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初投稿33【全部やる】

「やる」という事は、
「いる」という言葉と
「ある」という言葉の合体だと感じる。

「居る」と「在る」

主体と客体が重なる瞬間。事象。

だから、行動すると状態は変化する。

そこには紛れもなく意味が湧き出るのかもしれない。

そこには紛れもなくここにいる存在価値が生まれているのかもしれない。

人は行動の連続で、時を歩む。
右にも左にも。
上にも下にも。

たとえ他者に認知されなかったとしても、
最低でも自分の身近な外界の状態に変化を与えている。

すなわち、生まれて死ぬまで、
やるかやらないかを何万、何億、何兆回と
選択を繰り返している。

「やらない」という選択と行動さえも、
やらないことを選んで「やる」という事になる。

人はこの世に生まれた瞬間から、
死ぬまで、行動し続けているのだ。

アドラー心理学にも通ずるところがあると
感じている。

今ここに生きてるという事は、

この文章を読んでる時も、
そこにあなたは居る。
あなたの魂も意識も体も心もそこに在る。

それだけで、奇跡と捉えるかもしれない。

でも、ただただ、あるのは、
自分やあなたがここに存在しているという実感だけだ。

行動を起こす事が、
何かをやる事が、
生きているという感情や実感を与えている。

何もやらないと決めていても、
生きてる以上、呼吸もしている。
意識もある。

障害がなければ、無条件で音が聞こえる。
目を開ければ視覚的情報が入ってくる。

それらの情報を入れないと決めて、
耳栓をしたり、目を瞑っても、
それは情報を遮断するという事をやる。
という行動になる。

すべては意識も無意識も含め、
今ここに生きているという事は、
逃れられない事実。

生きとし生けるすべての人が何かしら
やり続けている。

という事だけは、言えるなーと。
ふと思ったのでここに残しておく。

「やる」か「やらない」か。
結局どちらの選択肢を決めても
それ自体「やる」事になっている。

結論、

あなたの好きなようにやれば良い。

生きてる事が奇跡なら、そう思えば良い。
感謝したいなら、そうすれば良い。

絶望したいなら、すれば良い。
悲観したいなら、したら良い。

好きも嫌いも勝手に決めるが良い。

そこに居るから、
ここに在るから、
選べる自由がある。

ただただ、存在し続けているという
実感が湧き出る場所。

それは、
自分の体の外の世界であり、
それを知覚させている意識だ。

中と外。
どちらにせよ、
自分の世界を変えてゆきたいなら、
行動しない事を「やる」のではなく、
行動する事を「やる」といい。

「する」よりも「やる」というのは、
意識の密度が高いと感じる。


さぁ、今日は何をやろうか。

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