案でABCパラマウントからソロ再デビューして、ジェリー・ゴフィンとの共作でノベルティ・タイプの"Who Put the Bomp (in the Bomp, Bomp, Bomp)"をポップ7位とヒットさせました。そしてバリー・マンとシンシア・ワイルは、お互いの人生のパートナーにもなりました。

1962年には、アルドン・ミュージックの専属契約作家は18人いたということですが、ヒット曲のほとんどが、セダカ&グリーンフィールド、ゴフィン&キング、マン&ワイルの3組によるものでした。彼らはお互い.、時には熱い友情で協力し、時には激しい闘争心を持ち、数多くのヒット曲を創っていきました。

1963年4月、アルドン・ミュージックは全事業をコロンビア映画・スクリーンジェムズに売却し、ドン・カーシュナーはコロンビア映画・スクリーンジェムズの出版・録音活動を担当する取締役副社長に就任しました。アル・ネヴィンズはコンサルタントとして一緒に移っていきました。このことにより、ドン・カーシュナーは、ニューヨークとロサンゼルスにオフィスを持つスクリーン・ジェムズ出版社の責任者となり、レコード・レーベルとしてはコルピックス・レコードを持つことになりました。

ドン・カーシュナーが来る前にコルピックスでポップ1位を獲得していたのは、61年マーセルズの"Blue Moon"、62年シェリー・フェブレーの"Johnny Angel"がありました。

1966年、コルピックス・レコードは、スクリーン・ジェムズとRCAビクターの提携によりコルジェムス・レコードと名称を変え、モンキーズを中心に配給していくレーベルになりました。

「私が死んだ後、孫たちがこの曲を口笛で吹いてくれると信じています。私が出版したことを知っていようがいまいが、『マイ・フェア・レディ』や『キャメロット』の歌を口ずさむように、これらの曲もアメリカの文化の一部として、映画などでも使われるようになるだろう。私が与えたすべての遺産の中で、個人的には、私がハーレムのストリートから、父の仕立屋から生まれ、この音が永遠にアメリカや世界の文化の一部となる環境を作ることができたことが非常に重要です」
ドン・カシュナー

(2022/02/28)

ch.4

ビートにしびれて (2022/02/13)
Power Blues & Sophisticated Soul (2022/02/18)
I'll Go Crazy (2022/02/20)
Do You Wanna Go With Me (2022/02/23)
I Got Lucky (2022/02/25)

ch.3

1.サーフビート・ゴーズ・オン (2022/01/29)
2.A Sunday Kind of Love (2022/02/01)
3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
4.West Coast R&B (2022/02/05)
5.くよくよしないぜ (2022/02/06)
6.誰にも奪えぬこの想い (2022/02/10)

ch.2

1.シビレさせたのは誰 (2022/01/14)
2.ブロンクス・スタイル (2022/01/15)
3.ツイストが2度輝けば (2022/01/21)
4.太陽を探せ (2022/01/22)
5.1961年のNo.1 R&Bソング (2022/01/25)
6.Romancing the '60s (2022/01/27)

ch.1

1.1959年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
2,1960年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
4.インストゥルメンタル・ヒット (2022/01/04)
5.60'Sポップスの夜明け (2022/01/05)
6.R&B、ソウルミュージックの躍進 (2022/01/07)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?