鈴木朝子(編集者/APIX)

企画編集事務所内で、人と本との関係を描いた「高校生と、かつて高校生だった人たちのための…

鈴木朝子(編集者/APIX)

企画編集事務所内で、人と本との関係を描いた「高校生と、かつて高校生だった人たちのための読書案内」と、人物ルポルタージュウェブマガジンを運営。1977年生まれ。 http://www.j-apix.co.jp/kaiko http://www.j-apix.co.jp/books

最近の記事

02 HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE

 高校生の頃、rotringというドイツの会社の「Tikky」というシャープペンシルが流行っていて、それはソニプラ(いまはPLAZA)に行かないと買えなくて、友達と一緒に新しい色を買いに行くのが楽しみだった。それぞれが選んだ色も、毎回ではないけれど憶えている。陸上部にいたのでスパイクやランニングシューズも時々買い換える必要があって、それを学校の近くのスポーツ用品店で買うのもやっぱり楽しくて、そこで選んだ色やかたちが陸上選手としての自分の特徴になるくらいのつもりで(田舎の学校の

    • 01 紀伊國屋書店新宿南店

       臨時休校を受けていくつかの版元が、休校で家にいる子どもたちのために電子書籍を無料公開した。そのことを聞いてまず思ったのは「よかったな」で、次に思ったのが「本屋さんたちが…」ということだった。外出を避けるのなら本屋さんに行くことだってできないけれど、そこまで厳密にならなければ家にこもる準備として本を買うという選択肢ははあるはずだし、子どもたちにとって「家にいる時間が長くなるから読む本を選びに行く」というのは豊かな経験だと思った。版元のボランタリティを感じることとは別で、その機

      • 「名前のないうさぎ」

          『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』(リチャード・アダムス)について  ずっと昔、通っていた学校のクラスに、逆立ちしてもかなわない友だちが何人もいた。魅力的で強力なリーダーシップがあったり、ちょっとおそろしいほどモテたり、何をしてもおしゃれだったり、圧倒的な行動力があったり、とにかくそういう女の子たちが身近にいた。  付き合いは今も続いていて、用があれば一緒にごはんを食べるし、今年の夏にも集まって飲んだし、地元でばったり会うこともある。だからあの頃のようにただ舌を

        • 人間の奥深くに届くもの、そして社会を動かすもの

          桜井鈴茂さん 小説家 取材・文/鈴木朝子  失業中の元パンク・ロッカー、非正規雇用のフリーター、諦めきれない夢を追う中年。敗残者ともいえる人々、あるいは人生の際(きわ)に立ち尽くす人々を描いた作品群は、ひとつのカテゴリを築いたとして評価され、そこには熱心な読者がついた。桜井鈴茂作品に登場する人物──社会のシステムに上手く適合できず痛みを抱いたまま歩き続ける人々のいびつな足跡に、自分の足を置いて物語のなかを歩くうち、システムに順応しながら器用に生きていくことのほうがよほど危

        02 HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE

          過去から未来を見つめるひと

             編集者・鵜沼聖人さん 企業史制作ディレクター/旧DNP年史センター代表取締役 取材・文/鈴木朝子  企業が重ねてきた歴史を記し、未来を見つめるための糧とする本のことを「社史」と言う。日本最大手の印刷会社である大日本印刷株式会社に、社史制作を専門とする部門がある。2000年から2012年までのあいだ、この部署は株式会社DNP年史センターという独立した組織だった。同社の代表を務めていた鵜沼聖人さんは、2019年1月、自身の誕生日をもって大日本印刷株式会社を退職した。退

          過去から未来を見つめるひと

          「センチメンタル」

          『紙の動物園』(ケン・リュウ)について  「あの猫を拾った習志野の家」  前に住んでいた家を、ときどきそう表現する。仕事ばかりしていた時期であまり家にいなかったので、家関係の記憶があまりないといえばないけれど、結婚してからふたりで6年も住んでいたのだから、思い出は猫のほかにいくらでもある。まして猫と一緒にいたのはほんのわずかな時間のことで、あの家の思い出が「猫を拾った」に集約されるのは不思議でもある。  猫と会ったのは、駅まで続く長い一本道だった。道の真ん中に佇んでいた小さ

          「センチメンタル」

          「自分だけが大切にしていた」

          『クリスマスの思い出』(トルーマン・カポーティ)について  私が小学生だった時代は、環境問題がまだぼんやりしていて、各地の学校には「焼却炉」があった。校庭から見てたいてい校舎の裏手に建てられていて、そこで校内のごみが燃やされる。掃除当番で校庭を掃除する担当の日に、たくさん集めた落ち葉を持っていって、落ち葉が焼却炉に放り込まれる音も匂いも好きだった。  そこにいたのが「真壁さん」という人だった。用務の先生とか、用務のおじさんとか、子どもによって呼び方は違ったけれど、校内のあち

          「自分だけが大切にしていた」

          「追慕の記」

          『最後の冒険家』(石川直樹)について  ところでメールのなかでぼくのことを「◯◯様」と呼ぶのを止めてもらえませんか?  と返信をいただいた。堅苦しいのが嫌だったのだろうし、そういう仲でもないだろうという気持ちでいてくださったのだろうとも思った。相手は仕事の発注元で、個人としてはいつも慕うばかりの20も上の年長者。「いやそう言われましても」と思いながらも従ってみた。「◯◯さん」と呼びかけてみたら、メールで伝えたいことがどんどん増える。恩恵を受けたのはこちらばかりとは思うけれど

          「きらめきのほかに呼びかたのない」

          『光抱く友よ』(高樹のぶ子)について  高校生の頃、生年月日の数字をひと桁ずつ足していって、その合計の数字から運命を占うゲームが流行った。  1977年なら、1+9+7+7+……ということですね。  そうしたら私たち運命おんなじだね、と思ったのは、そのころ仲の良かった友達の誕生日が1977年12月12月で、私のが1977月11月22日だからで、要は足すと同じ数字になる。同じだったのはその数字だけではなくて、身長も体重もだいたい同じで血液型も同じ、どちらもふたり姉妹で妹の年齢

          「きらめきのほかに呼びかたのない」

          「あわあわ」

          『1973年のピンボール』(村上春樹)について  好きな作家を聞かれてこの人の名前を挙げることはあんまりないし、新刊があまりに話題になるとスルーすることもある。でも、この人の新作がいつか読めなくなったらどうしよう、と思う。それが村上春樹さん。  村上春樹作品が好きなのは、「働いて、生活して、生きていく」という基本のところが丁寧に描かれていて、そこを読むのが大好きだからだと思う。そういう描写を読むことが、自分の日常に絶対に必要だから、といいますか。  私の仕事は、原稿書き・

          「いまここにない物語」

          『ビーナスブレンド』(麻生哲朗)について  先週、東急池上線に乗って、ある駅で降りた。初めて降りる駅だった。改札を出るとすぐに小さな商店街があって、その向こうの視界が開けていた。ということは駅のある場所は高台になっていて、駅から少し歩けば見晴らしの良いスポットがたくさんあるのだろうと思った。そうやって好きな感じの場所を訪れると、自分がそこで生活していることを空想する。  たとえば家族も仕事もふりだしに戻してひとりで暮らしていくことになったり、何かの間違い(?)があって小さな

          「いまここにない物語」

          「断面を照らす」

          『人の砂漠』(沢木耕太郎)について  その本を読んだ時、ほとんど焦がれるように、文章が書けるようになりたいと思った。本を読むことも文章を書くことも子どもの頃から好きだったから、すでに「書けない」わけではなかったし、漠然とそういう仕事に就くんだろうなとも思っていた。  そういう、書くの好き→それでお金もらえたらうれしい、という幼い発想ではないところで、文章が書けるこということはこういうことだ、と気づかせてくれた本が2冊ある。  そのひとつが吉本ばななさんの『キッチン』の最後に

          「たったひとりの“その人”」

          『初秋』(ロバート・B・パーカー)について  『ワンピース』を初めて読んだ時、私はもう立派な大人だった。人は子ども時代を恵まれた環境で過ごせなかったとしても、ひとりのまともな大人に会うことができればきちんと大きくなれる。あの魅力的な冒険譚を読んで、すでに大人の側にいた私が受け取ったテーマのひとつがそれだった。  「その人」がどこかで見ているはずだからいけないことはできない、とか、「その人」が大切にしてくれた自分のことを粗末にはできない、とか、そういう風に永らえた子どもの命と

          「たったひとりの“その人”」

          「ひっかき傷を残すもの」

          『鉄輪』(藤原新也)について  海岸線に沿って無数の提灯が並んで、暗いはずの砂浜がその夜だけ明るく照らされていた。親戚のおばあちゃんの初盆のために帰郷する祖母にくっついて、海辺の町を訪れた時のこと。人の生死にまつわる儀式への意識は、都会にいると希薄になる。住んでいる場所はとくべつ都会でもないけれど田舎ではないし、毎日、1日の半分近くは東京にいる。  砂浜に座って、遠い親戚と一緒に魚を食べたりビールを飲んだりして、犬と遊んだり、海に入ったりした。親戚の誰かとまちがえられて、知

          「ひっかき傷を残すもの」

          「誰ひとりとして脇役のいない」

          『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史)について  今年9月の引退を発表している(2018年時点)歌手のライブドキュメンタリーをいくつか観たことがあって、ライブ直前の場面がかならず入るのだけれど、バンドメンバーやダンサーの人たちと円陣を組みながら、彼女はいつも同じことを言っていた。 「それぞれにとって良いステージにしてください」  かすかな違和感のあとに、深い納得感が来て、自分の違和感こそ違和感だと思う。アムロちゃんはそのライブを自分だけ

          「誰ひとりとして脇役のいない」

          「台所の情景」

          『凍』(沢木耕太郎)について  長く仕事をさせていただいている学校の先生方と話をしていて、生徒の皆さんへのご指導のことが話題になった時に、ある先生が表情を和らげてこんなことをおっしゃった。その指導の温かさと厳しさをよく耳にしていた−−というか……率直に言うと「怖い」と言われていた先生だった  「いつも夜帰ってお米とぎながら反省するんです。わたし今日ちょっときつく言い過ぎたかなぁって」  それを聞いてから、その先生にお目にかかるたびに、小柄で華やかな容姿や、きびきびとした立ち