ku775

亜人間都市の主宰で劇作家で演出家です。

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最近の記事

ゴミ台

今日は元気だった。元気である、ということがポジティブなこととあまり思えない状態であるので、今日は能天気だった、とか書くべきかもしれない。今日は能天気だった。ご飯は食べれたし、人ともわりあいまともに会話ができた。 能天気でないと全てが嫌で、全てに葛藤が生じ、何もできない。能天気だと葛藤はないので、なんとでも行動できる。千葉雅也の言う「頭空っぽ性」というやつだなぁ。でないと行動できない、という。とはいえ行動できない状態が悪いわけではないと思う。止まることだって時には。 いや、

    • 鬱になった

      鬱になったと単に書くと、単に憂鬱であるということも意味するので、はっきりと鬱病になったと書けば分かりやすいのだけど、自己診断なので断言し難いところがある。 それでもまあ鬱病だろうなと思うのは、喉が痛くて鼻水が出て寒気がして微熱もあったらこれは風邪だなと、医者にかからなくても判断してしまうのと同じことで、食欲がなくて何に対してもやる気が出なくてずっと胸が締め付けられるような苦しさがあって訳もなく涙が出るならそりゃ鬱だろうと、医者にかかるまでもない。 体の内側で爆発する、暴れ

      • 自分の平凡なことについて

        自分は平凡だ、と人生を不可視化するような態度を取るのではなく、雑草という名の草はない、人に歴史あり、というような、誰しもがその人生において輝きを持っているのだ、なんていうのではない、そうではないもう自分はただの平凡なのだ、というのが自分のスタート地点だと、これはもう私はそのようにしてやっている。 平凡とは、自分の言葉、身体、歴史としてあるもの、自分の中に積み上がっている事実の中にまるで実感がない、という実感のことだ。自分が平凡であるとき、自分ではないものを求めざるをえない。

        • 雨について

          短歌を読んで、自分も短歌を書きたくなった。そういうことはたまにあるが、実際書いてみたことはなかったかもしれない。 雨降ってたから雨について書いたんだけど、いざ書いてみたら、これは短歌ではない気がするんだよな。 上に降る雨について考える 嫌がるだろうな上の人たち 雨水を啜って暮らしたことはない断言したいこの先もない びしょびしょに濡れてるわたし 古代人なら風邪ひいた わたしにはあるバスタオル どこからか来た水それもあれもここを通るなら将来のことも考えて、行け 誰かの

        ゴミ台

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        • 戯曲
          6本
        • 日記
          32本
        • 批評
          10本

        記事

          〈戯曲〉草、生える

          登場人物  良い人になりたい人 ・・・ A  強さにあこがれる人 ・・・ B  そこに倒れていた人 ・・・ C  確かなほうがいい人 ・・・ D  町を所有している人 ・・・ E あらすじ  今から数百年後の未来────  AIの氾濫により情報社会は崩壊を迎えていた  人口は減り、文明もまた自身を維持する術がなく  少しずつ少しずつ、衰退しつつある────  人口の減った町には、人の代わりに植物が生える  植物の増殖スピードは、生活圏を脅かすほどだ  町の人々は、生活圏

          〈戯曲〉草、生える

          〈戯曲〉不眠のまま立っている

           両手に紙袋を持っている  何か商品が詰まっている どう しよう、 どうしよう、 どうどう しよう、 どうしよう ね、 どうしようど、こ 行こうか、ね、どこ どこ行こうどこ、も素敵 だなきっと、ね、どこも全 全部。何がいいかなお腹 減った、減った、な、 何がいいかな。 ど どこだといいかな、ね、 行きたいところがいっぱいあ る、ある、あるあるもーそれはたくさん ある、思い出せない、思、思い出せないあ、 なにがあったか、どこか、どこ、ダメだ、ダメ 思い出せない。いざってとき

          〈戯曲〉不眠のまま立っている

          ツイッターから逃げ出してきた

          ツイートを書いていて、100文字くらいまで書いたところで書く手が止まって、投稿に至らないことが増えた。 投稿できずにツイートが下書きにたまっていくようなことは昔からあったが、それとはまた異なる葛藤でもって投稿できなくなる。 というより最早、投稿は下書きにも残さずに消してしまう。「書いたはいいが投稿できない」のではなく、書いている途中で「全然コレじゃない」となるので、残そうと思えない。 書きたいことが書けないのには、書く技術が足りないということはあるかもしれない。だが技術

          ツイッターから逃げ出してきた

          今とても視野が狭い

          いつまでもこのコロナ禍というものが何なのか捉えきれずにいる。人災では当然なく、天災ではあるが台風や津波のような直接的な被害を与えるものでもない。気が付けば始まっていて、終わりも明確なそれが訪れるのではきっとない、掴み所のない災い。 何か悔やむべきことがあるわけでもなく、誰かを弔うようなものとも異なる(もちろん亡くなっている人はいるものの)。自分に出来ることはなんなのか、いまいち分からない。 あれこれ考えるだけ無駄なのではないかと思わされる一方で、「演劇」を介してその影響を

          今とても視野が狭い

          囲んで話すことについて

          人と人が話しているところを見る。そこから感じたことを話す。それもまた誰かに見られている。話しているところを見ること、見られながら話すこと、それを繰り返す集まりを作っている。 それによって何をしたいということはない。何がどうなっても構わないと思う。むしろその何が起こるかわからない中で、起こってしまったことの全てをきちんと受け止められる広さを身に付けたいと、僕はそれだけを思う。 「目の前で起こる物事には無限の可能性が詰まっていて全てが面白い」とそう言ったとき、それは全くの綺麗

          囲んで話すことについて

          前のめりに読むことについて

          ようやく本の読み方がなってきた気がする。今日は散歩をしながら、本を読んだり読まなかったりした。そういうノリで本を読んでいたのが良かったのかもしれない。 本が読めないときにやってしまいがちなこととして「同じ行を何度も読んでしまう」というのがあるが、あれは行の右から左へ移っていく時間軸に対して、少し後ずさってというか後ろにつんのめって読んでいるからこそ先の行に目が移らないのではないか。そこにあるのは一字一句見逃すまいとする臆病なスタンス。 むしろ軽く読み飛ばすこと許していくべ

          前のめりに読むことについて

          春は外へ出ようと決めた

          おれの中で、時間はべつに速いほうだ。たとえば放っておけばおれは早口だ。自分でも反省するし、ひとに言われたこともあるけど、ゆっくり喋ってみたら? というの、そしてゆっくり喋るために、ゆっくり考えてみたら? 頭の中のギアをチェンジ。普段よりもローなギアにシフトチェンジ。さっき、すごい勢いに任せて文章をバーっと書いていて、書けた書けたーって気持ちと、でも達成感しか残ってない、言葉をただ書き散らしてしまったことへの後悔みたいなのに襲われてる。ファストフードがジャンクなのみたいに、言葉

          春は外へ出ようと決めた

          「座り込み」という市民劇

          前編 沖縄・辺野古を訪れる 後編 「座り込み」という市民劇 Ⅴ.「そろそろ行きましょうか」といった具合にそれは始まる。平和市民連絡会の方だろうか、座り込みを主導する人がいて、彼は土砂搬入のタイミングを把握しているようだった。建設会社に内通者(?)でもいるのか、それともセメント会社の前で待機している仲間と連絡を取り合っているのか。単に搬入は毎日決まった時間に行われているのかもしれない。いずれにせよ座り込みは、それまでの時間と地続きに軽やかに始まる。 搬入用ゲートを塞ぐように

          「座り込み」という市民劇

          沖縄・辺野古を訪れる

          前編 沖縄・辺野古を訪れる 後編 「座り込み」という市民劇 Ⅰ.先週末から沖縄に行っていた。その理由は他愛もない、休暇のためで、ちょうど沖縄で見たい演劇があったので、それに合わせて。最近はLCCで交通費も安いので、ふと思い立って行くことができた。東京は成田から、飛んで那覇まで。3時間程度のフライト。 調べたら1泊1000円強のアホみたいに安い宿があり、時間はあったので3泊4日を滞在することにした。初日は昼過ぎに着き、夕方から見たかった演劇を見た。2日目は那覇を中心にありが

          沖縄・辺野古を訪れる

          「演出家」についての再三にわたる考察

          文章を「しっかり」書かないといけない、と変に気負ってしまうのは病気だなと思う。必ずしも「しっかり」書くこともない。それは何より疲れる。そんなわけで論証はサボらせてもらいます。書けるように書いた。そして読めるように読んでくれたらと思う。今日くらいお互いラフに、ラクにやりましょう。 --- 「演出家」とは何か、というのをもうずっと考えている。それは自分が何の因果か「演出家」という役割を担うようになったからだろう。けど「演出家」というのが、何も考えずに黙々とそれをこなすことがで

          「演出家」についての再三にわたる考察

          東京ノートのこと

          ちょうど1年前のことだけど、「世界観の対話」という言葉を発明した。それは2017年度ずっと考えていたことの集積で、というか演劇始めて以来の、自分にとって演劇とは何かを考えた結果の言葉だった。 平田オリザ曰く、「自分の見ているありのままの世界を表現する」というのが現代演劇の役割なのだそうだ。それは全くもってよく分かる。けど、僕は僕一人で生きていなくて、僕の見る世界とは、決して僕一人の見え方のみで構成してるものではないと思う。 その点、多くの演劇は「演出家」のたった一

          東京ノートのこと

          関内駅1.2km

          2本の舞台をみた。関内というところであったので、駅を検索したが、出てこなかった。漢字だと出るのは、関内はかんないと読みせきうちとは読まないのだった。そりゃそうだろうか? 舞台がとてもよくてお腹が減ったが、携帯の充電が残り少ない。天馬のカレーが気になった。1000円払ってもお腹がいっぱいにならない気がして吉野家へ行く。 疲れていたので帰るか悩んだがせっかく横浜まで来たのでもう一本何かみることにした、尽きかけの携帯を使って関内駅から日本大通り駅に向かった。何も考えずに電車に乗っ

          関内駅1.2km