夜の底を救いあげる


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 火の玉、人魂、鬼火などと呼ばれる現象は実は現象ではなくモノ、つまりあの世から死者が飛ばしたドローンなのである——という説があるのをご存知だろうか。
 わたしがこの珍説の存在を知ったのは、いまから約10年前、ある眠れない夜のことだ。
 当時のわたしは、生まれ故郷の大阪から母方の祖母が暮らす奄美大島に引っ越してきたばかりだった。
 夢と希望と仕事を失くした故郷から裸足で逃げだし、ほとんど身ひとつでたどり着いた新しい住処にはコップさえなかった。
 あの夜、何日も敷きっぱなしの布団にうつ伏せで寝っ転がったわたしは、紙パックの黒糖焼酎をそのまま煽りつつ、ハイライトを吸い、二つ折りの携帯電話でTwitterを眺めていた。
 わたしは疲れていた。人生に倦み、酒に溺れていた。新米介護士として特別養護老人ホームで働きながらも、世間には背を向けていた。職場には仕事仲間が幾人かいたのだが、心を許し合える友人や恋人はいなかった。悲しいかな、だれに言われるまでもなく、あの当時からソーシャルディスタンスを守っていたのだ。
 わたしは自分のことをとても寂しい生活を送っている哀れな男だと思っていた。が、いまも友人や恋人はいないのだ。つい半年前に結婚というものをしたのはしたが、妻は友人や恋人ではない。妻だった。
 妻は仕事仲間のひとりだった。それがいつの間にか妻になっているのだから、人生とは奇妙なものである。
 あの部屋にはテレビもタンスもテーブルもなかった。本棚もなかったが、本はそこらじゅうに乱雑に積まれてあった。カミュ、南木佳士、カルヴィーノ、酒見賢一、ヘミングウェイ、川端康成、カフカ、サン=テグジュペリ、坂口安吾、忌野清志郎、島尾敏雄、曽野綾子、白石一文らが足の踏み場もないほど散らばっていたので、いまから思えばそれほど寂しくなかったのかもしれない。
 いま現在、わたしの側には妻と猫とアルミの灰皿しかいない。本はすべて、妻の故郷である滋賀県へ引っ越す際に、奄美大島のクリーンセンターで焼いてもらった。
「寂しい」の対義語が「賑やか」であると知ったのはついさっき、この文章を書いている最中である。もう少し違うものを予想していたので、そうか賑やかなのかあーと、変に拍子抜けしてしまった、というのは余談です。
 あの当時、わたしは犬を飼っていた。バランスボールほどの大きさの立派なビーグル犬だ。「銀次郎」と名付けたが、わたしがいくら呼んでも振り向いてくれたことは一度もなかった。というか、銀次郎にはほんとうの名前があった。
 スヌーピーである。
 チャーリー・ブラウンが飼っているというかチャールズ・M・シュルツが描いたあのスヌーピーだ。
 スヌーピーの名前の由来をGoogle検索すると、「スヌーピーは飼い主であるチャーリーの名前をいつまで経っても憶えない」という面白そうな設定が見つかったのだが、わたしは漫画というものを一切読まない人間なので、それが本当かどうかを知らない。スヌーピーの名前の由来のほうはあまり面白いとは思えなかったので、申し訳ないがここでは紹介しない。興味がある方はご自分で検索なり詮索なりをしていただけたらと思う。
 で、それはまあとにかく、銀次郎はほんとうの名前で呼ばれても振り向かない犬だった。決して振り向かず、鳴きもせず、尻尾も振らない無愛想な犬というか犬のぬいぐるみというかスヌーピーのぬいぐるみだった。しかしわたしはそれでもよかった。いや、それだからこそよかったのだ。椅子もなく、バランスボールもない部屋だったので、食事を取るときなどは銀次郎を椅子の代わりにしていたことを、ああ、わたしはいまでも鮮明に憶えている。
 奄美大島はその面積のほとんどを低い山々が占めている。日照時間の短さが日本一なのだと、嘘か本当かは知らないが、島のだれかに聞いたこともある。
 わたしが銀次郎を見つけたのは暗い山道を仕事帰りに車で通りかかったときだった……
 こうやって銀次郎の話をしだすと、涙で目が曇り、パソコンのディスプレイが朧で、キーボードがうまく打てなくなってしまう。結果、誤字脱字が増え、打ち直すこと数回目、彼のことを書くのは諦めた。
 あの夜の話に戻ろう。
 部屋のすぐ裏が集落の墓地で、いわゆる火の玉と呼ばれる何かは酔っぱらった脳と目で幾度か見かけたことがあった。
 酒を飲みながら読書をしていると、窓の外が薄ぼんやりと明るくなっていることがある(そういえば、あそこにはカーテンもなかった)。
 明かりは決してひとつではなく、大抵は五つか六つ、多くても十はいかないくらいだった。それらは「火の玉」などと呼ばれるくらいだから球状にできている。チョコボールぐらいのほんの小さなものからサッカーボールほどのものまで、大小さまざまにあった。
 当時のわたしは、ああ、こいつらはこれ以上わたしの視力が悪くならないようにと読書の手助けをしてくれている「やさしい奴ら」なのだと勝手に理解していた。たぶん、そのほうがいいと思っていたのである。
 わたしがどれくらい目が悪かったのかといえば、眼鏡をしたまま熱いシャワーを浴びる人間はそうはいないだろうが、わたしはしたまま浴びていたとでも証言すれば事足りるだろうか。こんなに近くにある自分の体、この世界で物理的にいちばん近い存在である自分の体でさえ朧に見えてしまい、眼鏡がないと、わたしの手がわたしの体のどこを洗っているのかわからなくなることがしょっちゅうあったのだ。
「百歩譲って自分の体が見えなくなることはあり得るかもしれないけど、生物には触覚というものがあるわけで、体のどの部位が触れられているのかわからなくなるなんてことがあるわけないし、ましてや自分で自分の体を触っているわけで、触る方も触られる方も自分なわけでしょ? そんなこと、まずありえないよ」
 わたしは、下読みを兼ねて、完成していない原稿をたびたび妻に音読してもらうことがある。他人の声で読んでもらうことで文章の不備が見つかるということがよくあるからだ。先のカギ括弧内の発言は妻のものである。つまり、わたしは妻に赤字というかツッコミを入れられたというわけだ。
 わたしは反論した。「そんなこともあるんだよ」と。
「たしかに、触覚というものは髪の毛一本を踏んでも感じてしまうような、ある意味で過敏なものだ。それがなくなってしまうことは想像しにくいし、逆にいうと、過敏であるが故に普段はあまり意識されないものなのかもしれない。よく漫画やドラマなんかで、夢かそうでないかを確認するために自分のほっぺたをつねるなんていう、明らかに嘘くさいシーンがあるけれど、あれなんかは触覚の特異さをよく表しているよね。これは夢ではなくて現実である、わたしは現実にいる、つまり自分が実在しているという実感を得るためのもっとも原初的な方法が触覚であり、痛みというわけだ。自分の実在を自分で疑ったときにはじめて触覚に頼るほど、人間はいま、触覚をあまり意識しないでも生きていける、めちゃくちゃ安全で安心な、いわば痛みのない社会に生きているとも言えそうだ。たとえば、ビートたけしというタレントがいるよね。松村邦洋がビートたけしのモノマネをするときは、「自分のほっぺたをつねる」という仕草を多用するほど、あれはビートたけしの特徴になってる。あれってたぶん、事故の後遺症で顔の右側に麻痺が残っているからだと思うんだけど、でもさあ、そういうことって、おれたち介護士の現場ではよくあることじゃない?」
(無論、現在のわたしは違う。髪を洗うときは目を閉じている。目と眼鏡は、目と水中眼鏡のようには一体となっていないからだ。目と眼鏡の間にはシャンプーに汚染されたお湯が侵入できるほどの隙間がある。汚染水に汚染された目はどんなに度の強い眼鏡を通しても世界を見ることができなくなる。目、汚染水、そして最後に眼鏡という順番で見る世界には痛みしか残らない。そんな世界は嫌だ。だからわたしは眼鏡を外し、目を閉じて頭を洗っているのである。痛みだけの世界を実現させないために、わたしは眼鏡を外し、目を閉じているのだ。眼鏡を外し、目を閉じたわたしはわたしと一体となり、わたしの手はわたしの髪と一体となる。過去のわたしはわたしの体を探すあまりにわたし自身を見失っていた。しかし、いま現在のわたしは、目ではなく耳で、わたしとわたしの体が一体であることをよく知っているのである)。
 わたしの部屋はアパートの二階にあった。墓地からそこまでの距離をわざわざ飛翔して来てくれるのだ。そんな彼らを「やさしい奴ら」と言わずして何と言おうか。土砂降りの雨の日なんかは「お足元の悪い中」という紋切り型の敬語表現を使うべきかどうかを迷っていたほどだ。
 普通、火の玉と呼ばれる何か相手に敬語表現を使おうとは思わないだろう。が、彼らはやさしい。決して口に出して言うわけではないが、心の中でどう、どのような言葉で感謝を表せばいいのかと、これは実は敬語表現ではなく差別表現なのではないのかと、いつも眠い頭で迷っていたのである。
 しかし、あれがドローンなのだとしたら。
 ——あなたが火の玉と呼ばれる何かを見るとき、火の玉と呼ばれる何かもまたあなたを見ているのだ。
 ということになる。
 アパートは山裾にあったし墓地のすぐ横に小川が流れていたしで、カエルやら野鳥やらよくわからない虫の声などの擬音表現が常に爆音で鳴っていた。
 ひゅー、どろどろどろ、どろーん。
 四六時中、それこそ熱いシャワーを浴びている最中でさえ度の強い眼鏡をかけていたわたしだったが、火の玉と呼ばれる何かを見つけると眼鏡を外し、裸眼でそれらと対峙したものだ。それらの向こうに広がっている(であろう)自然の風景を想像しながら、わたしは裸眼で(ときに全裸で)、しかしわたしは窓越しに世界を見ていた。
 あの夜も、わたしはよくわからない音たちに囲まれていた。あの夜とは、〝あの夜〟だった。わたしにとって夜はいつも昼より長かったが、あの夜は特別に長く、賑やかだったように思う。
 わたしは眠れない自分とふたりきりで黒糖焼酎を飲み、ハイライトを吸い、二つ折りの携帯電話でTwitterを眺めていた。
 窓の外で燃え盛る火の玉と呼ばれる何かの群れと銀次郎に見守られながら、Twitterのタイムラインを右手の中指で上下させて、そして眠たい頭で……
 あの部屋にはコップさえなかった。

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